第3話 起床、そして焦り


 次に柚月が目を覚ました時、彼の目には見知らぬ天井が映っていた。

 和室の天井のようで、いくつかの大きな梁が走りその間には亀らしき動物の絵が描かれている。

 体は柔らかく肌触りの良い布団に寝かされており、お寺などでよく香ってくるほのかに甘い香りが鼻を擽った。



(ここはどこだろう? 僕はいったい何をしていたんだっけ? 確か……家族で車に乗ってお寺? に行こうとしていた。それで……)



 鈍く痛みを訴えてくる額を寝転がったまま摩って記憶を思い起こす。


(途中から母さんと父さんが何か焦った声で……そうだ。僕たちは怪物にっ)



 そこまで思考が覚醒すると、焦ってガバリと体を起こし、辺りを見回した。

 柚月は年齢の割に妙に思考が大人びている子供であった。

 そのことが幸いし、自分が置かれている状況を正しく把握しようとしたのだ。



(奈留は!? 無事だろうか……怪我はどうなった?)


 部屋をくまなく探すけれども部屋で寝かされているのは自分だけであるようで、不安ばかりが募っていく。

 居ても立ってもいられずに、柚月は立ち上がって探しに行こうと閉められた襖へと近づいた。



 その瞬間、今まさに開けようとしたその襖が開かれた。


「「えっ」」


 二つの声が重なり、柚月は勢いのままに開かれた襖の奥にいた人物にぶつかった。


「おっと、大丈夫?」


 けれども上手く受け止めてくれたようで、思っていたほどの衝撃はなかった。

 恐る恐る目を開けると星空を閉じ込めたような蒼い瞳がこちらを見ていた。

 右腕で柚月の肩を抱き留め、左手にはウサギ型に剥かれた林檎の入った皿と湯呑が乗せられた盆を持っている。

 柚月が思いっきりぶつかったにもかかわらず湯呑から零れた様子はなく、がっちりと支えられて転ぶこともなかった。


「ご、ごめんなさい!」


 柚月は自分がぶつかったと理解すると、慌てて体を離し頭を下げた。


「すみません、妹が……見当たらなくて、それで僕、探そうと……でも、ここがどこかもわからなくて、えっと、その……」

 言いたいことも聞きたいこともたくさんあるというのに、うまく言葉が出てこない。

 不安と心配で言葉尻もしぼんでいき、ついにはうつむき黙り込んでしまった。



「ふふ、そんなに焦らなくても大丈夫だよ。ゆっくりで構わないから、とりあえず落ち着きなさいな」

 蒼い瞳の女は気を悪くした様子もなくゆっくりとした口調でそう言い、柚月の肩をポンと叩く。

 たったそれだけのことなのに柚月の心をかき乱していた焦燥感が不思議と消えていた。



 ぽかんと口を開けながら女の顔をじっと凝視するが、女は日溜りのような微笑みを向けてくるのみだ。

 何故だか、その微笑みを見ていると先ほどとは全く違う涙が出てきそうだった。



 だが、彼にはその感情を言い表すことはできなかった。

 例えるのなら昔から使っているお気に入りの毛布にくるまれたような、大きな安心感を覚えたのだ。

 自分のペースを丸ごと彼女に持っていかれて、無理やりにでも落ち着かされるような変な感じだ。


 吸い込まれそうな青褐色をずっと待ち望んでいたような、けれどもどこか違和感があるような、そんな不思議な感覚を覚えた頃、女は口を開いた。




「落ち着いたかな? じゃあ改めて。私は薙入ないりれい。君も見たと思うけど、おに、つまるところ異形と戦う仕事をしているよ。よろしく。とりあえずこれ、置きたいから一旦部屋に入ってくれないかな」

