第60話 「正義の在り方」

 日向は困ったように笑った。


「取り押さえろ!」

「おっと、オーバーキルですね」


 すでに荒川はノックアウトされているような気がするが、機動隊は警戒を解くことなく荒川を組み伏せた。殺人鬼相手にはこれくらいがいいのかもしれないが。


「怪我してない?」

「肩をちょっと。しばらく痣になりそうです」

「ごめんね、本当はすぐに突入したかったんだけど」


 日向は申し訳なさそうに眉尻を上げた。その隣では、やはり仏頂面の飯野が腕を組んでいる。


「犯罪を黙認させるからには、少し痛い目に遭っていただこうと思いましてね」

「おっと、刑事さんの台詞とは思えませんね」

「意外と悪党をやっつけるためなら何でもする節があるから。ちなみに、この悪党にはきみも含まれてるよ」

「余計なことを言わないでいただきたい」

「あ、すみません」


 日向は慌てたように頭を下げたが、目元は笑っている。


 悪党をやっつけるためなら何でもする、という飯野への評価については、神楽も同意見だった。


 事の始まりは、神楽が荒川の家にたどり着いたときだ。いざピッキングをしようと針金を取り出したとき、借りていた久瀬のスマホに着信があったのである。


『荒川さんが学校を出た』


 これは夏目も想定外のことだったらしく、声がわずかに上ずっていた。

 夏目はとりあえず寮に戻ることを提案してきた。だが、時はそんなに残されていない。

 神楽はその提案を拒否し、代わりに別の計画を持ち掛けた。


「警察をいいように使えると思ってもらわれては困りますよ」

「まさか、そんなことは思っていませんよ」


 夏目の力を借りて電話番号を入手し、神楽は直接飯野に電話をかけた。

 内容は至極単純。


 荒川の家に踏み込んでほしい、というものである。


 もちろん、踏み込むからには裁判所からの令状が必要だ。そして令状を取るには、それ相応の証拠が要る。

 そこで神楽は、大塚とのやり取りを飯野に転送した。

 実際はこの程度の証拠では令状は発行されない。

 それでも、飯野は長い沈黙の末、ほぼ間違いなく荒川は黒だと判断した。


『令状なんか後でいいんですよ』


 飯野は無感情にそう言った。その声の奥に、なにがなんでも悪を打ち倒すという強い正義感が潜んでいたように感じたのは、決して気のせいではないだろう。


 対荒川に向けて機動隊を招集している間、神楽は荒川本人と対峙した。まさか警棒で打たれるとは思っていなかったが、おかげで久瀬のスマホを通話状態にし、荒川の独白を飯野に聞かせることができた。


「本当に助かりました。まさかこんなに早く動いてくれるとは」

「一つ言っておきますが、今の荒川氏の罪状は暴行と殺人未遂です。私は殺されかけていた一人の高校生を守ったに過ぎない。そこはお間違いのなきよう」


 荒川が自白したとはいえ、まだ令状はとれていない。本来なら、飯野たちはこの場にいるはずがないのだ。一応、暴行罪の現行犯逮捕ということにしておきたいのだろう。もし令状の取得に失敗したら、神楽は不法侵入者になり、荒川は正当防衛になる可能性がある。


「おい、餓鬼! 何もかも知ってて俺をはめたんだな!」


 機動隊によって取り押さえられた荒川が喚いた。

 神楽は頬を掻いた。


「何も知りませんでしたよ。警備室に手紙が置いてあったとか、まったくの初耳です」

「嘘をつくなよ! だって、どこまで知ってるって訊いたとき、嘘をついて……」

「嘘じゃありませんよ。本当のことです。そもそも、嘘をつくときに唇を舐めるなんて、そんな分かりやすい癖があるわけないじゃないですか」


 神楽は袖に手を入れるようにして腕を組み、にっこり笑った。


「唇を舐めるという癖そのものが、嘘です。あなたからどうしても自白を引き出したかったので、一芝居うたせていただきました。ずっと僕のことを観察していましたよね? きっと引っかかってくれるだろうと思いまして」

