94 重蔵ッチ

 見つめ合う俺とアロハシャツ姿の重蔵氏。


 それにしても、いかにも重鎮といったオーラをまとったあの老人が、一気にファンキーになったものだ。


 孫を喜ばせたくて形から入るあたり、血はつながってなくても大家さんとよく似ている。……というか大家さんをパクったのかもしれない。


 そんなことを思いながらも俺、そして重蔵氏も、ドアの境界線を境に固まったまま立ち尽くしていた。


 いろんな感情が押し寄せてきて、なにを話せばいいのかわからないんだよね。おそらく重蔵氏もそうなのだろう。


 そんな膠着こうちゃく状態を打破したのはやはり相原だった。相原は俺と重蔵氏を交互に見つめながらにゅっと片眉を上げる。


「あれ? なになに? なんなんその反応? ……えっ、もしかして二人って知り合いだったりすんの? ウッソ、マジでかヤバッ!?」


 その言葉に素早く反応したのが重蔵氏。


「う、うむ。実はそうなのだ! まさかこんなところで出会うことになるとは! 久しぶりだなあ松永君!」


「そっ、そうですね重蔵ッチ!」


 そこに俺も乗っかった。こんな反応をしておいて、知り合いじゃないというのはさすがに無理がある。


「ええーマジか! ねーねー二人はどこで知り合ったん?」


「え、ええと、それは……だな。……数年前、ここに入院する前の話になるのだが、ワシが落とし物をしたことがあってな。それを親切にも届けてくれたのが松永君だった。それで礼代わりに一度食事を共にしたことがあるのだ!」


「そ、その節は美味しい食事をご馳走していただき、ありがとうございました!」


 コクコクと頷き、さらに話を合わせる俺。


 しかし重蔵氏の説明には嘘しかない。どうやら口ぶりからして、俺たちがつい先日知り合ったばかりというのは隠しておきたいようだ。


 たしかに重病人だった重蔵氏と俺が会うのは不自然すぎるし、相原に色々と尋ねられてしまうだろう。そうなるとさらに面倒なことになるのは間違いない。それをとっさに回避した重蔵氏、さすが頼りになる。


「ヤバ、すっごい偶然じゃん! んじゃセンパイもほら、遠慮しないで部屋入って! 中でゆっくりトークしましょーよ!」


「う、うむ。そうだな。入ってくれ」


 我が物顔の相原となんとか落ち着きを取り戻した重蔵氏に誘われて、俺は部屋の中へと招き入れられたのだった。



 ◇◇◇



 応接室のソファーで俺と相原はテーブルを挟んで重蔵氏と向かい合う。すでに準備万端だったようで、テーブルには香り豊かな湯気の立つコーヒーが用意されていた。


 さっそく相原が俺の方に手をひらひらさせながら口を開く。


「ジーチャン、もっかい紹介するけど、この人がウチのカレシの松永センパイ! ウチが勤めてる会社のセンパイだった人なんだー」


「本当にすごい偶然だな……しかし先輩とはどういうことなんだ?」


「あー、センパイ会社辞めちゃったんよね。なんかそのうち親戚の手伝いをするって聞いてるけど」


「むっ、松永君。君は無職だったのか?」


「え、ええ。そうなんです……」


 やはりいい歳こいた無職はなんとなく気まずい。しかし重蔵氏は特に気にした様子もなく軽くうなずく。


「ふむ……まあ君なら無職でもなんとでもなるだろうな。ワシは気にせんよ」


「ほらねセンパイ、ジーチャンは気にしないって言ったっしょ? てかジーチャン、センパイの評価高くね? マジレベチじゃん!」


「ふふっ、まあな。それにしても松永君が莉緒の彼氏だったとはなあ……。最近は世の中を広く感じたり狭く感じたりと忙しいわい」


 顎を撫でながら感慨深げに目を細める重蔵氏――


 ――ここだ……! ここが俺の今後の分岐点だ。


 俺は腹にグッと力を込めると、重蔵氏を真正面に見据えながら声を上げた。


「あの、重蔵ッチ!」


「な、なんだ松永君。あとそれから――」


「実は俺、相原に彼氏役として連れてこられただけで、相原とは単なる先輩と後輩の関係なんです!」


「――は?」


 突然の告白に目を見開く重蔵氏。相原が俺の肩を掴んで大声を上げた。


「ウワーーーーーー!! ちょっ、センパイ! なにイキナリ言っちゃってるんすか! マジで意味わからんし!」


 ゆさゆさと肩を揺さぶる相原に俺は静かに答える。


「すまん相原。しかしここでウソを貫き通すと、後で絶対にこじれる確信がある。俺はその心労に耐えられる気がしないんだ。それに正直そこまで面倒見きれんし」


「ウオオオオオオン! そんな真っ直ぐな瞳でヘタれたこと言うなよクソーー! この裏切り者ーー!!」


 たしかに相原には悪いと思うが、約束では今日限りの恋人関係だ。しかし重蔵氏は魔物肉を買い取ってくれる人物で、今後とも付き合いがある。


 そんな人相手に孫の彼氏だとウソをつき続けるのは、どう考えたって無理だろうよ。俺は相原に揺らされたまま重蔵氏に顔を向けた。


「あの、相原は重蔵ッチを喜ばせたい一心で、俺なんかを彼氏に仕立て上げただけなんです。それはわかってあげてください」


「むう……」


 しばらく呆然としていた重蔵氏だったが、気を取り直すように一度コーヒーに口をつけた後、相原にやさしく語りかける。


「莉緒、ワシのためにやってくれたのだろう? だからワシはがっかりしないし、むしろすごくうれしいぞ。ありがとう莉緒。それにワシはまだまだ長生きできそうだからな。彼氏はのんびり作ってくれればそれでいい」


「ううっジーチャン……。ウソついてごめんよー」


「いいや、ワシの方こそ気弱な愚痴を漏らしたせいで、お前に気を使わせて悪かったな。……それにしても、松永君。そのような計画を頼むくらいだし、単なる先輩というわりには君はずいぶんと莉緒と仲がいいようだな?」


 未だ相原にユッサユッサと揺らされ続ける俺を、重蔵氏が探るように見つめる。しかしもちろんそれは誤解だ。


「重蔵ッチにはそう見えるんですか? ですが俺なんて相原にいいように使われてるだけですよ」


「そうなのか? しかし今思い返せば、会社にはやさしい先輩がいて、おかげで仕事が楽しいって言っていたような――」


「ワーワーワー!」


 相原が大声を上げて重蔵氏の話の邪魔をする。とはいえ全部聞こえたわけだけど、やさしい先輩というのは俺のことではないと思うよ。


 相原は見た目がいいから先輩連中からはかわいがられていたし、むしろ教育担当だった俺は小言をばかり言っていた気がする。


「それは重蔵ッチの思い過ごしですよ。俺なんかより――」


「と、ところで松永君?」


 重蔵氏が顔をこわばらせながら会話を止めた。


「なんですか? 重蔵ッチ」


「それだ。その……重蔵ッチって呼ぶの、やっぱり止めてくれんか……」


 言いにくそうに目をそらしながら声を漏らす重蔵氏。


「えっ、あっハイ……」


 俺としてはむしろ気を使ってあえて呼んでいたんだけどね。どうやらお気に召してはもらえなかったようだよ。

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