 にこりと柔和な笑みを見せると手に持ったままのお盆を軽く上げた。


 そういえばずっと持ったままで話していた。

「あ……はい」

 部屋へ入れるように半身をずらすと、ありがとうと言って布団が敷いてある場所へと向かっていく。


 柚月にとっては明らかに非常事態だというのにいまいち緊張感を持ちにくい。

 先ほどの言葉にも聞きたいことがあったはずなのに聞けずにいる。

 恐らくだが、澪と名乗ったこの女性の持つ独特なリズムにつられているのだろう。



「君、体は大丈夫?」


 かちゃりと食器を下ろしながら尋ねられる。

 問われてから体を摩って確認してみるが、起き抜けにあった頭部の痛みも気が付かないうちに消えていた。

「……うん。どこも痛くない」

「そう。それはよかった」



 こちらを振り返り微笑む女性に、今なら話を聞いてもらえるのではないかと気になっていることを訪ねようと口を開く。

「……おねえちゃんは」

「澪よ」

「え?」

 言葉を遮られたことに柚月は瞬きをし、思わず澪の顔を見つめた。



「澪、よ」

「……」

 彼女は再び自分の名を口にした。いまだに微笑んではいるのだが、澪と呼べと言われているような視線の強さを感じる。


「……れ、澪ちゃん?」

 柚月は空気を読むのも上手かった。


 途端に今までよりも一段と嬉しそうに微笑まれる。

 どうやら正解だったようだ。

「なあに?」

「あ……えっと。ここはどこなの? 妹もここにいるの? 何か知っていたら教えてほしいんだけど」



 柚月はまご付きながらも一番気になっていたことを口にした。一つ疑問を口にすれば様々な疑問が生まれてくる。

 そうだ。両親のことも、襲ってきたあの異形のことも、自分は何一つ知らない。



「ああ、そういえば説明がまだだったね。ごめんごめん。私はね、君の妹のことも含めて話をしようと思ってここに来たの」

 澪はその特徴的な瞳を柔らかく細めるとゆっくりとした口調でそう言い、柚月に布団に戻るように促しながら自身も畳に腰を落ち着ける。

 長話でもし始めそうな雰囲気を出す澪に、今すぐにでも妹を探しに走りだしたい柚月は布団に戻るのを戸惑った。



 だって今、澪は妹のことも含めと言ったのだ。


 ――妹のことを知っている


 それは柚月にとって何よりも気になっていることで、妹がいるのならすぐにそばに行きたい。

 そう思ってしまうのは仕方のないことであった。


「あ、あの」

 服の裾をぎゅっと握りしめる。

「……うーん。君、名前は?」

「え」

「名前」

「……天見柚月です」

「柚月、か。……うん。じゃあ柚月、妹には後で合わせてあげるから一先ず座りなさい」


 いさめるような口調でポンポンと布団をたたく澪に、無言で抗議の眼を向ける。

 それに気が付いたようで肩をすくめられた。


「君も怪我を負っているんだよ?」

「痛くないよ」

「痛くないって、君ねぇ……」


 頑として動こうとしない柚月に澪は折れたように溜息をつく。


「……はぁ、しょうがないな。これじゃ休めと言っても聞かないだろうね。まあいいや、先に妹の状態を先に教えようか」

「! やっぱり、妹を知っているんだね? 奈留は? 大丈夫なの?」


「無事だよ。君たちをここに連れてきてからずっと治療していてさっき終わったところ。今は別の部屋に寝かせているの。

 大体の傷は見た目よりは酷くないし、そのうち治っていくだろう。右半身に広範囲の火傷を負っているけれど、それももう処置はしたし安静にしつつ治療を続ければ治らないものじゃない」

「本当!? ……よかったぁ」



 柚月の記憶が正しいのならば奈留は車から一緒に放り出されたとき、異形に右半身を触れられていた。

 とっさに振り払ったようだったが、その際の妹の絶叫が未だに耳に焼き付いている。

 自分が妹に駆け寄った時には自分が見ても大怪我と言える傷を負っていたのだから、自分の怪我よりも気がかりで仕方がなかった。



 妹の無事を聞いた途端、体から力が抜けていくのを感じた。

 生きていてくれたと、安堵感が胸に広がる。

 へたりと床に座り込むと余計に安堵で涙が滲んできた。


(生きていてくれた……!)


 澪は数秒そんな柚月を見ていたが、一つ息を吐くと再び布団へ戻るように催促する。

「さて、さっきも言った通り痛くないといってもダメージが残っている。今は一先ず布団に戻って休みなさい」

 今は痛くないと言っても柚月も擦り傷や切り傷、そして精神へのダメージが残っているのは明白だった。

 医者が見てもしばらくは安静にゆっくりと休むことを推奨されるだろう。



 だが、当の柚月は一時的な痛みの麻痺を起こしているのか、休もうという姿勢を見せなかった。

「え?でも……一目でも奈留の顔が見たいです。……駄目ですか」

 柚月は潤んだままの瞳をそのままに顔を上げると、澪は一瞬体を固くしたようだった。


「うーん、やめておいたほうがお互いにいいと思うけれど……」

 彼女は頬を掻きながら逡巡しているようで、うんうんと唸っている。



 何か問題があるのだろうか。

 収まったはずの不安に再び火がついてしまう。

「僕なら大丈夫! どこも痛くないよ。お願い、妹に会わせて! 」

 一目でもいいから妹の姿を見ておきたかった。


 澪にその青い瞳でじっと見つめられるが、柚月もここは譲れない。


「……」


 じっと彼女を見つめ続けると、やがて諦めたように眉を下げた。


「……はぁ、わかったよ。ただし5分間だけ。それから絶対に部屋の中で泣かないこと。泣いたら術が壊れるからね。それができるのなら付いてきなさい」


 術というものが一体何なのかはわからないが、要は妹は大丈夫だと信じればいいだけの話だ。

 柚月はすがる思いでお礼を言った。

「ありがとうございます!」


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