第5話 経過、そして把握


 あの日から1週間が過ぎた。

 奈留はいまだに目を覚まさない。

 柚月は奈留の顔を水で濡らしたタオルで優しく拭いてやると、わきに置いてあった櫛を手に取った。


 本当は包帯替えなどもやってあげたいのだが、全くの素人が好き勝手触ってしまうと却って容態が悪くなる可能性が高いため、できない。

 今は寺の男性が面倒を見てくれている。


 その人は周りから僧正そうじょうと呼ばれている。

 黒い短髪に赤い切れ長の眼を持つ男の人で、ぱっと見きつめの印象を受けたが話してみるととても穏やかな人だった。

 年のころは50歳くらいだろうか。中高年のおじ様という言葉がとてつもなくしっくりくる。



 一日に二度、朝と晩に検診に訪れる彼の横で妹の様子を伺うのにも微笑んで迎えてくれた。

 今日も僧正を待っていると、ゆっくりと襖が開き入ってきて隣に腰を下した。



「おはよう、柚月くん」

「おはようございます! 今日もよろしくお願いします」



 持ってきていた医療道具を式布の上にカチャカチャと音を立てて使うものを並べていく。

 包帯、絆創膏、ピンセット、消毒液、その他もろもろ。



『――』



 彼は毎回、奈留の様子を見ながら体の上に手を置いて何事かをつぶやき処置を始める。

 そうすると奈留の体の周りがぼんやりと明るくなり、一瞬体から黒い靄のようなものが出てきていたような気がした。



 ……本当に一瞬のことなのでもしかしたら自分の瞬きがそう見えていただけなのかもしれないが。



「もう1週間になるね。あと数日で火傷はもう治りそうだ。うん、跡も残らなさそうだよ」



 そう言われてみれば、体や顔に負っていた火傷は驚くことに既に薄くなってきており、体に巻かれていた包帯が取れるのも時間の問題だろう。

 奈留の回復能力がすごいのか、はたまた彼の治療がすごいのか。



(恐らくは後者なのだろうな)

