第3話 既にプロポーズはされていた
「レイチェル、本当にいいの?」
村はずれの大木に身を寄せたレイチェルに、エイミーが問う。レイチェルはこくんと頷いた。心配してくれていることは分かるけれど、どうしようもない。
「いいの……相思相愛ならどうしようもないもの」
胸につけたマーガレットのブローチに、レイチェルはそっと手を添える。
さようなら……
レイチェルがけじめをつけるつもりでそう呟けば、更にずきりと胸が痛んだ。どうして自分じゃ駄目だったんだろう? どうして自分が運命の相手じゃなかったんだろう? やっと会えた……そんな喜びの感情をどうすればいいというのか。
溢れそうになる涙をやっとの事でこらえ、レイチェルはぽつんと言った。
「夏祭りのダンスの相手は弟に頼むわ」
それが一番良い。今回の騒動は直ぐに広まるはずだ。弟のチャドならあれこれ詮索せず、自分の相手をしてくれるだろう。クリフと別れたの、単純なその一言を口にするのが今は辛い。言いたくなかった。ただただそっとして置いて欲しい、そんな気持ちである。
「俺じゃ駄目か?」
唐突な申し出にレイチェルは目を丸くする。
「え?」
「ひょえ!」
レイチェルが顔を上げれば、そこにいたのはやっぱりブラッド・フォークスだ。幼い頃から知っている彼の声をレイチェルが聞き間違えることはない。
「ど、どどどどどどこから?」
エイミーが驚いて周囲を見回す。
でも、レイチェルは慣れっこだった。彼はよくこういった現れ方をする。
可愛がっていたウサギが死んだ時もこうだった。墓を作って花を供えれば、いつの間にか彼が傍にいる。パラパラと小雨が降る中、彼は黙って一緒になって花を供えてくれた。ヴァンパイアなのに、彼の行動はいつだって優しい。どうしてかしら?
「ダンスの相手だけれど、俺はどう?」
エイミーの慌てぶりを無視し、ブラッドがレイチェルの顔を覗き込む。
ダンスの相手? フォークスさんが?
レイチェルがまじまじと彼の顔を見上げれば、エイミーが割って入った。
「ちょ、待って! どういうこと? なんであんたが引き受けるのよ?」
「俺がレイチェルを好きだから」
「はあああぁああああ?」
ブラッドの告白にエイミーは驚いたけれど、レイチェルも驚いた。
彼はヴァンパイアで、私は人間。種族が違うし、年もうんと離れているわ。彼からみれば、私なんて子供でしょうに……
エイミーが声を荒げた。
「嘘でしょ? なんであんたが……あ! 血ね? レイチェルの血が欲しいんでしょう!」
エイミーがそう言ってレイチェルを庇い、ブラッドが顔をしかめる。
「ちげーよ。血が欲しいだけだったら催眠かけりゃ、人間なんかいちころじゃねーか。どうぞ血を吸ってくださいって人間がわんさと集まる」
「じゃあ、なんで……」
エイミーが不審がると、ブラッドの眉間に皺が寄った。
「だから、今言ったろ? 俺はレイチェルが好きなんだよ。だから、彼女の両親が経営するパン屋に、毎日毎日足繁く通ったんだろーが。ちっとは気付け」
ふてくされ気味にブラッドがそう言った。
そう、ブラッドはヴァンパイアなのにパン屋の常連客だ。ヴァンパイアなのに珍しい、とは思っていたけれど……。自分が目当てだったとは思わなかった。
――お勧めのパンは?
――あ、こちらは如何ですか?
