第7話



(どうしてこんなことに……!)


 エイデンは落ち着きなく部屋中をぐるぐると歩き回っていた。胸がざわついて、どうにもじっとしていられないのだ。


 今日、ルーン伯爵家の面々がロードリー伯爵家へとやってくる。エイデンとサンドラの婚約のことについて話し合いがしたいとのことだ。


 父に手紙を送ってもらったらなんとかなるかと思ったが、そんな甘い話ではないらしい。

 もちろん、話し合いがそう悪くない方向に向かう可能性もある。しかし、先日のサンドラの様子を考えると、昔のように丸め込むことは難しいだろう。

 少し前までは、サンドラはエイデンの言うことならなんでも聞き入れてくれる優しい女の子だったのに……。


 そこで、コンコンとドアがノックされる音が響き、すぐに扉が開けられる。そこに立っていたのは母のエイミーだった。


「母上……」

「エイデン、もうすぐサンドラが来る時間よ。ちゃんと出迎えてあげなさい」

「……はい」


 エイデンは暗い顔で頷く。

 すると、そんなエイデンの顔を覗き込んだ母はくすくすと小さく笑った。


「そんな心配しなくても大丈夫よ。あなたたちは小さな頃から仲良しだったでしょ? サンドラもきっと結婚が近づいてマリッジブルーになってるのね」

「そうだといいんですが……」


 どちらかというとブルーではなく、ハイになっているような気がした。あれもマチルダ・ナトルの影響なのだろうか。

 エイデンはバラの花束を抱えて、両親とともにルーン伯爵家の来訪を待った。

 そして、馬車の音が聞こえてきたタイミングで外に出て、ルーン伯爵家の面々を出迎えた。


「お久しぶりです、ルーン伯爵。今日はうちのバカ息子のせいでご足労をおかけして申し訳ない」

「いえいえ、構いませんよ。こちらもお話ししたいことがあったので」

「ステラ、今日はごめんなさいね。エイデンが意地になっておかしなことを言ってしまったみたいで……この子も悪気があったわけじゃないのよ。サンドラが急に綺麗になって驚いたみたいで」

「そうなの……」


 お互いの両親が先に話しているが、いつもよりサンドラの両親の態度が素っ気ない気がした。

 嫌な予感を覚えつつエイデンがサンドラを見ると、彼女は従兄弟のユーリスの隣で優雅に微笑んでいる。


「サ、サンドラ」

「ご機嫌よう」


 サンドラは先日と同じく派手な装いだった。髪は後ろで結い上げられてはいるが、複雑に編み込まれていて、綺麗な髪飾りもついている。ドレスも今までの淡い色の物とは違う赤のドレスで、もちろん化粧はばっちりだ。

 エイデンの顔が引きつる。

 綺麗だが、似合っているが、こんなサンドラは好きじゃない。

 しかし、サンドラは前よりも朗らかな表情をしていて、それがいっそうエイデンの鼻につく。


「……先日はすまなかった。これ……」


 苛立ちを押し殺して、抱えていた花束をサンドラに差し出す。

 サンドラは一瞬迷うような素振りを見せてから、花束を受け取った。そして、にっこりと笑って言う。


「あら、もうすぐ婚約者でもなんでもなくなる女に花をくれるなんて、随分優しいのね。私の気持ちは変わってないけど、花は貰っておくわ。花に罪はないもの」


 サンドラの言葉に、その場の空気が凍りついた。エイデンの両親は驚いたように言葉を失っていたが、サンドラの両親は先ほどと同じく冷ややかな表情をしたままだった。

 そこに、若い男の朗らかな声が響く。


「まあまあ。立ち話もなんですから、中で座って話しましょうよ。大切な話ですからね」


 ユーリスがそう言って、サンドラの腰に手を回す。いくら義兄になる存在といえどその馴れ馴れしさにエイデンは不快感を覚えたが、サンドラは拒むことなくユーリスの腕を受け入れていた。むしろ、どこか気恥ずかしそうに頬を赤く染めている。


(……サンドラ?)