「このクソガキ……ペテン師め!」

「手品師と呼んでくださいな」


 騒々しくわめきたてる荒川から目を逸らし、神楽は袖から久瀬のスマホを取り出した。それを見た飯野が渋い顔をする。


「他言無用ですよ」

「もちろんですとも」


 神楽は微笑み、メッセージアプリを開いた。こちらの仕事はひと段落したので、とりあえず夏目宛てにメッセージを送る。彼女は荒川の監視と結城の救出を同時進行で行っていた。さすが学年トップの成績を収めているだけあるというか、とにかく要領がいい。


『こちらは任務達成です』

『了解。お疲れ』


 数秒と間を置かず返事が返ってきた。ずっと張り付いていたのだろう。


『結城くんは?』

『無事に救出したが、碧海くんたちの様子は分からない。ドンパチやってる音は聞こえたけど』


 本人は五分で決着をつけると言ったが、そもそもキョウロウの本気がいかほどかが分からない。万に一つ程度の可能性とは言え、鎌田が打ち負かされる可能性もゼロではないだろう。

 このままメッセージを続けるのももどかしく、神楽はアプリを通じて電話をかけた。


「すみません、打つの面倒くさくて。それで、鎌田くんは押されている感じでしたか?」

『五分五分というところだと思う。ただ、いぬっころの声が聞こえたのが気に掛かる』

「いぬっころ……渡利くんですか」

『なに言ってるのかまでは分からなかったけど、結構な大声だった』


 渡利が大声を上げたとすると、自分がキョウロウに攻撃されたためか。


——あるいは……。


 最悪の結末が脳裏をよぎり、神楽は思わず声を張り上げた。


「碧海くんは!?」

『うるさい、怒鳴るな……』


 夏目は毒づいたが、その声に覇気はない。


『碧海くんについては私も確認できてない。結城くんが最後に見たときは、縛られていたけど生きてはいたそうだ』

「……そうですか。夏目さんは今どこに?」

『寮に戻っているところ』

「分かりました。僕もあらかた終わったら戻ります。また後で会いましょう」

『ああ。全員でな。……そうだ』


 夏目はふと思い立ったように言った。


『大塚議員と荒川さんのメール、あのUSBに保存しておいてくれないか。やり方は教えるよ』

「構いませんが……どうしてです?」

『警察が大塚議員と繋がっていないとも限らない。そうだろう?』


 口にしていることはなかなか闇深いが、夏目の声は愉快そうに弾んでいる。なんとも享楽的というか、なんというか。


 神楽は思わず笑い、USBにデータをコピーするやり方を教えてもらってから通話を終了させた。


「ほら、行くぞ!」

「放せよ!」


 機動隊に引っ立てられた荒川が、抵抗しながらも連れ去られていく。飯野たちがその様子を見守っている隙に、神楽はUSBを差し直してデータをコピーした。データの量がそこまで多くはなかったおかげか、一分もかからずにコピーが完了する。夏目に教えてもらった通りにコピーした痕跡をパソコンから消し去ってから、慎重にUSBを抜いた。


——機械は苦手だな……。


 自分のことを古い人間だとは思わないが、一般的な高校生に比べればデジタルに慣れていないという自覚はある。

 とりあえず言われた通りのことはできたことにほっと安堵し、USBを袖にしまう。


 それからふと思い立って、神楽は久瀬のスマホで自分とのメッセージを開いた。今、神楽のスマホは碧海が持っている。


——一応、送ってみますか。


 碧海はこの事件の根幹に指先を触れている。このメールの内容が少しでも助けになれば……事件そのものをつかみ取る助けになれば。


「僕は十二分に仕事を果たしましたよ」


 神楽はハロゲンライトに照らされる窓の外を眺めた。


「あとは、鎌田くんたち次第だ」

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