第六話 不穏な雲行き

 ハーラルトと結婚を前提にお付き合いすることになった。

 ならば、これからすべきことはひとつ。

 お父さまにこのことを知らせ、縁談を断るのだ。

 そうハーラルトに伝えると、彼は真剣な目をした。


「それなら、俺も一緒に行くよ。陛下に俺の誠意をお分かりいただかないと」


「気持ちは嬉しいけれど、わたし一人で行ったほうがスムーズに話が進むと思うの」


 お父さまは傍目から見てもハーラルトに目をかけているから、「気に入らない」と突っぱねることはないだろうけれど、ご自分が用意した縁談を断られるのは、やはりいい気がしないだろう。

 だから、娘のわたし一人で伺ったほうがいい。

 ハーラルトは納得しかねるような顔をしたのちに、表情を緩めた。


「……そうだね。陛下は男親でいらっしゃるから、俺が一緒に行くと刺激してしまうかもしれない」


 いえ、カトラインが彼氏を連れてきたならともかく、わたしじゃお父さまもそれほどショックを受けないと思うの。

 ……という本音は口に出さず、頷いておく。


「じゃあ……」と名残惜しそうにお仕事に戻るハーラルトと別れ、リシエラを捜してうろうろしていると、彼女がひょっこり現れた。


「いかがでしたか、リズさま」


 わたしは少し照れながら答える。


「お付き合いすることになったわ」


 リシエラはその美貌に微笑を浮かべた。


「さようでございますか。ハーラルトさまは誠実な方ですから、わたくしとしても安心できます」


 今までリシエラにもいっぱい心配をかけてきたのだろう。ちょっと申し訳ない気持ちになる。

 それはともかく、この国で王女と子爵令息との結婚に前例があるのかは分からないけれど、彼との交際をお伝えすれば、お父さまも少しは安心して、縁談を諦めてくれるかもしれない。

 よし、お父さまを説得しよう。


「リシエラ、お父さまとお会いする許可を取りたいのだけれど」


 リシエラは嫌な顔ひとつせずに、首を縦に振る。


「かしこまりました。恐れ入りますが、リズさまもいらしてください。そのほうが事が円滑に進みますので」


「分かったわ」


「では、参りましょう」


 リシエラは勝手知ったる歩みで、一番豪華な両開きの扉の部屋(もちろん、扉脇には近衛騎士が控えている)──多分、国王執務室──の右隣にある部屋に向かう。

 その扉をノックし、わたしと一緒に中に入ると、詰めている官吏に交渉して、すぐにアポイントメントを取ってしまった。


 国王執務室の左隣にある控えの間で、リシエラとおしゃべりしながら約束の時間を待っていると、ノックの音が響く。

 開いた扉の向こうから現れたのはお父さまだった。


「リズ、すぐそこにある『ランテアの間』で話そう。王室専用の応接室だ。ディーケもよく使うんだよ」


 どうしてかしら。お父さまは、なんだか機嫌がよさそうだった。

 リシエラと別れ、お父さまについていく。「ランテアの間」は国王執務室の向かいにあった。

 中は広々としており、椅子がたくさん置いてある。わたしたちは向かい合っている椅子に座った。


「お仕事中、失礼いたしました」


 わたしがそう言うと、お父さまはほほえみながら片手を振った。


「いや、ちょうど仕事に飽き飽きしていたところだったから、リズの顔を見られてよかったよ」


 お父さまって、いつもこうしてお気遣いくださるのよね。

 ……それとも、本当にお仕事が嫌だったのかしら?


「それで、何か話があるのかな?」


 そうお父さまに水を向けられたわたしは、指輪を握った右手に重ねた左手にぎゅっと力を込める。


「実は、昨日いただいたお見合いのお話のことで……」


 お父さまの表情が引き締まる。


「うん」


「まだお相手のことも知らないのに、こんな話をするのは心苦しいのですが……」


「ああ、そういえば、相手が誰だかまだ言っていなかったね。わたしとしたことがうっかりしていたよ。それを知ってからでも、断るのは遅くないんじゃないかな?」


 え!? こちらは一刻も早く断って、ハーラルトと正式にお付き合いを始めたいのですけれど!


 どうもお父さまは、自分で相手を探すことにしたわたしが、また迷走するんじゃないかと思っていらっしゃるみたい。ハーラルトに一緒に来てもらったほうがよかったかも。


「あの、お父さま」


 言いかけたわたしの台詞をお父さまが遮る。


「お見合い話はヴィエネンシス国王のリュシアン陛下からいただいたものなんだ。王太子と是非縁組を、と」


 ヴィエネンシス王国は義兄の祖国を挟み、マレと北西の国境をわずかに接する一応の隣国だ。マレとの仲は昔からお世辞にもいいとは言えず、戦争までは至っていないものの、睨み合いのような状態が続いている。

 そんな両国が王室同士の婚姻によって結ばれるとしたら──。


 ……お見合い相手は隣国の王太子。そして、ハーラルトは国内の子爵令息。

 どちらが国にとって重要かなんて、第二王女のわたしでも分かる。

 この縁談、最初から断れないものだったんだ。

 お父さまがわたしをどんな風にご覧になっているかが、よく分かった。


「──もう少し、お時間をいただけますか」


 わたしはお父さまのお顔も見ずに、ふらりと立ち上がり、カーテシーをして「ランテアの間」をあとにする。

「リズ」と呼びかけるお父さまの声が聞こえたけれど、わたしは振り返らなかった。頭の中に次々とハーラルトの笑顔が浮かんでは消えていった。

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