ブラッドとの日常の何気ないやりとりだ。
どんな時でも彼は店に来たので、いつの間にか彼が店に来ないと落ち着かない、そんな風になっていた。店の扉から顔を出し、彼の姿を探したこともある。
レイチェルはブラッドの顔をじっと眺めた。
漆黒の髪に血のように赤い瞳。肌は青白く、目は落ちくぼんで痩せこけている。ぱっと見、不気味に見えるけれど、レイチェルはもう慣れっこで怖くない。むしろレイチェルは、優しい彼が好きだった。あくまで良いお兄さん、であったけれど……
だって、年が違いすぎるもの。
レイチェルは身を縮めた。
たった今、ブラッドから告白されるまで、レイチェルは彼を恋愛対象として見たことはない。彼と親しくなり始めたのは、店を手伝い始めた十才くらいからで、その時から彼の外見は十七、八才の青年である。恋愛対象とするには、ブラッドは大人すぎた。エイミーが胡散臭げな眼差しになる。
「……ふうん? パン屋でレイチェルを見初めたってこと?」
そう問われて、ブラッドはなにやら困ったようだ。
ザンバラな黒髪をくしゃりと掻き上げる。
「あー……レイチェルが覚えている範囲内でって言うと、王都での出来事か? ほら、俺が馬車にバーンと跳ね飛ばされて、転がった先にレイチェルがいて、その場で結婚を申し込んだら、悲鳴上げて逃げられた」
え? どういうこと?
レイチェルの困惑を見て取ったか、ブラッドが言い添えた。
「レイチェルが五才の時だったかな?」
「変態!」
エイミーがすかさず叫び、レイチェルは心底驚いた。度肝を抜かれたと言っていい。
五才の自分に結婚を申し込んだ人……いたぁ!
思い出せば、冷や汗ものである。なにせ、父親がスカートを掴んだ彼を、自分から引き剥がそうと蹴って蹴って蹴りまくったからだ。
ブラッドが叫んだ。
「分かってるよ! 分かってるってば! 見た目推定年齢十七、八才の男が! 五才の幼女に結婚を申し込むって、変態だよなって後になって気が付いたよ!」
その台詞にレイチェルは突っ込んだ。
いえ、あのあのあの!
問題なのはそこじゃありません!
フォークスさん、あの時、血だらけでしたよね? 馬車にはねられて! だからどんな顔をしていたのか分からなくて、今の今まであなただって分かりませんでした!
なんであんな状況で、私に結婚を申し込んだんですか! 馬車にはねられて瀕死の重体の人が、五才の私のスカートを掴んで、結婚してくれ! って……状況がおかしすぎますぅうううう! 魔物だって見て分かりましたし! 怖かったですよぅ!
王都での記憶は鮮明である。なにせ、出来事が衝撃的すぎた。
――うーわん、パァパァああああ、こーわーいーよぉおおおおー! 魔物がぁ!
――何? お前、魔物か? 放せ、放しなさい! こら!
いつもは温厚な父が、この時ばかりは焦ってテンパったようで、レイチェルのスカートを掴んで放そうとしない彼を蹴って蹴って蹴りまくったのだ。げしげしげしげしげしと……
ご、ごごごごごめんなさい!
当時を思い出したレイチェルが心の中で謝り倒す。
でも、その時の事をブラッドに責められたことは一度もない……なので、あれがブラッド・フォークスだったとは、たった今告白されるまで知らなかった。
怒ってないのかしら?
そろりとブラッドを見れば、彼は涙目だ。
「だから、ほら! 変態って言われないように! レイチェルが大人になるまで! せめて成人の十六才になるまで、告白するのは待とうって決めたんだよ! それでレイチェルがいるこの村の守護を引き受けたんだってば!」
え? あ……私の、ため?
レイチェルは急に恥ずかしくなった。今から十一年前、村は魔獣の脅威にさらされた。それを助けてくれたのがブラッドだ。圧倒的な強さで、魔物の群れを蹴散らしてくれた。なので、村の誰もが彼をすんなりと受け入れた。命の恩人だったから。
けれど、どうして助けてくれたのか、彼はその理由を決して口にしなかった。だから、今の今まで彼の行動の理由が不明だったのだけれど、聞くと何やら照れ臭い。
自分の為って……
「でなけりゃ、ヴァンパイアの俺が! 人間の村を守ったりするわけねーだろ? 魔物だぞ? 俺は! 正義の味方なんてやってられるか! なのに、あの野郎! 横からかっさらっておきながら、浮気して捨てやがった! ぼっこぼこにしても気が収まらねぇ! 俺なんか二百年待てしたのにぃいいい! なんだよあれは? たった三年で心変わり! 信じらんねぇ!」
「二百年?」
レイチェルは首を捻ってしまう。
「村に来てからは十一年だ!」
すかさずブラッドがそう言い直し、エイミーが大真面目に頷く。
「うん、本気っぽく聞こえるわね。五才の幼女に結婚を申し込んだって下りがなければ……」
「いちいち混ぜっ返すなよ……」
ブラッドがげんなりしたように言う。
エイミーがブラッドの姿をじろじろ眺めた。
「でも、いろいろ問題ない? レイチェルは人間で、あんたはヴァンパイア。レイチェルは年を取るけど、あんたはずっとそのままの姿でしょう? そこからして……」
レイチェルもそこは同意だった。生きる時の長さが違い過ぎる。
「まぁ、恋人は無理でも友人なら?」
「あんたはそれでいいわけ?」
エイミーの台詞に、ブラッドが顔をしかめる。
「よくねーよ。でも、レイチェルが嫌がることをするつもりはねーの。ヴァンパイアになって一緒に生きてくれれば万々歳だけど、それを嫌がる人間がいることも知ってるし……」
嫌がる人間……なら、フォークスさんは?
