第14話-2

 永遠に思えるほどの十分間が経ち、ようやく扉がノックされて、アキラがやってきた。糾弾されることに怯えた顔をしていて、でかいはずの図体が異様なほど小さく見えた。


「……久しぶり、アキラさん」


 改めてアキラの顔を見る。気持ち悪い、と正直に思う。育ての親でも、いや親だからこそ、きつい。嫌いになれないから余計に。


「……ごめんなさい要、本当に」


 要は首を振った。


「いいよ、俺こそ、最近連絡してなかったね」


「要が長野でちゃんとやっていけてるか、お母さん気になって……あんたって誤解されやすいところあるし、チームで嫌われてたりしないかって」


「そんな心配しなくても」


「ほんとごめん……」


「だからもういいって!」


 ああ、くそ、謝ろうと思ったのにうまくできない。


「でも、本当に余計なお世話だったみたいね。良いチームメイトに恵まれて」


「えっ、待て、喋ったの!?」


「あ~えっとっ、ちょっとだけね!? ほら、全員病院までついてきてくれたもんだから……さすがに無視できないじゃない。今も下で、みんな要のこと待ってるわよ」


 要は理解が追い付かなかった。野球部の連中はずっと、病院の待合で、この人と一緒に待っていたというのか。なぜ? イヤだろう、普通。


「皆、要のこと心配してくれてたわ。お医者様に大事ないことを聞いたら、今度は要のことで質問攻めに。逆に、キャプテンの子はこっちでの要の様子を教えてくれたり。それから……あのカワイイ女の子。夏生ちゃん? 彼女がね、本当に嬉しいことを言ってくれた」


 アキラは、夕焼けに染まる窓を見つめて、少し泣いていた。アキラの涙を初めて見た要は、絶句して言葉の続きを待った。



 雨が上がり、夕刻のオレンジ色に染まる総合病院の待合室で、アキラは光葉高校野球部のメンバーと、一時間以上の長い時を共に過ごした。


 彼らはアキラを拒絶することも、気味悪がることも、物珍しそうにさえしなかった。少なくとも完璧にそう振舞っていた。アブノーマルな自分を、こんなに温かく輪に入れてくれた集団は、アキラの記憶のどこにもなかった。


 その根源は、彼女の存在にあるのだと、間もなく気がついた。泥だらけの練習着姿で、対等に男の輪の中にいる一輪の花。彼女は人見知りのように見えたのに、一番アキラの近くに座り、よく話しかけてくれた。要の子どもの頃の話を聞いては、愛おしそうに大笑いして、ハンドボール時代の話を聞いては憧れに目をキラキラさせて。

そうして、アキラが兵頭に呼ばれ席を立つとき、夏生はアキラを呼び止めた。


「あの! ……ずっと、お伝えしたかったことがあるんです! 要を長野に誘ったのは、ボクなんです。送り出してくださって、本当にありがとうございます。それから――あんなすごい男を、育ててくださって、本当にありがとうございます!」


 まさか、こんな少女に泣かされるなんて、思ってもいなかった。


 生まれたままの姿で生きられなかった、自分のような異質な人間が、エゴで孤児を引き取り育てた。自分のような醜い人間に、育てられるこの子は、不幸なのかもしれないと思っていた。実際、その通りになった。愛する要は自分のせいで、ハンドボールを続けられなくなった。子どもは親を選べない。子どもを幸せにできない親なんて、子を持つべきではなかったのではないか。毎日考えていた。


 中三の夏休み終わりに帰ってきた要が、「長野の高校で野球をやりたい」と頭を下げに来たとき、喜びと喪失に身を焼かれた。要は再び前を向けるモノを見つけたのだ。しかし、それを長野でやりたいというのは――この子は、私から、どうしても離れたいのだ。


 アキラは自分の胸に、要への全力支援を誓った。要がやりたいことを、やりたい場所で、やれるだけやらせてやろう。愛されなくても、せめて愛する要の親であり続けたかった。


 その覚悟と苦しみのすべてが、少女のたった一言で溶かされる。


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃのアキラの手に、夏生は一枚の紙を握らせた。


「それ、ボクのアドレスと番号です。いつでも連絡してください。ボクも定期的に要の様子を送ります。写真とかも。……遠く離れて、ご心配だと思いますが――息子さんは、ボクに任せてください。必ず一緒に甲子園に出るので、その時は、テレビに向かって手を振りますね!」


 太陽のように笑う少女に、アキラは「ありがとう」と絞り出すのがやっとだった。



「要……何があってもあの子を離すんじゃないよ」


 結局夏生が何を言ったのかは語らず、アキラは鼻声でそれだけ言った。


「……あのさ……中学のとき、その、ごめん」


 ようやく意を決して切り出した要に、アキラはマスカラでバキバキの目を見開いた。


「傷つけるかもしれないけど聞いて。正直、アキラさんと離れてから、俺、心が穏やかになったよ。ずっと無理してたんだと思う。俺がハンド辞めたとき、ひどいこといっぱい言って……アキラさんのせいみたいにしてごめん。距離を置いて、冷静になって、間違ってたって今は思ってる。……アキラさんの全部を、受け入れるのはすぐには難しい。一生受け入れられないかもしれない。だから約束はしない」


 アキラはじっと、真っすぐ要を見つめていた。紛れもない母親の眼差しで。


「でも――たとえ受け入れられないままでも、一生、俺の親はアキラさん以外いないし、俺は一生あんたの息子だよ。だから、その……これからも、よろしくお願いします」


 頭を下げた要からは、アキラの表情は見えなかった。見ていられなかったのだ。間もなくして、うおおおおおんっ、と野太い声で泣き出したアキラに、要は少しだけ笑えた。

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