 そうでなければ奈留が人間離れした存在となってしまうので後者であってほしいという思いもあった。



「ただ、やはり問題は目の傷だね」


 奈留の目の傷は車から振り落とされたときに割れたミラーで切ったもののようで、これに関しては術が使えずに自然治癒力に頼らざるを得ないらしいのだ。



 あの異形――確かおにと言っていたーにつけられた傷なら術で治せるのに、どうして普通の怪我だと治せないのか。

 そんな気持ちばかりが募るが自分ができることもない今、柚月は目覚める気配のない妹を見ていると胸ばかりが痛んだ。




 代わってあげられるのならば代わってあげたい。

 けれどもそれはできない。

 それでも妹のためにできることをやりたい。

 そんな思いで柚月は今日も奈留の顔に張り付いた髪を櫛で取り払ってやるのだ。




 奈留が起きるまでずっとそばにいたいが、柚月もけが人であるということは変わりなく、体中打ち付けた場所が痣となっていて地味に痛い。

 そんな状態で休みもしないのはかえって妹の負荷になるのではないか、と澪に言われたときは思わず口ごもったほどだ。

 初日にそれを言われたとあっては自身も休まざるを得なかった。





 柚月は朝の見舞いを終えると、自身に振り当てられた部屋へと戻っていく。

 奈留の治療が6時から行われるため、時刻はまだ6時20分過ぎくらいだろう。寺の朝は早いのだ。

 まあ、寺にいるほかの人のように朝の修練などは行っていない分、一番ゆっくりと寝ているのだが。



 その途中、広い縁側で彼を待っていたように座って足をぶらぶらと揺らしている澪に呼び止められた。


「おはよう、よく休めたかな」

「おはようございます」

 澪は立ち上がると柚月をなめるように見回す。

「うん、怪我の具合もよくなっているしちゃんと休んでいるみたいだね」




 彼女はここ2日姿を見せなかった。

 どうしたのかと僧正に尋ねると、仕事に出ていると返された。

 仕事というと、あの化け物……隠と戦いに行っているのだろう。


 昨日の夜はまだ帰ってきていないようだったから、今しがた帰ってきたところだろうか。

 けれどもそれを微塵も感じさせないほど全く汚れていなかった。



 今日はあの日の狩衣のような装束ではなく、黒のフレアスリーブのブラウスに膝下までの生地の異なる黒いフィッシュテールのスカートをハイウエストでベルトを締めている。

 左側の肩口からはマントのようなひらひらした長い布が付いていてどことなく軍服のような雰囲気の格好だ。


 袖口やブラウスのボタンライン、そしてスカートの裾にあるラインは白金で統一され、ちらりと言えるスカートの裏もどうやら同じ色で染められているようだ。

 トップスの下には黒のインナーを着ているようだが、真冬にもかかわらず半袖で寒くないのだろうか。



 柚月は思わず腕をこすった。

「おかえりなさい、お仕事に言っていたんだよね?」

「ただいま。そうだよ、早く帰りたくてダッシュで終わらせてきたんだから」

 澪はぱたぱたと手で顔を仰ぐ仕草をした。



 ダッシュできたという割には息切れも起こしていないし汗の一粒もかいていない。それに2日も外出していた割に隈もできておらず健康体そのもののようだった。


「あの化け物……隠? と戦ってきたの?」

「うん、それも何件かはやってきたけどそれより書類整理が大変でさ~。まいっちゃうよね。年の瀬は特になぁ」

 全く堪えていないような口ぶりだったが、疲れはあるようで肩をトントンと叩いてもともと座っていたところに座り直す。



「まぁそんなことより」

 澪は柚月を手招くと、縁側に座るように勧めた。

 彼女の手元には急須と二つの湯呑を乗せた盆があり、コポポと音を立てて注がれるお茶は暖かな湯気を上げている。


「寒いでしょ。飲みなよ」

「あ、ありがとう」

 一口含むとお茶のほのかな甘みを感じられる柔らかい口当たりの緑茶だった。


 寒さと今日も妹が目を覚まさなかったことへの不安感が和らぐ。

「美味しい」

「それはよかった」



 澪も湯呑に口をつけてぼんやりと外を見ている。



 同じように外を眺めてみるとようやく朝日が昇ってくる頃だというのに朝日が差し込む様子はなく、曇天だった。

 寒さも強いし、雪でもふるのかな。



 そんなことをぼんやりと考えていると、ふと気になったことがある。

「…ねえ澪ちゃん」

「…ん?」

「あのさ、隠って、その…なんなの?」

「何って?」


「えっとどういうやつなのか知りたくて。よく童話とかに出てくる頭に角の生えた鬼のことではないんだよね?」

「そうだね、童話に出てくる鬼とかは妖怪の種類としての鬼ね」

「?」

 澪の言うことがよくわからずに首を傾げていると、くすくすと笑われた。

 解せぬ。




「それにしても唐突だね、どうしたの? 」

「だって、相手を知らないとどうやって強くなったらいいかわからないし、僕たちを襲った奴だけじゃないんだよね? 」


「……そうね。たくさんいるよ。私たちが生まれる20、30年くらい前まではあまり公になってなかったみたいだけど。本当はもっとずっと前から存在していたんだけどね」

 ずずっと茶を啜り、真っ直ぐ庭を見つめている澪の感情を読み取ることができない。



「寺の人には聞いてみたの? 」

「聞くには聞いたんだけど……」

 実は聞いたことは何度かあった。けれどもそのた度に上手く逃げられていた。

 ふっと笑う気配を感じて澪を見る。


「分かるように教えてくれなかったか」

「……うん」

 ある程度予想していた答えだったようだ。





 澪は湯呑を置くと少し笑った後真剣な表情になる。

「それを知ると因果がめぐるけれど、いいのね? 」

「いんが?」


「そう。存在を認知してしまえば存在を肯定することになる。

 隠は存在を認知されればされるだけ強く厄介になる。そして存在を深く知れば戦うことを避けられなくなる。それが因果。それでもいいのね」


「……」

 少し考えてみる。隠を知れば隠と戦うことが避けられなくなるというのはむしろ望むところだ。



 何しろ両親も亡くなり、妹も今現在も治療中なのだ。当然仇をとりたいと思うし、奈留を守れるなら自分は強くならねばならない。



「僕は奈留を守りたい。だから隠とも戦えるようになりたいんだ」

 真っ直ぐに澪を見つめ、告げる。

 数秒見つめ合う形となったが、やがて澪の顔から力が抜けた。



「…そう。わかった。決意は揺らがないのね」

 何故だか少し寂しそうに微笑んでいる。

 だがそれも一瞬で、次の瞬間にはいつもの笑顔へと戻っていた。


「じゃあまず、隠っていうのはどういう存在のかを説明しないとね! とその前に、今日は結構寒いからあまり風に当たるとよくないね。中に入ろう」

 そう言われ、縁側から柚月の部屋へ移動する。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る