レイチェルは逆にそう聞きたくなってしまう。不思議だった。どうして彼はここまで人間の自分に寄り添おうとしてくれるのだろう? 不老不死の彼からしたら、年を取って死んでしまう人間が伴侶なんて、嫌なのではと思うのだけれど……
「ふーん? で、レイチェルどうする?」
エイミーに話を振られて、レイチェルははっと我に返る。たった今まで良いお兄さんだと思っていた人からの告白だ。どうしても戸惑ってしまう。
「どうって……」
「友達になりたいって言ってるけど?」
エイミーの台詞で、そろりとブラッドを見上げれば、見慣れた彼がそこにいる。魔性を宿した赤い瞳は、強い輝きを放って他を威圧するけれど美しい。自分はそう思う。
赤い瞳……
何故かしら、異性として意識すると妙に落ち着かない。
「フォークスさんとはもう、お友達よ? だって、毎日パン屋で会っているもの」
レイチェルはそう答える。
そう、彼は大好きなお兄さんだ。友達も同然である。
「なら、夏祭りで俺と踊ってもらえるか?」
ブラッドにそう言われて、レイチェルはこくんと頷いた。
そうね、彼ならきっと余計な事は聞かないでいてくれる。優しい人だから……
「ええ、喜んで」
レイチェルが了承すると、エイミーが口を挟んだ。
「にしても、あんた痩せすぎよ。顔色は悪いし、目の下にクマは出来てるし……ほんっと死人みたい。いくらヴァンパイアだって限度があるわ。もうちょっと何とかならないの?」
ここはレイチェルも気になってはいた。彼のこの姿にはもう慣れっこだったけれど、確かに不健康そうである。ヴァンパイアだから病気なんてしないのだろうけれど。
「血が飲めりゃーな……」
ブラッドがぽつりと呟き、レイチェルは目を丸くした。
「もしかして、血が飲めないんですか?」
「女神の呪……あー、祝福のせいでこうなった。血を飲もうとすると吐き気がすんだ」
「え? 女神エイル様の祝福で?」
レイチェルは驚いた。この国の崇拝対象は女神エイルだ。
「そう」
レイチェルはおずおずと申し出た。
「あの……血が飲めなくて辛いのなら、その、女神エイル様に祝福の解除を願って、お祈りしましょうか?」
自分は聖印の乙女だ。女神エイルの加護を受けているので、彼女の力を借りることが出来る。その自分の祈りなら聞き届けてもらえる可能性が高い。
「そうだな、出来るなら頼む」
ブラッドが嬉しそうににかっと笑うと、エイミーの顔が引きつった。
「うわぁ……。普通笑顔って一番いい顔の筈なのに、あんたの場合、逆よね。めちゃくちゃ怖いわ。にたぁって……顔が死人みたいに痩せこけている上、牙があるんだもん。完璧ホラーだわ」
「ほうっとけ!」
ブラッドが怒鳴り、レイチェルは笑ってしまった。
そうよね、牙が見えるから怖いわよね。
自分は慣れきっているから、こういった彼の表情も平気である。むしろ、今ではちょっぴり可愛いなんて思ってしまう自分がいる。言わないけれど……
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