58 異空壁

 どうやら賭けには勝ったようだ。俺はアースドラゴンの真っ黒な足裏を見ながら大きく息を吐いた。


 異空間はその穴より大きな物を入れることはできない。つまり異空間に拒絶された物体は断絶した空間に阻まれ、そこから先に進むことができないということになる。


 そしてそれは、アースドラゴンの足みたいな巨大な物体でも変わらないということのようだ。


 これならなんとかなる……のかな?


 俺が考えを巡らしていると、ローブ男の声が聞こえた。


「おい、なにを遊んでいるんだ? さっさとやれ。まだ仕事は残ってるんだからな」


 甲羅の上からの眺めだと、寸止めしてるように見えるのだろう。面倒くさそうに言い放ったその声に、アースドラゴンはもう一度振り上げた足を落としてきた。


「ひえっ……」


 再び迫ってくる大迫力の足裏に、思わず声を上げる俺。


 しかし異空間を前に、その足はピタリと止まる。衝撃音もなにもない。ただ、踏みつけようとした風圧で俺の足元の草が揺れていた。


 当たり前だけど風が吹くのは、異空間より外側にはなんの影響もないということだ。俺が異空間を出現させた所を踏んでくれているから攻撃を防げているだけなんだよね。


 そう考えると、マンホールほどの大きさの異空間はなんとも頼りないように思えてきた。


 仮に異空間から外れた場所を攻撃してきたら、俺は一巻の終わりだ。ペチャンコになるか、冒険者のように跳ね飛ばされるか……想像しただけで恐ろしい。


「あっ、それなら……」


 そこで俺はピコンと思いつく。


 異空間が小さいのなら、当たり判定を広げればいいのだ。そのためには異空間を細かく分割してやればいい。


 異空間の分割は、馬車の移動中のヒマ潰しによくやっていたことなので慣れたもの。


 さっそく俺はいくつもいくつもいくつにも異空間を小さく細かく分割していき――異空間の壁、異空を作り上げた。


 異空間のひとつあたりの大きさはなんと驚きの5ミリ。ヒマ潰しの賜物たまものである。


 俺はその異空壁で自分の前面を覆うように展開させると――ちょうどアースドラゴンの足裏と同じくらいのサイズになった。


 異空壁に変更してもアースドラゴンの足はピタリと止まったままだ。やはり異空間は小さくしても効果は変わらないみたい。


 きっとこの5ミリの一粒であろうと、物質は異空間を超えることができないんじゃないかと思う。まあこの辺は要検証だけどね。


 異空壁がうまくいったことにひとまず胸をなでおろしていると、頭上からの怒鳴り声が耳に届いた。


「遊んでるんじゃねえって言ってるだろ! さっさとやれ!」


 そんな苛立ちを隠さないローブ男の声に従い、アースドラゴンは足を振り上げて落としてきた。


 今度は一度ではなく、まるで布団叩きのように、何度も、何度も、俺に向かって執拗しつように足を振り下ろす。


 ――しかし、異空壁はその足を通さない。


 異空間と異空間の隙間からすり抜けた土だけが、ぱらぱらと俺の頭に落ちてくるくらいだった。



「――グオ……グホ、グホゥ……」


 やがて異空壁に足を乗せたまま、息切れを始めるアースドラゴン。それを見ながらふと気になることがあった。


 異空間は俺の思いどおりに動かすことができる。それじゃあ、このまま異空壁を上に押し上げていったらどうなるのだろう?


 物は試しだ。さっそくやってみることにしよう。


 異空壁に俺の意思を伝える。――そのまま上に上がっていけと。


 すると異空壁は俺の思いどおりに、アースドラゴンの足を乗せたままどんどん上へと上がっていく。


 そこに負荷らしきものは感じない。普段と同じようにスーッと音もなく動くだけだ。


「グオ、グオオ……」


 戸惑うような声を発するアースドラゴン。そして片足は地面につけたまま、片足だけが上がっていく状況に、ローブ男から怒りの声が飛んだ。


「なにしてるんだ!? おいっ! ふざけるんじゃねえ!」


 だがアースドラゴンがさらに身体を傾けていくと、ローブ男の口調がなだめるように変化した。


「そ、そうか! 悪かった! 俺も怒鳴りすぎたよな! それなら先にメシにしておくか? ほら、そこに女が倒れてるだろ? 女の肉は大好物だったよな、食っていいぞ!」


 だが、いくらアースドラゴンをなだめたところで、動かしているのは俺なわけだ。


 そのままどんどんアースドラゴンの片足が持ち上がっていき、ついにローブ男が甲羅から滑り落ちてきた。


「ぐぎゃっ!」


 地面に落ち、悲鳴を上げたローブ男。腰を痛打したのか起き上がれずに四つん這いのままキョロキョロと辺りを見回している。


 そして俺と目が合った。


「てめえ! いったい何をしやがった!」


 ローブ男が俺を指差し、大声で怒鳴りつけてきた。


 フードで隠れて表情はさだかではないが、怒っていることくらいはわかる。……でも、そんなのこっちも同じだよ。


 そんなローブ男の周辺に突然影が差した。


 バランスを崩したアースドラゴンが背中から落ちてきたのだ。ローブ男は迫りくる甲羅を見上げて――


「うわっ、うわあああああああああああああ!!」


 ドゴオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!


 アースドラゴンが背中から落ち、耳が痛くなるくらいの激しい音が響いた。地面も大きく震えて立っていられないほどだ。


 しかし地面の震えは思いの外すぐに収まった。そしてさっきまでの轟音がウソのように静まり返り、静寂だけが辺りを支配したのだった。

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