第16話 「正義のおまわりさん?」

「伊達さん!」


 苛立ちもあらわに怒鳴ったのは、肩で息をする飯野だ。少し遅れてまったく息が乱れていない日向がやってきて、目を細めて妖しく笑う伊達をきょとんと見つめる。


「飯野さん、この方は……ああ、映像の確認を頼んだ! どうしてここにいるんです?」

「あ、きみはさっきのルーキーくんだね。飯沼くんの部下の」

「飯野です」


 息を整えた飯野が訂正する。伊達を見る目つきは忌々しげだ。


「彼が近くにいた警官に映像の確認を頼んだと聞いて、まさかと思って来てみれば……。伊達巡査、これは刑事の仕事です。首を突っ込まないでいただきたい」

「首は突っ込んでないよ。そこのルーキーくんに頼まれただけ」

「飯野さん、お知り合いなんですか?」


 お知り合いというか、相当険悪な仲に見える。いや、伊達の様子を見るに、飯野が一方的に毛嫌いしていると言った方が正しいかもしれない。


「この人は巡査の見本ですよ」

「へ?」

「悪い巡査の、です。職務中に飲酒をしたり、ふらっと現れては捜査を妨害したりと、悪行を挙げれば暇がありません。根も葉もない噂だとは思いますが、裏の輩とつるんでいるという話もあります」


 日向は目を丸くして伊達を見つめた。当の伊達は緊張感のない笑みを浮かべるばかりで、否定する様子は一切ない。


「おいおい、このおっさん、そんなにやばいやつだったのかよ」


 鎌田が呆れたように体を傾けた。


「伊達巡査、許可もなく勝手な行動をしないでください。本部に報告しますよ」

「ええ? 別にいいけど、面倒だなあ。……あ、そういえば」


 伊達はぽんと手を打った。


「映像に怪しい人は映ってなかったよ。正面のも、エントランスのも。強いて言うなら、こわーい顔をしたスーツの男が寮に来たことくらいかなあ?」

「なんですって?」


 飯野の眼鏡がきらりと光る。


――…………。


 何も言わずに目を細めた碧海をよそに、伊達はうさん臭い笑みを浮かべながら続けた。


「うん、面長で眼鏡をかけてて、若者を引き連れてて……」


 どれもこれも飯野の特徴だ。

 からかわれていることに気づいた飯野は怒りで顔を真っ赤にし、扉を指さした。


「所属の交番へお戻りください。今回の件は報告させていただきます」

「分かった分かった、まったくユーモアがないなあ」


 伊達はこめかみを掻くと、思わせぶりに碧海を見てから横をすり抜けていった。

 ふと手に違和感を覚え、碧海は自分の手を見下ろした。


「けったいなやっちゃ」


 渡利がふんと鼻を鳴らす。伊達の無邪気で陽気な性格は渡利に似ていなくもないが、どうやら印象は最悪だったようだ。ある種の同族嫌悪かもしれないが。


「次、伊達巡査が来ても門前払いしてください」


 飯野が子供をしかりつけるように人差し指を立てる。伊達のことを嫌うあまり、彼が何をしにこの部屋を訪れたのかまでは訊く気がないようだ。


 肩を怒らせて部屋を出ていく飯野と日向を見送り、鎌田は竹刀をベッドに放った。


「なんだったんだ、今の伊達ってやつは。ただの酒好きのおっさんか?」

「どうでしょう。……ただ」


 神楽は扉に目を向け、警戒心で飽和した声で告げた。


「飯野刑事が言ったことが事実だとして、伊達巡査はそれでも解雇されていないということになります。なにかコネがあるのか、それともああ見えて敏腕なのか」

「……もし敏腕なんだとしたらさ」


 鎌田がベッドに座りながら言う。


「碧海を襲ったやつは、警察にコネがあるのかもしれねえって話だったよな。あの伊達ってうさん臭えおまわり、警察を解雇されてねえのはそういうやべえやつと繋がりがあるからなんじゃないか? 飯野が言ってたろ、裏の輩とつるんでるってさ」


 平時なら考えすぎだと一蹴するような推測だ。

 だが、今は平時ではない。


 鎌田は仏頂面の渡利の方へ顎をしゃくった。


「渡利が珍しく嫌ったのも、そういうのを感じとったのかもしれねえぜ。こいつはいやに勘がいいからな」

「俺、あいつ嫌いや。なに考えとるか分からん」


 渡利の勘働きはあながち馬鹿にできない。元管理人である加藤がいい例だ。渡利は入居した初日から、まだ何も知らない加藤を毛嫌いしていたのである。結局、その加藤は女子寮での盗撮に手を染めていた。


「だとしたら、もっと気をつけなきゃならないぞ」


 謎の襲撃者の方はまだいい。あの男はひっそり寮に侵入するしかなく、その方法や時間帯は限定されている。来ることさえ分かっていれば、ある程度の対策のしようがあるのだ。


 ところが、伊達は違う。巡査とは言え、立派な警察関係者だ。顔を隠すことすらせず、警察手帳を片手にこの部屋にたどり着ける。


「ちょっと考えさせてくれ……」


 碧海はこめかみを押さえながら弱々しくつぶやき、ベランダに続くガラス扉を開けた。心臓のあたりがきゅっと痛むほどの冷気が吹き付ける。

 手を伸ばしてベッドのわきに吊るしていたマフラーを手に取り、碧海はベランダに出た。


――三人が危ない……。


 このまま碧海が寮に居続ければ、いずれ三人にも危害が及ぶだろう。

 現に、つい先ほども鎌田が巻き込まれた。彼に至っては二度目である。相手が碧海を襲ったあの男のような手練れでない限り、そうそうやられはしないだろうが、いつ怪我を負わないとも限らない。

 どれだけ強かろうと、不死ではないのだ。


 そんな状況下で碧海ができることは、ただ一つ。


「出るしかない」


 この寮を一時的に離れる。いま思いつくものはそれしかなかった。ある程度の警備が保証されている寮から出るということは、碧海を狙う者たちに襲ってくださいと言っているようなものだ。

 しかし、ほかにどうしようもない。


 鎌田ならあるいは、襲撃があっても返り討ちにできるだろう。神楽は機転が利くし、渡利は自慢の聴覚であの男が近づく前に逃げおおせるかもしれない。

 が、限界はある。

 どれだけ対策を立てようと、すべては机上の空論に過ぎない。


「…………」


 背後で三人がなにやら話しているのが聞こえる。神楽と鎌田は身振り手振りを交えながら会話し、渡利は首をかしげながら二人の話を聞いている。

 ときどき案ずるような視線を感じたが、碧海は一度も振り返らなかった。


――だけど、寮を出てどうすればいい?


 寮を出ることは簡単だ。適当な理由をつけて届け出を出せばいい。期限を記入しなければならないが、もし長引くようなら追加で届け出を出せば済む。


 問題はそのあとだ。鎌田にも話した通り、碧海の帰る先は兵庫にしかない。新幹線で六時間、飛行機を使ってもいい距離だ。飛行機のチケットをホイホイと取れるほど、碧海の財布は充実していない。


「考えろ」


 頭痛と寒さに襲われながら、碧海は必死に思索を巡らせた。

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