35 路地裏

「ぎゃー! 腕引っ張んなって! 服伸びるし!」


「いいから来いやオラァ!」


 抵抗むなしく、激昂げきこうした男に引っ張られていく女。その路地の向こう側には、なにやらムーディできらびやかな建物が見える。これはマズい。


「あのー、ちょっといいかな?」


 思わず声をかけてしまった。俺の声に反応して男女が振り返る。


「あっ、先輩!」


 やっぱり女は相原だった。俺はぺこりと頭を下げながら二人に近づく。


「ども……。ええと、ソイツ俺の元後輩なんだけど……なにかご迷惑をおかけしましたか?」


「ちょっと! なんでウチが迷惑かけた前提なんすか!」


「うるせえ黙ってろ!」


 ギャーギャー騒ぐ相原を一喝し、男は俺を睨みつける。


「……なあ、おっさん。こっちはこれからいいトコに行くんだよ。邪魔すんじゃねえ殺すぞ?」


 ゆらりと体を俺に向ける男。さっきまではわからなかったが、どうやら俺よりも背が高いし体格もいい。そのぶっとい腕で殴られでもしたら、ワンパンでKOされそうな気がする。


 ……しかし、なんだろう? 異世界でもっとヤバい連中に追いかけられた経験があるからなのか、それほど怖さは感じない。


「ちょっとした男女のトラブルってヤツだ。おっさんが首を突っ込むことじゃないワケ。わかるよな? なあ?」


 男は相原から手を離すと、ニヤニヤとバカにしたような笑いを浮かべながらゆっくりと近づいてきた。


 そして片手をポケットに入れると、俺にだけ見えるように手の内からキラリと光るナイフを見せつける。


 男の手のひらに収まるほどの小さな折りたたみナイフだ。俺が実際に腹を刺された分厚いサバイバルナイフから比べると、まるでオモチャのようにしか見えなかった。


「だからよ、黙って回れ右をしろ。いいな……?」


 そんなオモチャを見せびらかし、勝ち誇るように口の端を吊り上げる滑稽な男。


 ――それを見て、俺はなんだか安心してしまった。これならなんとでもなりそうだと。


 俺は軽く息を吐き出して男から視線を外すと、路地から見える細い夜空を見上げて叫んだ。


「ああっ! あれはなんだ!?」


「あん?」


 その声に男も上を向く――『収納ストレージ』。


 俺は男の真上に異空間を出現させると、そこから大量の水を吐き出させた。次の瞬間、男は顔面に滝のような水を打ち付けられる。


「ぐわっ!」


 突然の滝行に、男は頭を抱えて体をふらつかせた。


「おいっ、行くぞ!」


 俺は背後で呆然としている相原の手首を掴むと、そのまま大通りに向かって駆け出す。


「チッ、待てやコラァ!」


 たかが水だ。怯んでいた男もすぐに俺たちを追いかけようとして――


「あーっ! アレは!!」


「うるせえぶっ殺す!」


 今度は見上げない男。だが見上げずとも、その頭上には異空間が開き――今度はそこから電気ケトルが落下した。


 ゴンッ!


「痛っ!!」


 男の頭に電気ケトルが直撃する。そしてそのはずみで電気ケトルの蓋がパカリと外れた。


「ぶあぁっ! あちいいいいいいいいいいいいいいいぃぃ!!」


 中に入っていた熱湯を全身に浴び、男は叫びながら倒れ込むとジタバタと地面を転げ回った。ちょっとだけかわいそうだけど、正当防衛だよね、きっと。


「えっ? ええっ!? えええっ!?」


 そんな様子に相原は混乱したように上を見たり下を見たりとキョロキョロしている。


「いいから行くぞ!」


 俺は立ち尽くす相原の腕を無理やり引っ張ると、そのまま大急ぎで路地裏から大通りへと駆け抜けたのだった。

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