サロウ ②
ちょっと待ってろ、とコーリがまた店の奥に戻っていったのを見送って、サロウに向き直る。彼は、まるでユージローがそうすることを解っていたように、ニヤリと口角を釣り上げていた。
「何か聞きたいことがあるんじゃろ」
目をぱちぱちと瞬いてから、やっぱりお見通しですね、とユージローは小さく笑う。
胸の内のわだかまりを、サロウが察して声を掛けてくれたのだろう。
彼はさっき、相手の心が見えても何も出来ないこともある、と言った。でもこうして声を掛けてくれるということは、その問いかけをした時、彼が何かを答えてくれる可能性があるということだ。
サロウやコーリ、ヤマセも、出来ることは出来るし出来ないことは出来ない、と相手に言う態度のようにユージローの目には映る。見栄を張ることもなく、取り繕うこともなく、ある意味素直に相手に言葉を返しているように見えるのだ。こうした方が良いと声を掛けてくる人の中には、相手を思い通りにしたい、と思っているような輩もいる。しかし、彼らにはそういう下心を一切感じない。
人間ではないからそうなのか、もともと彼等がそういう性格なのかは定かではない。でも、回りくどく言葉の裏に隠された意図を察せ、と言わんばかりの人の相手よりずっと、ユージローにとって一緒にいて心地の良い人達だ。
だったら、と思う。
サロウがそう言ってくれるのなら、ずっと自分の胸にある答えの見えない黒い靄を、彼にぶつけてみようと思った。
カウンターの上で組んだ己の両手を見つめて、小さく息を吸って口を開く。
「サロウさんに、聞きたいことがあって」
「なんじゃ、いうてみろ」
持ち上げた視線の先で、サロウの瞳がやわらかな光を帯びていた。木漏れ日のように温かく、誰かを見守るような光だった。天井からぶら下がる鍵たちの擦れる音が、心地よく二人を包む。それに背中を押されて、彼の目を見つめて言葉を舌に乗せる。
「前に此処に来た人がいて、その人はコーリさんが作った金庫の鍵が使えないと文句を言ってきました。でも僕は、コーリさんの鍵が悪いんじゃないと思っているし、実際にヤマセさんも彼自身の問題だといっていました」
今でもデンダの顔を時々思い出す。
デンダの勝ち誇ったような優越感に塗れたあの顔。他人を侮辱するが楽しいと言わんばかりだった。しかし、彼が鍵を使えなかったのは彼自身に問題がある、とヤマセに言われた。その時の焦燥感に駆られた顔が、しつこい油汚れみたいに脳裏にこびり付いている。なぜだ、と壊れた機械仕掛けの人形のように繰り返しながら、彼はこの店を後にした。
あの日から、一度もデンダを見ることはない。
それでも、彼をふとしたときに思い出すのだ。
その度に思う。
デンダさんは、まるで僕の鏡写しのようだ、と。
どうしたら良いのか分からないまま、右往左往して嘆いて、その場から一歩も進めない。今は誰かの所為にしていなくても、いつか自分も、デンダのようになってしまうのではないか。誰かに当たり散らして、結局何も出来ずに終わるんじゃないか。
そんな不安でいっぱいになる。
「どうして彼は鍵を使うことも、鍵穴を見つけることも出来なかったのか、ヤマセさんに教えてもらいました。けど、僕にはピンとこなくて。鍵穴は目の前にあるのに、どうして鍵は使えないのか。それも聞いてみても、イメージは湧いても確かな答えは見つかりません。でもサロウさんは、違う」
それに比べて、サロウは鍵を使うことに全く抵抗もなく、自由にコーリの鍵を使っている。コーリが顔を緩ませる程に、この店に何度も訪れている。きっと彼は、これから先も通い続けるし、一度も使えないなんてことは起こらないのだろう。
その違いは何なのか、知りたいと思った。
「一体サロウさんは、どうやって鍵を使っているんですか? 何がこんな差を生むんでしょうか」
落ちたのは沈黙。
矢継ぎ早の問いかけになってしまったことに気付いて、少しだけ申し訳なく思った。しかし、サロウはゆったりと彼自身の長い髭を撫でながら、そうじゃなぁ、と柔らかな声を零す。
「儂は、鍵は渡されたものをそのまま使うだけで、使えなかったことは一度もない。特に意識したこともない」
予想通りの答えに、そうですか、と肩が落ちる。
彼の答えは尤もで、そういう意識もなく使えてしまうのなら、理由は彼自身にもわからない筈だ。自分が当たり前のように出来てしまうことを、相手に説明するのは至難の技であることは、ユージローにも解る。この店に来て、ユージローは他人の名前が各々の頭の上に浮かんで見えるようになった。でもそれをどうやってやっているのか、と聞かれても、いつの間にかそうなっていたから、という答えしか相手に提示できない。それと同じ事なのだろう。
やっぱり自分で考えるしか方法はないのだろうか、と思った時だった。
「だがな」
僅かに下がっていた視線を上げると、サロウと目が合う。
にんまり、という効果音がピッタリな笑い方をした彼は、こちらに少し顔を寄せて囁く。
「鍵穴のことなら、少しだけ説明できるかもしれん」
「っ、ホントですか!?」
思わず彼の両肩を掴んでしまったユージローに、サロウは豪快に笑った。心配するな、と言いながら肩を掴んだままの手を、ぽんぽんと叩いてくれる。
ずっと抱えていたわだかまりを、解き明かすことが出来るかもしれない。
そう思えば思うほど、ユージローの心は華やいだ。
「ただし」
じっと顔を覗き込んできたサロウがやけに真剣な顔をするから、自然とユージローの顔も引き締まる。じっと見つめ返したら、サロウは静かに口を開いた。
「儂が出来るのは説明だけじゃ。結局の所、最後の答えは自分で見つけるしかない。お前さん自身が、お前さん自身の答えを見つけるんじゃよ」
自分自身で見つける。
復唱するように小さい声で紡ぐ。
今すぐは難しい、と思う。それでも、サロウがまたとないチャンスをくれたのなら、それを無駄にしたくはない。自分自身で答えを見つけ出す努力は、していきたい。
深く頷いたユージローに、サロウはとても柔らかな笑みを見せた。
ずっと抱えていた暗色のモヤをやっと手放すことが出来そうだ。
「じいさん、持ってきたぞ」
「おお、グッドタイミングじゃな、コーリ」
そう思ったのと同時に、後ろからかかったのはコーリの声だ。
今から教えてもらうところだったのに、と内心残念がるユージローとは裏腹に、サロウは快活に笑った。
グッドタイミングじゃなくてバッドタイミングの間違いじゃないのか、と思う。今まさに鍵穴のことを聞こうとしていたところだったのに、聞きそびれてしまった。
そんなユージローの心を読んだサロウは、チッチッチ、と舌を打ってニヤリと笑う。
「これが花と話をする鍵だ」
コーリからサロウに差し出された鍵は、金の柄から様々な色、種類、形の花が咲いていた。勿論本物ではない小さな花だというのに、一つ一つが精巧に作られている。
薔薇、椿、牡丹、向日葵、霞草、桜、梅、芍薬、百合。
名前が分からない花もあったが、大きく花びらを開いて咲き誇っている花々。
人の小指ほどの小さな鍵にどうやったらそんなに小さな花の造形を付けられるのか分からない。
その鍵をコーリから大事そうに受け取ったサロウは、目を瞬かせるユージローに言った。
「見とれよ。鍵を使うのは一瞬だ」
「一瞬、なんですか?」
「ああ。見逃すんじゃないぞ」
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