たのみごと五景
霞(@tera1012)
第1話
「
波打ちぎわに並んで夕日を見ながら、
そんなことだろうと思った。目の前の真っ赤な空が、急にどす黒くなる。
「……分かった」
隣で健司さんの肩が、
ばかだなあ。一度口から出した言葉は、もう二度と、おなかの中には戻せないんだよ。
私は健司さんの横顔に向き直る。
「でも、最後に、チャンスをちょうだい」
赤く染まった彼の横顔。眉がきゅっと寄ったのが分かった。
*
「お願いです。僕は施設に入ります。
ファミレスの窓からは、うすぼんやりとした夕日が見えた。
テーブルの上には、手つかずのオレンジジュースと、なかみが半分減ったコーヒーカップ。
目の前で下げられた坊主頭。学ランからのぞいている華奢な首筋。つむじの位置が、あの人とおんなじだ。
ずいぶん見くびられたもんだ。そんなところも、さすが親子、そっくりだなあ。
「……大丈夫だよ、
目の前の男の子は、弾かれたように顔を上げた。私が、名前を知っているとは思わなかったのだろう。
「自分のお父さん、信じてあげて。どちらかを選ばなくちゃいけないとしたら、あの人は絶対、あなたたちを選ぶよ。私が何をしても、何を言っても」
「……」
碧君の目に、みるみる涙が盛り上がる。
まったく、あの人は。お母さんを亡くしたばっかりの中学1年生の子に、こんな思いをさせるなんて。
「でもさ、私も、何にもせずに諦める気はないの」
碧君の目が見開く。
「とりあえず一回、4人で一緒に暮らしてみようよ。ダメそうなら私が出て行くからさ」
碧君の目が揺れている。
「一つだけ、約束して。おはようと、ただいまと、ありがとうは、必ず言うこと」
「……はい」
澄んだきれいな彼の目から、とうとう涙がひとつぶ、ポロリと落ちた。
*
「結婚してくれないか」
夕暮れの公園で、ふいに健司さんが言う。
目の前の鉄棒では、碧君が真由ちゃんに一生懸命、逆上がりを教えていた。
「……真由ちゃんが、逆上がり、出来たらね」
なるべく軽く聞こえるようにそう言うと、健司さんが黙り込む。
「あ」
くるん。目の前で、真由ちゃんのスカートがきれいな弧を描いた。
……うそでしょう。
健司さんの左手が、私の右手をぎゅっと握った。
「おかあさーん、さかあがり、できたー!」
「よかったねえ」
私はその手を握り返しながら、精一杯声をはる。
*
「お願い、赤ちゃん、あきらめないで」
ふいに投げられた言葉に、息が止まりそうになった。
つばを飲み込み、何とか洗濯ものを畳み続けようとするけど、手が震えてしまって無理だった。
「私、絶対に、赤ちゃんいじめたりしないよ。お金が足りないなら、もっとバイトして家にお金入れるから。明日からお弁当も作ってくれなくていいし、高校卒業したら、ちゃんと働くからさあ」
「馬鹿、言わないで」
ぐぐう、と喉が熱くなって、それだけ言うのが精いっぱいだった。うつむいた私を、ふわりとぬくもりが包み込む。
真由の体は、いつでも柔らかくてあたたかい。でも、いつも腕の中にあったはずのそのちいさなぬくもりは、いつの間にか、私を包むほどに大きくなっていた。
「ねえ、私をおねえちゃんにして」
「……分かった、分かったから。……ありがと。でも、それなら公立大にストレートで入ってね。バイト増やしてる暇ないよ」
「うえ……うん!!」
にじんだ視界の先では、折り重なった洗濯物の上に、夕日が斜めにまだら模様を描いていた。
*
「いや。絶対に、いや!!」
どうしてこんなことになるのだ。
目の前には、眉を下げた3人組。真由の手には、白いふわふわのドレスが握られている。
「おねがい、お母さん。一生のお願い」
「いや!!」
今まで何回、真由の“一生のお願い”を聞いてきたと思っているのだ。
「もうキャンセルできないんだよ。いいじゃん、犬にかまれたと思ってさ……」
おい、
「おかあさん、きれいきれいしないの……?」
うるうると、さくらが私を見上げてくる。
……卑怯だ。
私は目の前に迫って来る子供3人から顔を背け、助けを求めて隣の健司さんを見た。
こんなおばさんのウエディングドレス姿と、公衆の面前で並んで撮影なんて、常識人で恥ずかしがり屋の健司さんなら、断固拒否してくれるはず。
「……」
健司さんはそっと目を逸らしている。
……グルだな、こりゃ。
シーサイドレストランで今日、夕日をバックに撮影されるのは、真由の就職祝いの記念写真だったはずだ。
なんで私が、こんな目に。
「おかあさん、おひめさま……」
さくら……。あんただけだよ、そんなこと言ってくれるの。
「似合ってる」
やめて、健司さん。
目の前のみんなの笑顔が、キラキラとにじむ。
純白のドレスをほの赤く染める、あの日と同じ海に沈みゆく夕日は、神様のいやがらせのように、とにかく異様に、美しかった。
たのみごと五景 霞(@tera1012) @tera1012
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