サカキ ⑥



 シャキン、シャキン、と鋏の刃が銀を切っていく。手に持った銀の髪は、吸い付くような滑らかさを持っている。はらりと落ちていくそれは、流れる川のように光を反射して煌めいていて、さすが龍のたてがみだな、なんて子どものような感想を抱いた。

 ユージローだったら惜しいと思ってしまう髪にも、サカキはまるで頓着しない。落ちた髪には見向きもせず、真っ直ぐに前だけを見ている。


「サカキさん」

「うん?」

「聞いても良いですか?」


 半分まで切ってやっとその言葉を出すことが出来た。聞くべきことではないのかもしれないと思ったら、なかなか声にならなかった所為だ。

 サカキは人の考えを読む慧眼の持ち主だ。だがさっきユージローが聞きたかった事を胸に秘めていたのを分かっていた筈なのに、何も言わなかった。だから、本来なら聞いてはいけない事なのかもしれない。

 でもサカキは、聞いても答えられないことなら、そう言う。ヤマセの心はヤマセにしか分からない、と言ったときのように。だからもしかしたら、自分から聞いてみたら答えてくれるかもしれないとユージローは思ったのだ。

 ダメ元でも良い。何かを掴みたかった。

 ユージローの言葉に、サカキは息だけで笑った。


「答えられる事であれば答えよう」


 床にはらりはらりと落ちていく銀の髪と同じ穏やかさを持った声だった。さっき答えなかったのは意地悪したのではないと教えてくれている気がして、ユージローの指先が熱を帯びる。

 もしかしてたてがみを切らせてくれたのはこの為だったのだろうか。

 この店には、ユージローの気持ちを蔑ろにするヒトは居ない。ヤマセにしろ、コーリにしろ、きちんとユージローの言葉を聞いてくれる。その上でアドバイスや彼らの意見を教えてくれる。しかも、それを強要することはない。最後の決定権を、ユージローに委ねてくれるのだ。それは一見無責任なように見えるが、その実、むしろ逆なのだと此処を訪れた色んな人を見て知った。

 自分で選ぶことはとても難しい。いつだって出来ることではないし、逃げたいと思う事だってある。しかし彼らは答えを急がないでくれるし、考える時間を与えてくれる。文句も言わずにただ待ってくれる。それは逆に言えば、彼らがユージローを信頼してくれているという事だ。ユージローが理解して、決断するのを、ずっと待ってくれる。

 それがどれだけ大事なことなのかも、シスイのことをヤマセと話した時に知った。

 だから自分から行動すれば、彼らはその答えではないかもしれないが、何かしらの助言をしてくれる。

 サカキもきっとそうなのだ。

 そうでなければ、わざわざ大事な髪を切らせてはくれないだろう。気負わなくて良い、なんて声を掛ける事もない筈だ。

 息を吸って、吐き出して。

 胸の内を十分に落ち着かせてから、ユージローは口を開いた。


「どうしてサカキさんは、大切なものに執着せずに、そうして淡々としていられるんでしょう。何かコツがあるんでしょうか」


 鍵を使ったことに後悔はないにしろ、大切なものを失った時、どうしたらなんて事のないような顔が出来るのか、ユージローには分からない。

 サロウからブローチを受け取った時も、シスイからマフラーを受け取った時も、二人とも大小に違いはあれど、残念そうな顔をしていたように見えた。それまでずっと大切にしていたものが無くなるのだから、当然の反応だと思う。

 しかし、サカキはそうではなかった。龍だから、と言われてしまえばそうなんですか、で終わってしまうけれど、それだけではないように思うのだ。心構えなのか、心の在り方なのか、それとも大切なものに対する想いの重さなのか。答えは未だに見えないけれど、サカキ自身が答えを持っているのなら知りたかった。

 ユージローの言葉を聞いて、サカキは考えるようにこめかみへ指を添えた。


「そうだな、大切なものに執着したからといって、その大切なものが不変とは限らない、と知っているからかもしれんな」


 頓知のようにも聞こえる答え。

 ユージローは答えを噛み砕いて、再度問いかける。


「それは、大切なものが朽ちてしまう、ということですか?」

「それもある。しかしワタシが言いたいのは、ヒトの心もまた不変ではない、ということさ」

「ヒトの心、ですか?」


 ああ、と彼は深く頷いて振り返った。赤い瞳は、とても優しい光を浴びてユージローを見ている。


「心ほど変わりやすいものはない。それは何も人間だけではなく、ワタシ達のような存在も大差ないのだ。しかしワタシ達は、変化することをヨシとしている。だからこそ執着というものを待ち合わせていないのかもしれん。……まあもちろん、例外はいるが」


 嫌なことを思い出したのか、眉間に皺を寄せている。

 変化を恐れず受け入れる気持ちが、その淡々とした気持ちに出る。

 納得できるような、そうではないような複雑な気持ちだ。サカキの言っていることは、きっと正しい。しかしユージローがそれを実行出来るかと言われれば、今は無理だと思う。これから先、そうなれるかどうかもわからない。

 変化を恐れない心。それを手に入れることは、出来るだろうか。


「焦ることはない」


 ハッと顔を上げる。やはりサカキは優しい顔をしていた。


「自分の心の声をしっかりと聞くことだ。ヤマセでもコーリでもない、お前自身の声を。そうすれば、自ずと答えは見えてくる」


 

 ***



 静かに閉まった扉を最後まで見送ってから、ユージローはカウンターへと向き直った。

 そこにはサカキがお代として置いていった銀の髪の束がある。それをコーリへと持っていかなければいけないが、なんとなくユージローは、客用の椅子へと腰をかけた。

 此処を訪れる客の椅子側から、店を見渡すのは初めてだ。

 研磨をかける音は聞こえてこない。

 ぶら下がる鍵から聞こえる爽やかで軽やかな音は、変わらず降り注いでいる。


「いつか僕にも分かるかな」


 小さな問いかけに答える者はいない。

 しかし寄り添うように、鍵達が奏でる音がユージローを包み込んでいた。


 焦ることはない。


 サカキが店を出る前に念を押すように言ったその言葉を、もう一度頭の中で反芻してから、ユージローは軽く自分の両頬を打って立ち上がったのだった。

 

 







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