第2話 遭遇、そして奇縁
月明かりも届かない暗い木々の中を、少年は走っていた。
歳の頃は十歳程度だろうか。まだ幼い顔には焦りと恐怖の色が滲んでいた。
その背中には目元から血を流し、ぐったりとした少女が背負われている。
よく見るとその服や皮膚には火傷や切り傷の跡も見られ、呼吸もとぎれとぎれになっていることがわかる。
少女の容態は、誰が見ても重態のそれだった。
「しっかりするんだぞ
奈留と呼ばれた少女は少年の妹のようで、背を明るく照らす炎の明かりから逃げてきたのだった。
少年は足を止めてしまえば、そこから湧き上がって来る恐怖と疲れで歩くことすら叶わなくなるとわかっていた。
だから少年は当て所も無くただひたすらに走り続けていたのだ。
やがて月明かりが見える開けた所にまでやってきた少年は、けれどもその顔を絶望色に染めて立ち止まった。
「そん、な」
彼の目の前には、先程逃げ出した場所と同じような崖が続いていた。
月明かりがあっても崖上など見ること叶わず、小さな子供のなけなしの希望などすぐに折れてしまう。
少年はフラフラと覚束ない足取りで崖へと近づくと、やがてペタリと地面にしゃがみ込んでしまった。
どうすればよいのだろうか。疲れた頭で考えようとしても解決法など思い浮かぶわけもなく、少年は妹を背負ったままただ崖を眺めていた。
ふいに座り込む少年の背に付き纏う様な気持ちの悪い湿った風が吹き、少年はビクリと体を震わせた。
ツンと鼻の奥を刺激する悪臭が立ち込め、少年は眉を顰める。
彼の頭には先ほど崖で見た、信じ難い光景が鮮明に映し出されていた。
それは自分たちの乗っていた車を襲撃した、思い出すのもおぞましいナニカ。
あれが自分の背後から迫っているのだろうか。
ならばせめて妹だけでも庇おうと、背負っていたのを抱え込む様に体制を変え振り返る。
「っあ、……あぁっ」
目に飛び込んでくるのは彼が予想した通りの光景だった。
千切れかけの角度の可笑しな手足をバタバタと蠢かして胴体を引きずりながら木々の隙間から顔と思しき部位を少年へと向けている異形。
やはり悪臭はそれから放たれ、胴体も手足も顔も識別が困難なほど爛れているのか肉の焦げる嫌な臭いが近づくほどに強くなる。
異形は少年を見つけたのか、顔と思われる部位をにちゃと歪な音を立てて声とも呼べない唸りを響かせた。
「っぅ」
少年は吐き気を催し涙を浮かべたが、妹を庇う様に覆い被さりキッと異形を睨みつけた。
異形は気味の悪い動きで月明かりの元へと出て来ると、少年へと腕を伸ばす。
少年の視界が自分の何倍もある大きな異形の手でいっぱいになり、ぎゅっと目を瞑った刹那、とてつもない轟音と地響きが辺りに響いた。
「!?」
恐る恐る目を開けると先ほどまで至近距離にあった異形は見当たらず、代わりに視界に広がるのは辺り一面に上がった土埃。
何が起こったのか分からずに瞬いていると、ふわりと降りて来る影に気がつく。
視界に広がったのは、白。
白く長い髪は無造作に背へと流され、白い狩衣の様な衣に身を包みそこから覗く肌もまた白く、月明かりに照らされ輝く様だった。
視線を下ろすと、手には玉の飾りが施された薄黄緑色の光を纏う大弓が握られている。
その弓は今しがた射ったのだろうか、弦が小刻みに震えていた。
実際に異形へと矢を放ち、数百メートルも吹き飛ばし突き当たりにあった大岩に異形を縫い付けていたのだが、少年はあまりに目まぐるしく変わる状況に異形のことなど忘れていた。
「……神、さま?」
思わず口からこぼれた言葉に反応したのか、白はゆっくりと振り返る。
少年の目に映ったのは、大きな蒼い瞳に星を散りばめたような輝きをもつ女。
目と目があった瞬間少年は何故か少しの懐かしさを覚えた。
女は優しく微笑むと鈴を転がすかの様な声でゆったりと「やあ、元気?」と場違いな言葉を放った。
その言葉は余りにも平穏な日常のもので、少年の気を抜くには十分すぎた。
少年はその場違いさに瞬くと、「いや、元気ではないです」と律儀に返答して妹と折り重なる様に失神したのだった。
これが少年、
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