第61話 「真相究明」
「一緒に逃げよう」
渡利はぱあっと顔を輝かせ、立ち上がった。
「そう言うてくれると思うとった!……それで、どないしたらええんや?」
「ベルトだ。……ベルトを貸してくれ!」
何かがぶつかる重い音がして、碧海は声を張り上げた。鎌田が優勢なのか劣勢なのか、ここからでは分からない。
だが、あまり時間は残されていないという予感めいたものがある。
「ベルトやな?」
渡利はバックルを外し、自分のベルトを引き抜いた。ズボンにはゴムが入っているので、ずり落ちることはない。
「その細い棒で結束バンドのツメを押せば、切らなくても外れる」
たいていの場合、結束バンドを外すにはハサミで切るほかないが、細長いものでツメの部分を押し込めば外すことができる。細長いものといっても、専門的な工具は必要なく、ベルト本体に空いた穴に通して固定するための細い棒で代用できる。
渡利はベルトを握りしめてうなずき、さっそく作業に取り掛かった。もともとお世辞にも手先が器用とは言えないのと、緊張や寒さも相まって、指先は震えている。
「そこに力を……」
力を籠める場所を細かく指示するかたわら、碧海は小さく謝罪の言葉を口にした。
「ごめん」
「何が?」
渡利は眉間にしわを寄せて結束バンドと格闘している。
「何がっていうか……何もかもが」
渡利はちらりと目線を上げた。
「悪い思うとんのか」
「お、思ってるよ!」
「ほなら、昔なにがあったのか、みんな片付いたら話せよ」
渡利はにかりと笑い、結束バンドを引っ張った。ファスナーを閉めるときのような音がして結束バンドが外れた。
「よくやった! あと三つ!」
「任しとけ!」
一度コツをつかめば早い。渡利の手つきには自信がみなぎっている。
碧海が自由になった左手でこめかみをさすっていると、脇腹のあたりで何かが振動した。くすぐったくて思わず声を上げると、渡利が驚いて手を離す。
「な、なんや。どないした?」
「いや、なんか震えて……」
左手だけで苦心しながら震えた辺りを探ると、服の間に神楽のスマホが挟まっていた。ベルトでうまく固定されていたようだ。キョウロウも気づかなかったらしい。
「これ、竜さんのスマホだ」
「ああ、自分を追っかけるのに使ったやつやな」
「え?」
キョウロウの話では、スマホはトラックの荷台に投げ込んでおいたとのことだったはずだが。それを見越して、もう一つスマホを仕込んでいたのだろうか。
首を傾げつつ、碧海は画面を見てさっと目つきを鋭くした。来ていたのは久瀬からのメッセージだが、問題はそこではない。一部だけ表示されるメッセージの内容が碧海の興味を引いた。
『碧海くんへ。そちらがどうなっているかは分かりませんが、荒川さんのメールの内容を添付します。』
短い文面を見る限り、送り主は神楽のようだ。どうにも、キョウロウを追跡するために仕込んだ二台のスマホのせいで、スマホの持ち主がぐちゃぐちゃになっているようだ。
——荒川さんのメールって、何のことだろう?
人のスマホを勝手に見るのはなんだか気まずいが、碧海に宛てられているものなら見ても構わないだろう。幸い、今どきの高校生にしては珍しく、神楽はスマホにパスワードをかけていない。
添付されたデータを食い入るように見つめた碧海は、絡まっていた糸が完全にほどけたのを感じた。
荒川とO……大塚議員とのやり取り。
そして荒川が自ら語った事件の内容。
まっすぐな糸が描き出す事件の全貌を眺める。
——脅迫……。
碧海は一瞬、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
それにめざとく気づいた渡利が、手を止めて不思議そうに問うてきた。
「どないしたん?」
「いや、欲って恐ろしいなって思っただけだよ」
「欲?」
「こっちの話。続きお願い」
「おう」
碧海は渡利から顔を背け、床に薄く積もっている塵を見つめた。
荒川は勘違いしている。
そしてその勘違いが、数多の命を奪う結果につながった。
「よっしゃ、ええ感じやで」
右手首、右足首と順調に外していき、残るは左足首のみとなった。
渡利がベルトを握り直す。
その時、碧海は確かに空気が変わったのを感じた。
「ああ、まずい……渡利、気をつけろ!」
鎌田の切迫した叫び声が聞こえたときには、渡利はキョウロウのタックルを喰らって後ろに吹っ飛んでいた。尻尾を踏まれた猫のようなうめき声をあげ、飛ばされた先にうずくまる。頭をぶつけて脳震盪を起こしてしまったようだ。碧海とキョウロウがいる方を見る目は、ぼんやりと焦点が定まっていない。
「悪い、止められなった」
駆け寄ってきた鎌田が、碧海とキョウロウの間に割って入る。
碧海は肘掛けを強くつかみ、素早く周囲に視線を走らせた。
――ベルトは……?
