第十二話 ハーラルトの心境、そして子爵家の家族会議

 あれは、俺が七歳の頃だったと思う。王宮の庭園で同世代の子どもたちと遊んでいた時のことだ。

 俺は特別仲のいい友達と駆けっこをして遊んでいた。

 もう少しで追い抜けそうだったのに、俺はすてん、と転んでしまった。まあ、子どもにはよくある話だ。


 その時、真っ先に俺に駆け寄ってきてくれたのが、まだ四歳だったフェイエリズ王女だった。

 灰色がかった青い大きな瞳に、緩くウェーブのかかった黒い髪。黙っていればお人形さんのように見える顔は、不安の色に染まっていた。


 フェイエリズ王女は膝を抱えて痛がる俺の傍にしゃがみ込み、傷口をじっと見つめた。ベロン、と皮が剥けてしまった傷口を泣きそうな顔で凝視しながらも、フェイエリズ王女は言った。


 ──ハーラルトお兄さまの、痛いの痛いの飛んでいけ~。


 誰よりも泣き虫なのに、誰よりも優しい女の子。それがフェイエリズ王女という子だ。

 そう分かってから、俺にとって彼女は特別な女の子になった。

 それは十二年たった今でも変わらない。


 月日が流れ、リズは信じられないくらい綺麗な女性に成長した。

 少し吊り目がちな灰色がかった青い瞳は宝石のように。

 緩く波打つ長い黒髪は絹糸のように。

 透き通りそうな白い肌は新雪のように。

 可愛らしかった鼻と口は、高くて繊細な鼻梁と薔薇の花弁のような唇に。

 身長はすらりと伸び、スタイルは抜群に。


「マレの宝玉」と称えられる王妃陛下も、もちろんお美しいとは思う。それでも、俺の目に一番綺麗に映るのは、やっぱりリズただ一人だけだ。

 それに、リズは優しいし賢いし、楽器も歌も得意だし……うん、いいところしかないな。


 そんな彼女が初めて彼氏を作った時は、寝込みそうになるくらい落ち込んだ。

 でも、リズが数か月で彼氏と別れたので、一安心していたんだ(我ながら性格が悪いとは思うけど)。ところが、その後もリズが二人目、三人目の彼氏を作ったという噂が嫌でも耳に入ってくる。


 俺は一生、リズに告白できないまま、虚しく一生を送るんだろうな。でも、リズ以外の女性とは結婚したくないし……妹に婿を取ってもらおうかな……。

 そう考えていた時、千載一遇のチャンスが訪れた。いや、ピンチかな? 彼氏と別れたリズが、国王陛下から縁談を持ちかけられたというのだ。


 追い詰められた俺は、一生分の勇気を振り絞って彼女に告白した。

 そして、信じられないことに、リズは俺と付き合いたいと言ってくれたのだ。

 ……いかん、どうしても口元がニヤけてしまう。


 武術の鍛錬をしながら、俺は以前のことを思い出していた。この朝夕の日課は少年時代から続けている。

 なぜ、武術はからっきしな秘書長官の息子がこんなことをしているのかというと、その父上の親友がよりにもよってマレの大将軍だからだ。


 どうも父上は自分が武術に明るくないことを少し気にしていたようで、大将軍に頼んで俺を鍛えてもらうことにしたらしい。

 俺はその当時、聖職者志望だったんだけどなあ。まあ、いつかこの手でリズを守れるかもしれないから、構わないか。


 ただ、大将軍のエリファレットおじさま曰く、俺は武術の筋がいいということだから、父上も鍛える機会があればそこそこの腕になったんじゃないだろうか、と思う。


 それとも、生まれながらの貴族である母上の血かな。マレを含めた近隣諸国では、王室も貴族も有事の際には戦場の最前線に立たなければならないから。そういう血が俺の中にも流れているのかもしれない。


 もっとも、国王陛下のご努力もあって、マレは数十年も戦争に参加していない。ヴィエネンシスとは長い間、冷たい戦争状態だけどね。

 そんなヴィエネンシスの王太子との縁談を蹴って、リズは俺を選んでくれた。嬉しいけど、同時に、いいんだろうか? という落ち着かない気分にもなる。


 いや、リズは政略の道具じゃない。自由意志で結婚相手を選ぶべきだ。昼間は取り乱していた国王陛下も、きっとそのあたりのことはよく分かっておいでになると思う。


 気づけば、辺りはすっかり暗くなっている。

 俺は中庭から屋敷に戻り、浴場で汗を流した。

 少しだけゆっくりすると、すぐに食事の時間だ。家族揃っての夕食が始まる。


 俺の家族は、父アウリール、母エルスベト、妹コルデーリアだ。


 屋敷のある王都は港街なので、肉だけでなく魚料理もふんだんに食卓に上る。

 タラのソテーに舌鼓を打ちながら、俺は今日王宮であったことを家族に話した。ただ、うちは両親とも王宮に出仕しているから、二人にとっては別段真新しい話でもないと思う。コルデーリアは楽しんでいるみたいだけど。


 母上は父上と結婚する前から王宮の薬草園(今は薬草研究所)に勤めている。薬草研究所を創設したいと国王陛下に具申したのも母上で、陛下から信頼されているようだ。


 コルデーリアは将来、学者になりたいとかで、現在は家庭教師のもとで猛勉強中だ。

 マレにも女性が入れる大学があればいいんだけどなあ。お隣のシーラムでは女王陛下が改革に乗り出した成果が出て、王族や貴族が在籍する学院に貴族の娘が入学できるようになったと聞く。