 エイデンが唖然としているうちに、皆屋敷の中へと入っていった。

 馬車に残る従者に花束を預けたサンドラも、ゆったりとした足取りでエイデンの横を通り過ぎていく。その隣には、やはりぴたりとユーリスが寄り添っていた。







 両家の人間がロードリー伯爵家の応接室に集まったが、その空気は相変わらず重かった。いや、そう感じているのはエイデンと両親だけかもしれないが。


「──それで、サンドラとエイデンの婚約のことなんですが」


 先に切り出したのは、サンドラの父であるルーン伯爵だった。ルーン伯爵はどこかムスッとした表情で淡々と言葉を続ける。


「エイデンの希望通り、エイデンとサンドラの婚約は解消していただきたい」

「そんなっ!」


 思わずエイデンは声をあげた。

 信じられず、唇が戦慄く。

 そんなエイデンを、ルーン伯爵は冷ややかな目で見つめた。


「なにか問題があるのか? 君が言い出したことだろう? サンドラが今のままだったら結婚はできないと」

「そ、それは違うんです。ちょっとした口論になって、勢いで……」

「勢い? 勢いなんかで婚約解消なんて言葉が出てきたの? あなたにとってサンドラとの婚約解消はそんな気軽に口にできるものなのね。そう言ったらサンドラがあなたの思い通りになるとでも思った?」

「ち、ちが……」

「違わないでしょ! サンドラのことをいったいなんだと思ってるの!? サンドラはあなたのお人形じゃないわ!!」


 途中で話に入ってきたサンドラの母ステラが突然声を荒げた。その剣幕に、エイデンは言葉を失う。


 母親同士の仲が良かったこともあり、サンドラの母はエイデンにとってもうひとりの母親のような存在だった。小さな頃から可愛がってもらったし、随分気に入られていた。いつも口癖のように『エイデンにならサンドラのことを任せられる』『エイデンが息子になってくれるなんてうれしい』と言ってくれたのに……。


 エイデンが絶句していると、隣の母が慌ててサンドラの母をなだめはじめた。


「お、落ち着いて、ステラ。急にどうしたのよ?」

「落ち着けるわけないでしょ! エイデンのことをずっと信頼していたのに、裏であんな風にサンドラのことを馬鹿にしていたなんて!!」

「……裏でサンドラを馬鹿にしていた?」


 突拍子もないサンドラの母の言葉に、両親は困惑したように首を捻る。品行方正な息子しか知らない両親にとって、エイデンが婚約者を裏で馬鹿にするなんて考えられないのだろう。

 しかし、エイデンだけはギクっと体を強張らせていた。そもそもこんなことになった心当たりが、一応エイデンにはひとつだけあったのだ。

 まさかとは思うが、サンドラがあのエイデンの発言を直接、もしくは間接的に聞かされていたとしたら──非常にまずい……。


 エイデンのこめかみをたらりと冷や汗が伝った。

 その合間にも、話は良くない方向へと進んでいく。


「ええ、そうよ! そんな男にはサンドラを任せられないわ! 婚約は解消よ!」

「ま、待ってちょうだい。話が見えないわ」

「でしたら、私が直接お話ししますわ。エイデンは自分から話す気がないようですし」


 サンドラは紅茶を片手に優雅に笑う。そして、少し低い声で言い放った。


「『結婚相手としては、ああいうのがいいんだよ。真面目だけが取り柄の、地味で従順な女が』」

「…………」

「と、エイデンが私の陰口を言っているのを偶然聞いてしまいまして、私すごくショックを受けたんです。ですがその後、私は公爵令嬢であるマチルダ・ナトル様と運命的な出会いを果たしました。彼女のおかげで、私は今の私に生まれ変わることができたのです。……そうしましたら、エイデンから『今の君を僕の妻にすることはできない』と婚約解消を持ちかけられたので、私はそれを了承した……ただそれだけの話ですわ」


 長々と語り終えたサンドラの金茶色の瞳が、静かにエイデンを捉えた。弧を描いたその目が、ひどく嬉しそうにエイデンを映す。


「あなたの結婚相手に相応しくなくなってごめんなさいね。申し訳ないから、あなたの望み通り婚約は解消してあげるわ」

「さ、サンドラ……」

「今から素敵な婚約者が見つかるといいわね。あなた好みの、真面目だけが取り柄の地味で従順なひと。……私だったら死んでもごめんだけどね」


 サンドラは笑ってはいたが、その瞳にはありありと軽蔑の色が宿っている。

 幼い頃から自分の隣にいたサンドラは、いつもはにかむような笑顔をエイデンに向けてくれた。なのに、今はどこか憎らしそうに思えるほど冷たい目をエイデンに向けてくる。

 それにショックを受けながら、エイデンは「ちがう」と消え入りそうな声で呟いた。

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