キョウロウと鎌田の間に落ちている。椅子から立てない以上、あそこまで取りに行くのは厳しい。
「……鎌田、あのベルト、とれる?」
数時間ぶりの再会だが、感動的な抱擁を交わしている暇はない。
小声で問うと、鎌田はキョウロウから片時も目を離さずにうなずいた。
「やってみる」
空気が揺れる。
キョウロウのナイフと鎌田の木刀が交差した。
よく見てみれば、鎌田は細い切り傷だらけで、キョウロウはできたばかりの赤い痣だらけだった。二人とも額からは汗が流れ、己の武器を握るのも苦労している様子だ。
それでも、鎌田は笑っていた。にやにやと口角を上げながら木刀を振り、キョウロウが人間離れした技を繰り出すと、目を輝かせて応戦する。
戦闘狂じみたところがあるのは毎度のことだが、今回ばかりはそれに拍車がかかっているような気がする。
「うおっ」
キョウロウがナイフを振る。鎌田は手慣れたように木刀で払おうとしたが、キョウロウは途中で手の力を緩めた。耳障りな音を立ててナイフが床を滑る。キョウロウはナイフを持っていた手を強く握りこんだ。
固まる鎌田の顎に、真下からアッパーが迫る。
鎌田は笑みを消し、忌々しげにつぶやいた。
「あのくそじじいめ、やっと分かったぞ」
何が分かったにしろ、一歩遅かったらしい。
強烈なアッパーが顎を捉え、鎌田は大きくのけぞった。苦しげにうめきながら数歩後ずさり、自分の体を支えきれずに片膝をつく。
「鎌田……」
叫びかけた碧海は、足元に違和感を覚えて口を閉じた。いつの間にか、渡利のベルトがつま先のあたりに転がっている。
――躱すことより、ベルトをとる方を優先したのか!
このまま戦い続けても埒が明かないと考えたのだろう。だから鎌田は、アッパーを躱して戦いを続けることよりも、ベルトをとって碧海に託す方に賭けた。
碧海なら、この膠着状態を打開してくれると信じて。
碧海は腕を伸ばしてベルトをつかみ取ると、バックルの細い棒を結束バンドのツメにねじ込んだ。
――早く!
鎌田の首を掻き切らんと、キョウロウがナイフを握り直している。
碧海は口の中で舌打ちを漏らした。こういう時、緊張していつも通りの動きができなくなる自分に腹が立つ。ベルトと結束バンドを握る手には汗がにじみ、なかなかツメに引っかからない。
——やばい……!
数秒後には、鎌田の頸動脈がぶつりと切断されてしまう。
碧海はベルトを床にたたきつけ、キョウロウを睨み据えた。
「おい!」
キョウロウが動きを止める。
碧海は深呼吸を繰り返し、頭をはっきりさせた。
渡利のおかげで、ずっと胸に巣食っていた粘着質な塊は、きれいさっぱり消え失せた。
翳の差す神谷の後ろ姿の代わりには、知性と好奇心で目を輝かせる彼の明るい笑みがある。
碧海は、もはや痛むこともなくなった頭をフル回転させた。
「……言いましたよね、考えてごらん、って」
一呼吸を置き、続ける。
「ずっと不思議だったんだ。どうしてあの時、僕に推理させようとしたのか」
庄司の件を推理させたのは、単純にキョウロウのサディスティックな趣味によるものだったとは理解できる。
だが、渡辺万太殺しの犯人や、その裏に潜む真相までをも推理させようとしたのには違和感が残る。結果的に碧海は思考を放棄したが、もしそうでなければ、キョウロウは腰を据えて最後まで推理を聞こうとしたはずだ。
「キョウロウさん、あなたも気になっていたんでしょ? この事件の真相を」
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