グリーンフラッシュ

クロノヒョウ

第1話



 人々を魅了する夕日。


 限られた時間にしか見ることはできない。


 儚いものほど美しいと感じるものだ。



「ママ、綺麗だね!」


「本当に綺麗。来てよかったわね」


「ああ、本当に」


 若い夫婦とまだ幼い息子はドライブがてら、この美しい夕日を見に海辺へと足を運んでいた。


 赤く染まった太陽がだんだんと海の方へ引き寄せられる。


「ねえ、もうすぐ海に落っこちちゃうの?」


「あは、そうよ」


「太陽が沈んで夜が始まるんだぞ」


「夜が?」


「ああ」


「ふーん……」


 赤く照らされた目をキラキラさせながら幼い息子は必死で夕日を眺めていた。


 その様子を笑顔で見守りながら夫婦も夕日が海に入るのをしばらく待っていた。


「ねえあなた、なんだか……変じゃない?」


「ん? ああ、変だな」


 夫婦と、他にも夕日を見に来ていたたくさんの人たちもその異変にざわつき始めた。


「どうしたんだ?」

「おかしいよな?」

「なんだろう」


 みんな夕日を見ながらざわざわしている。


「パパどうしたの?」


 幼い息子が不安そうに聞いた。


「いや、沈むはずの夕日が……動かなくなっちゃったんだ」


 そう。


 もうすぐ海に入る、というところで夕日は沈むのを嫌がっているかのようにピクリとも動かなくなってしまったのだ。


 一時間、二時間と待っても止まったまま。


 海辺にいた者はみんな気味悪がってその場を離れて家路についた。



 夜九時、外はまだ夕日で赤く染まったままだった。


 ようやく臨時ニュースが流された。


 気象庁が会見し、この緊急事態の原因の究明に取り組んでいると焦りながら話していた。


 政府も会見をし、国民に慌てず落ち着いていつも通りに過ごしてほしいと言及した。


 ところが案外人間は繊細な生き物だったようで、夜になっても赤い世の中に具合が悪くなったりめまいなどの体調不良を訴える者が次々と現れた。


 街は救急車やパトカーのサイレンが常に鳴り響いている。


 不安と恐怖で騒然となってしまった世の中。


 あの若い夫婦と幼い息子も自宅に帰り不安な面持ちでテレビやネットに注目していた。


 幼い息子も両親の、世間の不安を感じ取ったのかその表情は決して明るいとは言えなかった。


「ねえパパ。どうしてみんな嬉しくないの?」


「えっ? 嬉しい?」


「うん。だってみんな夕日が好きなんでしょう? ずっと夕日が見れるのにどうしてみんな喜ばないの?」


「ああ……。そうだね。みんな夕日が好きなのにね」


 父親は息子の頭を撫でながらしばらく何か考えている様子だった。


「そうだな……みんな夕日が好きだからみんな夕日さんのことを心配してるんだよ」


「心配?」


「うん。夕日は本当はすぐに沈んでしまうだろ? でも今日はずっとあそこにいるままだ。夕日さん疲れてないかなってみんな心配してるんだ」


「夕日さん疲れちゃうかな?」


「そりゃあ疲れるだろう。パパだって寝ないでずっと仕事してたら疲れる。夕日さんもちゃんと寝かせてあげないとかわいそうだろ?」


「うん……かわいそう……」


 幼い息子は泣きそうな顔をしていた。


「はは、心配するな。そのうちちゃんと元どおりになるだろう」


「ちがう……ちがうんだよパパ!」


「ん、どうした?」


「ボク……ボクがさっき海で夕日さんにお願いしちゃったんだ。ずっと見ていたかったから、ずっとそこにいてって、ずっとそのままでいてってお願いしたんだ!」


「お前……」


「だってパパとママも喜んでたし、ボクも夕日さんが大好きだったから……」


 幼い息子はそう言って泣き出してしまった。


「ねえ、あなた……」


 キッチンで話を聞いていた母親が二人のそばに来て言った。


「あなた、もう一度あそこに行きましょう」


「え、ああ、そうだな……よし!」


「さあ坊や。もう一度あそこに行って、夕日さんにもういいよって言ってあげて」


「ママ……うん」


 三人は急いであの海に戻った。


 もうすぐ真夜中だと言うのに赤く染まったままの世界。


 海辺にはこの不思議な世界を見ておこうとするたくさんの人で溢れかえっていた。


「いいか。夕日さんにお礼を言うんだぞ」


「うん、わかった」


 父親は息子を肩車した。


「夕日さん、ボクのお願いを聞いてくれてありがとうございました。疲れさせちゃってごめんなさい」


 幼い息子は必死で手を合わせていた。


「もうゆっくり休んでください……」


「おっ?」

「動いた?」

「やった……」


 とたんに人々が騒ぎ始めた。


 見ると夕日が少しずつその体を海に浸していた。


「見てパパ! ママ!」


「ああ、よかったな」


 人々から歓声と拍手が沸き起こった。


 みんな沈む夕日を見ながら嬉しそうに笑っていた。


「夕日さんありがとう! お休みなさい!」


 父親の肩の上で幼い息子がそう叫びながら手を振った。


 夕日はそれに返事をするかのように海に沈んで消える瞬間、美しい緑色の光を放った。




           完




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