第55話 「アクセル全開!」
「アクセル全開! フルスロットル!」
「無茶言わないでよ! 雪道でしょ!」
「蛇が雪道怖がってどうすんや!」
「蛇は変温動物なの!」
やいやい野次を飛ばしながら、鎌田たちは雪道を爆走していた。
無茶だなんだと言ってはいるが、伊達は限界までペダルを踏みつけている。さすがに寮付近の住宅街ではここまでスピードを出すことはできなかったが、街の外れに差し掛かってからは、スピード計の針が振り切れるまでアクセルを踏み込んでいた。
「あと一分もしないで着く!」
「十秒で着かせろや!」
「ぽんこつエンジンに無茶言うな!」
気まぐれなエンジンなのだという。何気ない時にスピード計でも計測しきれないほどの俊足を見せたかと思えば、大事な時にエンストを起こすこともあるらしい。今はまともに走っているだけ万々歳なのだとか。
ペットは飼い主に似ると言うが、車が運転手に似ることもあるらしい。
「はよしろや!」
不機嫌そうな渡利がぎゃいぎゃい喚く。伊達がショットガンのようなものを携帯していると気づいてから、ずっとこの調子だ。
「よし……この辺りだ」
夏目から送られてきた地図情報と見比べながら、伊達が車を停止させた。
「あの倉庫じゃねえか?」
鎌田は木々に囲まれた一角を指さした。結城が連れ去られた倉庫より一回り小さいが、人目のつきにくさで言えばさらに見つけづらい。
「作戦は?」
渡利が伊達と鎌田の顔を見比べた。鎌田は伊達を見やり、伊達は素知らぬ顔をして車を降りる。
無言のまま数十メートルを歩き、倉庫の前に立つ。
茂みの奥に一台の車が隠されている。十中八九はキョウロウのものだろう。
三人でじっと扉を見つめていると、不意に渡利がへらりと笑った。
「あえて計画を立てないっちゅう計画やな」
「悪くないね、それ。だけど、俺はその計画には参加できないよ」
伊達は一歩後ずさった。
キョウロウと伊達は、自らの命を担保にした契約を結んでいる。いくら碧海のピンチとは言え、自分の命を捨ててまで救いに行くほどお人好しではない。
車の中で、伊達は静かに語った。
――ま、責められねえわな。
自分の命が第一なのは、誰だって同じだ。
「きみたちは怖くないのかい?」
ショットガンを肩から外しながら、伊達が問うてくる。鎌田は渡利と顔を見合わせた。
「俺は怖いで」
渡利が胸を張る。
「死にたないもん」
「俺は怖くなんかないぞ」
理由は一つしかない。
「俺、強いし」
自分の実力は他の誰よりも分かっているつもりだし、だからこそ自分の腕には絶対的な自信を持っている。
鎌田は竹刀袋から、使い込まれた竹刀を引っ張り出した。パトカーが目の前で爆発したとき、堺井が飛んできた破片を叩き落とすのに使われたために、少しだけ煤けてしまっている。簡単に手入れをしたのだが、汚れを完全に落とすまでには至らなかった。
「こいつがありゃ十分よ」
鎌田はにかりと歯を見せて笑った。
伊達は口元に手を当てて笑みをこぼし、もう片手に持ったショットガンを渡利に差し出した。
「持ってるといい」
「いやや! こんなんいらん!」
「そんなこと言わ……」
「いやです!」
少ししんみりとした空気にすれば、素直に受け取ってくれると思ったのだろう。
あいにく、渡利は空気を読むタイプではない。
「ちぇ、分かったよ。ここに置いておくから、いざって時は使うんだよ」
ショットガンを倉庫の壁に立てかけ、ついに伊達は背を向けた。
「きみたちと出会えて楽しかったよ」
はなから、鎌田たちが負けると諦めているような口調だった。いや、伊達にとっては、諦めているというわけではないのかもしれない。ただ事実を告げているだけなのだ。
鎌田は、遠ざかっていく背に向かって叫んだ。
「俺は命を懸けるんだ!」
伊達は立ち止まった。
