第15話-1
梅雨が明けた。
包囲するような蝉の声。半袖の制服。制汗剤の匂い。空の蒼、山の青、海の
夏の長野大会一回戦。光葉高校対東城高校の試合は、松本市野球場より、二試合目、炎天下のプレーボールとなった。
「一回戦から地元の球場で試合できるなんて、ラッキーだな」
「気ぃ抜くな。絶対に先制点とるぞ」
「
試合前の円陣で、東城高校野球部主将、
東城は先攻。威勢よく一番槍が打席に入り、マウンドで仁王立ちする光葉のエース――信越の怪童、姫宮塁と相対す。四番の酒井は一度ベンチに戻り、マネージャーであり恋人でもある、沙耶の隣に腰かけた。
「始まったね、いよいよ」
「おう。見てろ、初回ホームラン打ってやるから」
「うん。りっくんも期待してるって」
沙耶が抱いた大きな写真の中で、親友、藤村凛空が酒井に笑いかける。
凛空は去年の夏、水難事故で突然帰らぬ人となった。豪快な性格でチームを明るくまとめる、次期キャプテン当確と思われていた男を亡くし、柱を失った東城野球部は悲しみに沈んだ。しかし秋大会敗退後、凛空の両親が野球部を訪ねてきたのを契機に、酒井を中心に「凛空を甲子園へ連れていく」と奮起し、すべてをこの夏に賭けてきた。
個々の実力は決して高くない。しかし、団結力と気持ちの強さだけは、誰にも負けない自信があった。――俺たちは絶対に、甲子園に行く!
キャッチャーミットが爆発した。
そうとしか思えない音だった。初球、光葉の背番号「1」が投じたボールが、あらゆるものを冷徹に砕いて、灼熱のスタジアムを彩る光の欠片に変えてしまった。
金髪のエースは、人形のように精緻な瞳に、苛烈な闘志を燃やす。
「甲子園に行けるのは、僕らだけだ」
唸る剛腕が、球場にいる全ての人の目を奪う。この回、酒井の打席は回ってこなかった。
「――だ、大丈夫だ! 姫宮は前の大会でも六回までしかもたなかった。あいつさえ下がれば、こっちにも必ずチャンスが来る!」
三者三振に倒れて守備につくナインを、酒井は必死に盛り立てた。ところが――
一回裏、四番の塁に回るまでもなく、光葉は三連打で先制。なおも毎回のごとく粘り強い打撃でランナーを出し、得点を重ねていく。三人で終わった攻撃は一度だけで、その回も酒井に二十球近く投げさせた。強すぎる――こいつら、一体どれだけ練習してきたんだろう。
別に親友を喪わなくたって、誰に怒られなくたって、なんの必要性もない頃から、きっとこいつらは、毎日当たり前に積み重ねてきたんだ。
六回までの攻防を数え、点差は七まで開いた。ここで、直球のみでパーフェクトピッチングを続けていた姫宮塁がマウンドを降りた。長い守備と短すぎる攻撃を、一度も気持ちを切らすことなく戦い続けてきた疲労困憊のナインが、にわかに活力を取り戻す。
「姫宮が降りたぞ!」
「ここからだ! まずは一点! 絶対に取ろう!」
姫宮塁の投球は相変わらず凄まじかったが、スタミナ不足も変わっていない。ここで代わりっぱなを叩いて、一気にひっくり返す!
「光葉高校、守備の変更をお知らせします。ピッチャーの姫宮君がライトへ。ライトの田中君に代わりまして――一条さんが入り、ピッチャー。ピッチャー、一条さん。以上に変わります」
そのアナウンスに、かすかな違和感を覚えた。一条、「さん」――?
瞬間、ベンチから飛び出した選手の眩さに、酒井は目を奪われた。
一律坊主頭の文化が廃れつつある現代でも、果たしてこれまで、ユニフォームを身にまとった高校球児が肩にかかるほどの長髪を躍らせて走る姿を、見ることがあっただろうか。二度見するまでもなく、彼は、彼女だった。およそ泥臭い野球のユニフォームとはミスマッチな、綺麗な少女。それでも、野球のコスプレをしただけの女とは決定的に違う。光葉のクリーム色に若葉色が挿した戦闘服は、吸い付くように、彼女の鍛え抜かれた肢体に馴染んでいた。
「あるぞ――チャンス、あるぞ」
彼女を侮るつもりなど毛頭なく、いっそ純粋な敬意さえ抱いた酒井は、それでも自然と、拳を握った。超高校級の投手が女と交代したのだから、逆転勝利を渇望する酒井たちにとっては追い風でしかない。この場面で喜ばないやつは、勝つ気がないやつだ。正々堂々勝負の世界。その土俵に上がったからには、女子供だろうと、投げる前から喜ばれても文句は言えない。
少女、一条夏生は、逆風を歓迎するように、やや硬い顔で笑っていた。彼女が入ったマウンドに輪ができる。内野と捕手が少女に笑いかける。和やかで、かつ、緊張の糸は切っていない。円陣が解けると、最後にショートが強く彼女の背中を叩いた。短いやりとりだけで、彼女が光葉野球部の一員であると理解できた。
「真田! しっかり球見ていけ!」
この回先頭、二番の真田がギラギラした目で頷いた。左打席に入り、少女と相対す。初球――ど真ん中に飛んできたストレートを、真田はしっかりと見逃した。
球速は一一〇キロ程度。コントロールもアバウトだ。確信した。真田ならば絶対に打てる。
果たして、真田のシャープなスイングが、少女の甘いストレートを見事に捉えた。打球は高く打ち上がり――前進してきたセンターが捕球。
「ああ、惜しい!」「少し詰まったかー!」「ドンマイ次々!」「穂刈ー! 決めろぉぉ!」
三番はキャッチャーを務める穂刈。チームで一番ミートの上手い好打者だ。ナイン一丸の声援を背に受け、雄叫び一閃、灼熱のグラウンドに背番号「2」が躍り出る。
帰ってきた真田を手荒く迎えると、彼は悔しそうに顔を歪めて「すまん」と唸った。
「気にするな、紙一重だろ」
「いや、打ち取られた。穂刈にも伝えたけど――あいつの球、気持ち悪ぃ」
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