第19話-2

 光葉の士気はこれ以上なかった。誠のダブルプレーで手放した流れを、田中の投球が再び手繰り寄せた。円陣を組み、紫乃から打倒・二階堂の策を授かり、迎えた二回表の攻撃。


 二階堂の圧巻のピッチングに、三者凡退を喫した。


「切り替えろ。そう連打できる投手じゃない。ワンチャンスをどれだけ作って、どれだけものにできるかだ。まずは裏の守備、きっちり三人で終わらせて来い!」


 紫乃の檄に、客席中へ轟くような返事が重なった。その直後である。田中がこの回先頭の五番打者、有田に三塁打を被弾したのは。持ち球にフォークがあると露呈した今、迅速な桜火ベンチの対応に田中は為す術なく捕まった。この回の失点は許されないと分かっているからこそ、慎重な配球が二つの四球を招き、無死満塁から――八番・ピッチャー、二階堂。


 常人なら胃に穴が空くような場面でも、田中は真っ向から二階堂を睨みつけていた。


 後ろに逸らせば即失点。フォークは投げづらい。――相方が、並のキャッチャーならな!


 バットが二連続で空を切った。体勢を崩した二階堂の目が困惑に揺れる。


 ノーアウト満塁で、二球連続ワンバウンドのフォーク……二階堂は生唾を飲んでマウンドを見つめた。黒い炎のような田中の眼光が、高みから二階堂を刺す。


「……どんな心臓してんの、この人」


 浦島に強心臓と言わしめた二階堂さえ、田中の狂心臓にはドン引きするしかない。


 田中はボール球を三つ投げられる。ここから更にフォークか。裏をかいて直球勝負か。絞るのは不可能な二者択一。たとえプロでも、十対ゼロでは絶対に割り切れない局面。


 低めを走ったストレートに、二階堂の反応が遅れた。当てただけの打球が三塁線へ弾む。


「ホーム!!」


 田中と佐藤が同時に叫ぶ。力ない打球に対して走り込む三塁手、誠の横を、俊足の三塁ランナーが駆け抜けていく。間に合う。本塁でのゲッツーコース。捕球し、素早く投げた球は――ホームベースを踏む佐藤の遥か頭上へすっぽ抜けた。


 歓声が悲鳴に、悲鳴が歓声に。渦巻きうねるスタジアムのホームに三塁ランナーが飛び込んだ。痛恨の二点目、タイムリーエラー――誠は膝をつき、立ち上がれない。


「うわぁー……あいつ、戦犯じゃん」


 混沌とするスタジアムの喧騒の中でも、そういう声だけは突き抜けて耳に飛んでくる。

「す……すみません、田中さん、俺」


 悲壮な顔でマウンドにやってきた誠の頭を、田中は自分の帽子でぺちんと叩いた。


「俺が先頭打者ホームランくらったとき、お前に謝ったか?」


「え……?」


「同じ一失点だろ。いちいち謝んな」


 誠は唇を引き結び、頭を下げて守備位置に戻っていった。人づきあいが苦手で、自分からは滅多に話しかけてこない誠が、あんな顔で謝りに来たら田中も責められない。


 なおも無死満塁。誠のためにも、もう絶対に点はやらない――田中と佐藤の思いが共鳴し、選択した球は、桜火ベンチに完全に読まれていた。――初球、フォークを叩け!


 ここが勝負を決する瞬間と見切った浦島のサインに、九番・沖野が完璧に応えた。



 快音残し、鋭い打球が三遊間へ。普段なら、反応できていただろうか。いつもより体は重く、打球が速く見える。唸りながら飛び込んだ誠のグラブを、白球は無情にも潜り抜けた。


 地面に這いつくばりながら、誠は見た。


 駿馬のように足を回してぐんぐん加速し、バネのように真横へ弾けた遊撃手のグラブが、深いところを駆ける打球を掴み取る瞬間を。


 立ち上がるのもそこそこに、苦しい体勢を強靭な体幹で支え、二塁へ爆肩炸裂。受け取った加賀美もまた、華麗な跳躍でランナーのスライディングを飛び越え、一塁へ送球。懸命に手と足を延ばした山本のグラブが、全力疾走するバッターランナーを一寸差で上回った。


 この試合二度目となる、二遊間のダブルプレー。その隙に三塁ランナーはホームを踏んで、桜火に三点目が入ったが、三人いたランナーは全て清算された。誰にも文句のつけようがない、チームを救うファインプレーだ。


「くっそー、二遊間かてぇー」


「ショートのやつ、練習試合んときの爆肩キャッチャーだろ」


「短期間で化けたなぁ」


 桜火選手の目さえ奪う要の肩と運動センス。誠はよろめきながら立ち上がり、隣を守る要の強烈な輝きに目をくらませた。


『違う! もっと打球の正面に入って、膝を柔らかく、姿勢はこう!』


 要が内野守備を教わりにきたとき、「夏生のキャッチャーは諦めたのかよ」なんて憎まれ口を叩きながら、誠は丁寧に指導した。同い年の友人だということを忘れそうになるくらい、真剣な眼差しで傾聴し、教えたことをスポンジのように吸収して、しまいには生意気にも「俺は必ずしも正面で捕る必要はないと思うんだけど、誠はどう思う?」なんて意見までぶつけてくる要は、とにかく教えていて気持ちのいいやつだったから。


「ナイスガッツ、要」


 投げた体勢で転がったままの要に手を貸して誠が言うと、要は溌溂と次のように言った。野球が楽しくて仕方がないというような笑顔で。


「誠が教えてくれたおかげだ!」


 夏生が前に言っていた。要といると、たまに自分の醜さが嫌になるって。とても、分かる。


「……あんなファインプレーは、教えてねえよ」


 素直に祝福もできず、誠は唇を噛んで守備位置へ引き返した。

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