清水 ⑥


 振り返った先で、ヤマセは笑っていた。

 やれやれと言いたげでもあったし、少し残念そうにも見えた。


「難儀、ですか?」

「うん」


 ヤマセは短く頷いた。

 一体どういう意味ですか、と聞こうとして脳裏を過ぎったのは、シスイの瞳が揺らいだあの瞬間。

 本当にその鍵が良いのか、とヤマセが聞いたあの一瞬、シスイが迷いを見せたような気がしたのだ。勘違いかと思うほどのちょっとした違和感だったから、口に出すことはなかったけれど。


「もしかして、シスイさんは本当は別の鍵が欲しかったってことですか?」

「当たらずとも遠からず、だね」


 とりあえずお茶でも飲みなよ、と声を掛けられて、そういえばカウンターに置きっぱなしになっていた湯呑を思い出す。

 もう冷めちゃっただろうな。

 そう思ったのに、湯呑からはまるで淹れたてのような白い湯気が立っていた。目を瞬いても、湯気は消えない。実際に触ってみた湯呑みは、むしろ熱いほどだった。


「え、なんで?」

「随分時間が経ったはずなのにって?」


 心の中を言い当てられたことに驚いてヤマセを見ると、楽しそうに笑っている。


「コーリから聞いただろう? 此処は時間の流れが違うんだ」

「た、確かに聞きましたけど」


 まさかこんなところにも違いが出てくるなんて。

 シスイが店に入ってきて出ていくまで、体感では一時間弱はあったと思う。それなのに、この店では数分も経っていない事になっているらしい。そもそも時間という概念が自分が元いた場所と違うのだ、と言っていたことを思い出して、なんだか不思議な気持ちになる。

 湯呑を傾けて喉に流し込んだ茶は、いつも通りの温かさと安堵を胸に連れてきてくれた。

 それを見てから、ヤマセは、さっきの話に戻るけど、と口を開く。


「確かに彼女は『明るい性格になりたい』という願いを持っている。でも自分を取り巻くモノの根本的な問題は、そこじゃないことも何処かで気付いていた。だから、ボクがその鍵がいいのか、と聞いた時、言い淀んだんだ」


 あの僅かな間と目の移ろいはそれが理由だったのか、と納得がいく。

 ただの違和感だけかと思っていたら、そうではなかったようだ。


「それに彼女は『それでいいです』と言った。『それがいい』じゃなくて『それでいい』ってことは少なからず妥協があるってことだろう?」

「た、確かに……」

「彼女自身は気付いていないだろうけど、彼女の口から無意識に出た言葉は一番本人の深層に近いものだからね」

「でも、ヤマセさんは何も言わないままで良かったんですか?」


 彼女の言動に滲む躊躇いに気付いていたのであれば、何かしらのアドバイスをしても良かった筈だ。なのに、ヤマセはすんなりとシスイの言葉を受け入れて、それ以上何も言うことはなかった。まるで我関せず、と言わんばかりだったのに。

 解っているのに言わないのは、少し意地悪のような気もする。

 眉を寄せたユージローに、ヤマセは眉を下げた。


「此処は望んだ鍵を手に入れられる店だけれど、本人が口から出さないものは作れない店でもあるからね」

「そうだとしても、何回か聞き直したら、彼女が鍵を変えた可能性だってあるんじゃないですか?」

「どうかな。本当に『それがいいか』と聞いて彼女は『それでいい』と言った。それが一番の答えじゃないのかな」


 ぐうの音も出ない。

 ヤマセの言うことはいつだって正しい。正しすぎるほどだ。でも、と食い下がってもそれが無駄であることは解っている。

 更に言えば、こういう彼の方針もまた、この店の『キマリ』なんだろう。

 踏み込みすぎない。

 相手が口に出さないことは深入りしない。

 本人の口から出た以上の鍵は作らない。


 それでも、ユージローの諦めきれない気持ちは消えたりしない。

 だって、此処に来た人皆に、納得の行く鍵を作って欲しいと思う。独りよがりな願いだとしても、此処に来る人には満足してもらえたら嬉しい。特にこの店の鍵達に魅せられた人には『嗚呼、この店に鍵を作って貰って良かった』と思って欲しい。それにあんなに懸命に作っているコーリが報われて欲しい。サロウに鍵を渡した時の満足げな顔を、いつだってして欲しいと思うから。


「ユージロー」


 呼ばれた名前に顔を上げる。

 ヤマセは少し困ったように眉を八の字にしていた。


「そんな悲しそうな顔をしないでおくれよ。何も全く変化がないわけじゃない。これがきっかけになって、本当に欲しい物が分かる人もいる」


 そうなんだろうか。

 でも、ヤマセが嘘を言うことはない。少なくとも今までは茶化すことはあっても、相手を安心させるような嘘を吐いたりはしなかった。出来ない事を出来ない、と言えるヤマセだからこそ、その言葉には説得力がある。

 それにね、と言葉を続けるヤマセを見つめた。少しだけ楽しそうに口角を上げた彼から聞こえた声は、随分と柔らかな音をしていた。


「大事なのは鍵じゃない。それを作る本人の意思だ。鍵はただの手段に過ぎないんだよ」

「手段……」

「それともユージローは、鍵を作りたいって言ったヒトの意思を反故にする?」


 慌てて首を横に振る。

 ヤマセの言うように、そのヒトの意思を尊重したい。

 変われるかもしれない、と思ってそのヒトが出した答えなのだ。ヤマセがシスイに言った通り、他人の物差しでは己の心は測れない。本人の気持ちが一番で、他人がどうこういう筋合いはない。

 そう思った途端に、あ、と気付く。

 自分の言葉が、そのヒトの意思を潰しかねないことに。

 シスイがそれで良いと言ったのならそれが良い、としたヤマセに比べて、自分はもっといい方法があったのならそれを伝えるべきだ、と言った。

 でもそれはシスイが望んだことではなく、自分本位の言い分だ。

 もしもそれを押し通してしまった時、シスイの意思を無視してしまうことになるのに。やはり自分には考えが足りないな、と思う。こうして指摘して貰えなかったら気付けなかったことだ。少し落ち込むけれど、それと同時に今気付くことが出来て良かったと思う。


「ユージローはとても優しい子だ。でもその優しさは、振りかざすものではなく、沿うものであってほしいと、ボクは思ってるよ」


 頭に乗った手。

 ぽんぽん、と労うように撫でてくれるヤマセに、はい、と強く頷いた。

 思考が全てではない事は解っている。でも、相手の言動の裏の裏まで、想像出来るようになりたい。ヤマセのように。

 シスイが出て行った扉を見つめて、そうユージローは思った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る