第40話 「静かなる犠牲者」
堺井はにやりと片笑んだだけで、何も答えなかった。
——三次元……。
足元の竹刀を見つめ、堺井の言葉の意味について考えこんでいると、車が甲高い音を立てて急停止した。
シートベルトをしていなかった鎌田は前につんのめり、額を座席に強打してしまった。
「痛ってえっ! おい、危ねえだろ!」
「シートベルトをしていない方が悪い……と言いたいところだが、そんな場合ではなさそうだ」
叔父の顔から笑みが消えている。
鎌田は身を乗り出し、目を凝らして堺井の視線を追った。
――あれは……パトカーか?
前方百メートルのあたりに、一台のパトカーが停まっている。ヘッドライトも車内のライトもついておらず、どうやらエンジンそのものがかかっていないようだ。車が一台しか通れない狭い道路に駐車するとは、いくら警察でも迷惑だ。せめて脇に寄せるくらいすればいいものを、車体は道路のど真ん中に居座っている。
「何だありゃ。近くで事件でもあったのかな」
「馬鹿を言え。中を見ろ」
スイッチを押し、ローライトからハイライトに切り替える。
明るい光に照らされたパトカーの運転席と助手席には、制服を着た二人の警官の姿がある。ここからではよく見えないが、一人はうつむいていて、一人はヘッドレストに頭を預けているようだ。
「二人いるのか。ってことは、張り込みか?」
一人が仮眠をとり、一人が見張っているといったところだろうか。
堺井は肯定も否定もせず、無言で車をバックさせ始めた。
「……ああ?」
あと少しで角を曲がり、パトカーの直線上から脱することができるというとき、突然パトカーのエンジンがかかった。
強いハイライトが目を刺し、思わず顔をそむける。
「まぶしいな」
「目を逸らすな! 見ていろ!」
ドスの利いた荒々しい声。鎌田は体を震わせ、フロントガラス越しにパトカーを凝視した。
「車内の様子は?」
「様子も何も、エンジンかけただけ……」
そこまで言って、鎌田は口をつぐんだ。
――動いてねえ。
エンジンをかけたからには、二人のうちどちらかが起きているはずだ。それなのに、どちらも先ほどの姿勢から動いた形跡がない。
「カメラで見てみろ」
「お、おう」
ポケットからスマホを取り出し、カメラを起動する。
画面をズームさせて車内の様子を確認した鎌田は、あまりの光景にひきつった声を上げ、スマホを取り落とした。
「し、死んでるじゃねえか!?」
「やはりそうか」
「やはりそうか、じゃねえよ、じじい! なんで死んでんだ!」
微動だにしない二人の警官は、仮眠をとっていたわけでも、張り込みをしていたわけでもなかった。
首から流れる、おびただしい量の血。
警官は、首を掻っ切られて事切れていた。
先ほどまでは暗くてよく見えなかったが、青っぽい制服が首周りから腹にかけて、どす黒く染まっている。
――首を切られて死んだって……。
黒いレインコートの男が脳裏によみがえる。碧海の首を掻っ切ろうとし、竹蔵を実際にその方法で殺した人物。さらに言えば、鎌田の自信をへし折ってくれた人物の一人でもある。
「それはあとだ。とにかくこの場を後にするぞ」
「つ、通報した方がいいんじゃねえのか」
「死者しか乗っていないはずのパトカーに、なぜエンジンがかかる? 嫌な予感がする。直接近くの交番に行こう」
鎌田は目を見開いた。警官が二人とも死んでいたことに気を取られていて、エンジンがかかったことにまで意識が向かなかった。
「ほかに誰かが……」
いるんじゃねえのか、という鎌田の問いは、パトカーのサイレンの音にかき消された。
すぐ目の前のパトカーの赤色灯が、強い光を放っている。
夜の静寂をかき消すサイレン。
タイヤがスリップする嫌な音がして、パトカーが急発進した。ハンドルをつかむ生者はいない。制御されていないパトカーは、左右に蛇行しながら突進してくる。
「おい、じじい、早くバックしろ! ぶつかるぞ!」
「間に合わねえ!」
堺井は語気も荒く怒鳴り返すと、ブレーキを踏んでシートベルトを外した。
「出ろ!」
「くそっ、早く言えよ!」
互いに毒づき合いながら、扉を開けて飛び出す。
次の瞬間、パトカーの後部が浮き上がるほど、二台の車が激しく衝突した。