「彼は、お前が命を懸けるほどの人間なのか?」
同じ人間から発せられたとは思えない、低く威圧感のある声が問う。
鎌田は、胸の奥底から声を絞り出した。
「何言いやがる」
「餓鬼くさいと思っただけさ」
わずかに見えた伊達の横顔は、目元だけが爛々と光っている。鎌田を問答無用でねじ伏せた、圧倒的な強者だけが持つ静けさが、周りの空気を支配している。
鎌田は、一呼吸にも満たない間、無言で考えた。
「……餓鬼で悪かったな」
「俺ら、こう見えて餓鬼なんやで?」
鎌田は竹刀を肩に担ぎ、渡利は腰に手を当てた。
「けったいなこと言うとらんで、はよ帰れや」
「命に価値つけるような人間には興味ねえよ!」
鎌田は振り返りざまに扉を蹴破った。え、もう行くん、と渡利が引きつった声でつぶやいたような気がするが、気のせいだろう。
「もう死んでるかもよ?」
背後で伊達がつぶやく。
鎌田は振り返らなかった。
「構わねえ。死んでいようが生きていようが、あの人殺しの根城から引っ張り出してやる。そのために、俺たちは来たんだ」
伊達が物言わず歩き去っていく音を背に、鎌田は倉庫に一歩足を踏み入れた。
「たのもう!」
渡利が声を張り上げる。
その横で慎重に倉庫内を見回していると、心臓がどきんと強く脈打った。
「あ、ありゃあ……碧海か?」
椅子に拘束され、ぐったりとうなだれている。頭には包帯が巻かれている。途中で不慮の事故に遭ってしまったのか、それともキョウロウに何かされたのか。おそらくは後者だろう。椅子のすぐそばにレンチが落ちている。
――いや、そんなことより……!
鎌田は震える一歩を踏み出した。
碧海が着ている黒い服が、液体でぐっしょりと濡れている。
「遅かったんだ」
鎌田は呆然とつぶやいた。
――どんな顔して、竜さんに会えばいいんだよ……。
自分だって碧海を救いに行きたかったはずなのに、自分は運動音痴だからと潔く手を引いた。
鎌田と渡利を信用して。絶対に碧海を救い出してくれると信じて。
それなのに、間に合わなかった。
「くそ……」
「――しない」
「は?」
渡利が目を見開いている。彼は首をかしげる鎌田の肩をつかみ、強く揺さぶった。
「血の臭いがせえへん! まだ生きとる! 意識がないだけや!」
「本当か!?」
「ああ、間違いあらへ――」
硬いもの同士がぶつかり合う音がする。
鎌田は腰から抜いた木刀で、不意打ちを仕掛けてきたキョウロウのナイフを迎え撃った。
左手に持った竹刀を腰にねじ込み、両手で木刀に体重を乗せる。キョウロウも負けじと力を込め、鎌田の足がわずかに後退する。
――やっぱり体重差はでけえな。
このままでは顔を真っ二つに切り裂かれてしまう。
鎌田は素直に身を引き、鍔迫り合いの場から降りた。
無論、戦いの舞台から降りたわけではないことは言うまでもない。
お互いに数歩ずつ下がり、およそ三メートル越しに相対する。間合いには入っていないが、気を抜くこともできないぎりぎりの距離だ。
「よう、人殺しさんよ。ずいぶんと普通な顔してるじゃねえか」
渡利が素早く駆け抜ける気配を背に感じながら、鎌田はにやりと笑った。
実際、キョウロウは思ったよりも普通の顔をしていた。凶悪そうに歪んでいるわけでもなく、サイコパスのように冷酷な雰囲気を漂わせているわけでもない。
妻子持ちのサラリーマンと言われても納得する、普通の男がそこにいた。
――とはいえ、普通なのは見た目だけだな。
ナイフの薄い刃は、天井の裸電球に照らされて冷たく光っている。
黒いレインコートは体の輪郭を覆い隠し、微細な動きを察知されづらくしている。相手の動きを見、直感的に動く鎌田にはかなり相性が悪い。
闇のような黒い瞳は、常に鎌田を捉えている。
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