第16話-3

 その後はちょっとした騒ぎになった。


 夏生を保健室に送ってから、要が西の件を職員室に報告に行った。西はひとまず担任に連れられて病院へ。要は聴取のため午後の授業に出られなかった。西は治療を受けた後で教員からの取り調べを受け、行いを認めたという。鼻と顎の骨折という大怪我だったが、駆け付けた両親は事情を知るなり、要に対してなんの処分もしないでほしいと懇願したそうだ。


 一方、当然だが激怒したのは夏生の両親だ。特に父親は「殺してやる」と飛び出す寸前だったようで、夏生の説得でギリギリ持ちこたえた。西の両親は直接謝罪に行かせてほしいとのことだったが、「もう思い出したくない」という夏生の意思を尊重し、夏生の両親が断った。


 結局警察沙汰にはせずに、西の退学処分と、二度と夏生に関わらせないという念書で双方合意、事件はひとまず決着した。爽介や誠、野球部の皆には、心配をかけるので話さないでおこうと決めた。それから――とある「契約」を交わした。



「甲子園に行く。それまで、付き合わない」


 交際しながらこれまで通り野球に集中できるヴィジョンが、二人にはまるで見えなかったからだ。三年生最後の夏、浮かれていていいわけがない。なにより、二人の約束のためにも。


「スイッチみたいに、切り替えれたらいいのにね。野球スイッチと、要スイッチ」


「要スイッチってなんだよ」


「オンのときは、要のことだけ考えてるの。で、野球が始まったらオフにする」


「できんのか。俺も一緒に野球してんのに」


「できないから言ってんじゃん! ボクら、そんな風に器用にはできない。だから――この夏だ。この夏、甲子園に行こうよ」


 元々これ以上ないと思っていたモチベーションのボルテージが、夏生の言葉でぶっ壊れるくらい振り切れたのだった。



 数日後、県営上田野球場で行われた夏の長野大会二回戦、光葉高校対秀明館の一戦は、歴史的な結末を迎えた。


『魂の一二二球 古豪・秀明館相手に女子投手が完投勝利』


 かつて春の甲子園に出場した実績もある秀明館を相手に、夏生が六安打二失点で九回完投勝利を果たしたのである。


 別人の投球だった。初回から、ランナーを許しても粘り強く投げ続け、球速は自己最速の一一八キロを記録。直球の球威も制球も冴え渡り、加えて左打者にはスライダー、右打者にはスクリューが効果的に刺さった。何より、気迫。これまでの懸命で余裕のない表情は消え失せていた。精悍に打者を睨み、捕手を見つめる眼差しは戦士のそれに他ならない。まるで、彼女自身が無意識に押さえつけていた潜在能力が、一息に解き放たれたかのようだった。


 要は捕手として先発出場し、夏生と長い九回を守り切った。灼熱の中、体も頭も熱暴走を起こしながら、互いに目で励まし合い、死に物狂いで二十七個のアウトを取り切った。夏生とだからできたのだ、と心から要は思う。


 試合中、二人はこれまで通りの戦友であり続けた。しかし、夏生が最後のバッターを打ち取った瞬間、要だけに見せた笑顔は、あれは今までにない特別な表情だった気がする。


「化けたな、一条」


 試合後のミーティングで、紫乃が歯を見せて笑い、乱暴に夏生の頭を撫でた。


「素晴らしい一二二球だった。――繋いだな。こんなにスピードの乗ったバトンを渡されて、奮い立たない奴は男じゃねえよ」


 紫乃に言われるまでもなく。田中、塁――次の試合を任された二人の投手は、静かにその目を燃やしていた。


 二日後、夏の長野大会三回戦。光葉高校は、長野最強の名門、桜火高校と対戦する。

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