「うわっ――!」
「紀之!」
車から飛び出した拍子に転倒した鎌田の上に、堺井が覆いかぶさる。普段ならこんな醜態は晒さないが、なにせ丸一日竹刀を振り続けていたのだ。車のドアを開けて飛び出せただけ上出来だろう。
衝撃が収まり、恐る恐る目を開ける。
黒煙を吐き出す二台の車が、互いのバンパーにめり込んでいた。
「マジかよ……」
「せめて亡骸だけでも回収したいな」
つぶやいて立ち上がる。と、その顔がみるみる険しくなっていた。
「紀之、ここを離れるぞ!」
「え?」
「爆発する」
「それを先に言え!」
ぼろぼろの体に鞭打ち、なんとか持ち出せた竹刀を杖代わりに立ち上がる。
堺井の肩を借りて車から離れた途端、大地を揺るがすような爆音が轟いた。
爆風に押され、堺井もろとも地面に倒れこむ。鎌田の手から竹刀を奪い取った堺井は、近くにとんできた金属片をいくつか叩き落した。
「何か、爆発の助けとなるようなものを積んでいたようだ」
「ガソリンとかか?」
休憩中に見たニュースで知ったことだが、ここから一キロほど離れた場所で爆発があったらしい。放置されていた車の給油口が開いていて、そこから揮発したガソリンが自然発火したとかなんとか。
幸い、近くには誰もいなかったらしい。
「だと思うが、なんとも言えん。四角い箱が後部座席に置かれていたのが見えたんだ」
「火薬だったりして」
「なんにせよ、二台の車を大破させるほどのものだということだ。……人間すらも、な」
堺井は炎に包まれる車を見つめた。明るい火炎に照らされるその顔は、やはり無感情である。
――だいぶお怒りだな。
剣道を始めてから、もう十年以上の付き合いである。湧き上がる怒りを必死に抑え込んでいることくらい、手に取るように分かった。普段はぴたりと宙に静止する竹刀の剣先が震えている。
鎌田は立ち上がり、堺井の隣に並んだ。火の熱が顔を焦がす。
「……じじい、警察には一人で行ってくれないか。そして、俺のことは一言も話さないでほしい」
「ナイフを持った男と、素手でお前を制圧したという男と関係があるのか」
「間違いなく」
堺井は目を細め、鎌田の顔を覗きこんだ。
「いったい何に巻き込まれてる……いや、何に首を突っ込んでる?」
「秘密」
鎌田はにべもなく答えた。さすが叔父とあって、指摘は鋭い。
鎌田は巻き込まれたというより、首を突っ込んだ立場だ。碧海が襲われたあの丑三つ時、見て見ぬふりをすることだってできた。
碧海を救い、人殺しにケンカを売ったのは鎌田の判断だ。
自分の好戦的な性格にはほとほと呆れる。嫌いではないが。
小さくため息をつくと、堺井は一歩離れて竹刀を突き出した。
「強引に聞き出すこともできる」
「口を割ると思うか?」
鎌田はにやりと笑い、剣先をつかんで横に逸らした。
「こっちもいろいろあるんだよ」
堺井は信用に値する人間だ。しかし、だからと言って当事者である碧海に許可も得ず、事件のことを話すわけにはいかない。
堺井は燃え盛る車を一瞥し、小さくため息をついた。
「できる限り言わないようにはするが、監視カメラの映像に映っていたら、お前が怪しまれるだけだぞ」
「その時は、かわいいかわいい甥を巻き込みたくなかったとかなんとか言えばいいだろ」
かわいげなどない、と鼻を鳴らした堺井は、今どき珍しいガラケーを取り出して警察に電話をかけ始めた。
せめて電話をかけ終わるまでは見守っていようととどまっていた鎌田をちらりと横目に見、面倒くさそうに手を振る。
「じゃ、頼む」
小声で言うと、堺井はにこりともせず警察との会話に戻った。
――いったい何がどうなってんだ?
頻繁にスマホをチェックしていたが、今のところ碧海たちから連絡はない。今日のところは、鎌田を呼び戻すほどの厄介事には巻き込まれなかったということだろう。
無事に一日を終えられたと喜ぶべきか、事件が進展しなかったと焦るべきか。
「まあ、なるようになるだろ」
鎌田に課せられた仕事は、己を害する敵を斬り伏せていく、ただそれだけだ。
激しい火炎を背に、鎌田は夜道を急ぐ。
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