 もちろん、我が国の国王陛下も、王女が王位に即けるようにしたり、階級を問わず、女性が家門や親の財産を相続できるようにしたりと、精一杯ご努力なさっておいでだ。


 ただ、元々の制度の遅れを取り戻すのは、想像以上に反発も大きく、困難も多いのだろう。

 まあ、これは父上から聞いた話を元に、俺なりに推測したことなんだけどね。


 ただ、これだけは言える。

 俺は、リズやコルデーリアがのびのびと暮らせる世の中であって欲しい。

 ……暇を持て余している資料編纂室勤めには過ぎた希望かな?

 俺を含めた家族が料理を食べ終えてしまうと、父上が言った。


「これから、家族会議を開始する」


「まあ、久しぶりね! お兄さまが資料編纂室に配属された時以来かしら」


 母譲りの亜麻色の髪と菫色の瞳をした、俺の目から見てもたおやかな美少女、コルデーリアが歓声を上げる。何が楽しいんだ。

 食器が下げられてしまうと、執事がお茶を運んできた。

 お茶を一口飲んだあとで、父上が宣言する。


「今日の議題は、ハーラルトとフェイエリズ王女殿下の交際を認めるかどうか、だ」


 コルデーリアが「まあ」と両手で口元を覆う。母上は父上から既に話を聞いていたのか、静かにほほえんでいる。

 ちょっとストレートに言い過ぎじゃないか。

 俺は抗議することにした。


「父上、そんなにはっきり議題を決められなくても」


「議題を決めておかなくては、話が途中で逸れてしまうよ。で、ハーラルト、君は今になってなぜ、リズさまに告白する気になったんだ?」


 ついに訊かれてしまったか。頬が熱くなるのを自覚しながら、冷静を装って答える。


「恋人とお別れになったリズさまに、縁談が持ち上がったことがきっかけです。この機会を逃したら、もう一生告白できないと思いました」


「なるほど」

 と頷く父上。


 コルデーリアが目を輝かせる。


「お兄さまがようやく告白できて、わたしも嬉しいです。お兄さまは昔からリズさまのことがお好きでしたから」


 母上が感慨深そうに言う。


「そうねえ、わたしはいつか諦めるだろうと思っていたのだけれど」


 父上が腕を組みながら述懐する。


「俺もハーラルトの執念には驚いているよ」


「人を変質者のようにおっしゃるのはおやめください」


「そう怖い顔をするものじゃないよ。確かにリズさまは三姉妹の中で国王陛下に一番似ておいでで、お可愛らしい。陛下ほどご性格が尖っていらっしゃらないのに、聡明さを引き継いでおいでなところも評価に値すると思うよ。君が好きになったのも頷ける」


 それって、リズを褒めているように見えて、つまりは国王陛下を褒めているってことだよな……。

 父上は俺とそれほど歳が変わらない頃から、国王陛下にお仕えしている。しかも、ただの臣下ではなく、時には兄のように、時には父親のように陛下をお育て申し上げたらしい。


 大きな声じゃ言えないけど、国王陛下は実のご両親に愛されなかったんじゃないか、と俺は思っている。それだけに、陛下の父上に対する想いと父上の陛下に対する想いは、察するに余りある。


 国王陛下が我が家に便宜を図ってくださるのも、それに端を発しているのだろう。両親のお見合いをセッティングしてくださったのも、陛下だしね。もし、陛下がおいでにならなかったら、俺たち兄妹は生まれていない。


 そういう話を知っているからか、俺は時々、国王陛下が叔父のように──いや、ずっと歳の離れた兄のように思えることがある。


 それはともかく、そういえば、父上は昔からリズのことを可愛がっていた。きっと、ご幼少の頃の国王陛下とリズを重ねて見ていたのだろう。いや、リズと陛下が子ども時代対決をしたら、彼女のほうが絶対可愛いに決まっているけどさ。

 父上はやにわに真顔になった。


「だが、それゆえに、お強く見えても非常に繊細でおいでだ。王宮でも訊いたが、もう一度訊く。ハーラルト、君にリズさまをお守りしてゆく覚悟はあるか?」


「もちろんです」


「俺が長年、秘書長官という要職に就き、エルスが伯爵家の出身とはいえ、うちは俺が一代目の新興の子爵家でしかない。それでも、その覚悟を貫き通せるか?」


 家柄の不利さは承知しているし、本当に俺でいいのか、とリズに尋ねたこともあった。──それでも。

 自分と同じ、父上の若草色の目を正面から見つめたまま、深く頷く。


「はい、必ずや」


 父上は息をつくと、ふっと笑った。その表情はなんだか嬉しそうだ。


「ならば、もう何も言わないよ」


 母上もコルデーリアも穏やかな顔をしている。

 これは、父上だけでなく、家族全員に認められたということでいいのだろうか。

 安堵したのもつかの間、父上が付け加えた。


「ただし、君の誠意は国王陛下に直接お伝えしたほうがいい。俺がしかるべき場を設ける」


 ……え?

 俺は肩を軽く震わせ、戦慄した。

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