輪廻の狭間

長居佑介

最終話

 天はなく。地もなく。

 光もなければ、影もない。

 誰もいなくて、誰もがいる。

 生と死、死と生の境界線にある『輪廻の狭間』。


「——・——」


 ぼんやりと揺蕩っていた——・——は名を呼ばれたことで形を持った。


 その姿は狭間にいるにはあまりにも若々しかった。

 色素の抜けていない髪。血管の浮きでない肌。栄養の生き渡った筋肉質な体。


 そのどれもが狭間にいるにはふさわしくない。

 老いて、老いて、老いた先、苦しみぬいた体があるはずだった。


「生きざまの遡行」


 その音が響いた瞬間、——・——の腹には数か所の刺殺痕が現れた。

 血を吹き、眉にしわがより、奇声を口から発した。


 そんな重症であるにも関わらず、それらの傷はすぐに元に戻った。


 そのあとも、いくつかの打撲痕や擦過傷が浮かび、薄れていった。

 あるいは、熱に浮かされることもあれば、肌が震えることもあった。

 苦悶の表情を浮かべることもあれば、満足気な表情を浮かべることもあった。


 浮かんでは、消える。

 肉の体が——・——の生きざまを語り掛ける。


 徐々に体が幼くなり、最後にはマイクロの世界まで小さくなった。


「信仰と業の測定」


 ——・——の体が消え去った時、次の音が響いた。

 数が浮かび上がることもなく。

 文字が羅列されるわけでもない。

 音が響くわけでも、匂いが薫るわけでもない。


 加点法でもなければ、減点法でもない。


 人の身では理解することのできない『ナニカ』が働いていた。


「——・——の信仰は上位のカーストへ昇格するためには不十分でした。同様に、——・——の業は下位のカーストへ降格には不十分でした。よって、——・——には天の国での永遠の恩寵及び地の獄での永遠の懲罰は与えられません。——・——は輪廻の輪へ返還されます」


 『ナニカ』は淡々に熟考して結論を出した。


「次なる輪廻の探索」


 機械的で情緒的な流れは声が響くごとに進んでいく。


 一つ、また一つと世界の窓が現れては消える、消えては現れる。

 すぐ消えることもあれば、なかなか消えないこともある。


「——決定」


 ただ一つの世界の窓を除いて、数え切れない世界の窓が一瞬で閉じた。


 そこは『——』の世界だった。


「これにて、狭間の時は終了いたします」


 何も見えず、聞こえず、味わえず、匂えない魂。

 そんな魂に音は律儀に宣告を行った。

 もし体があればお辞儀もしていたかもしれない。


「——・——さん。お疲れさまでした。——・——の生きざまは私たちが永遠に維持させていただきます」


 これまであまりにも超越的だった音に色が生まれた。

 その色はどこまでも平等で、残酷ではあったが、ドロドロなやさしさに包まれていた。


「そして、次はあなたの物語です。精一杯生き咲いてください」


 『ダレカ』は祈り続ける。

 平和でも、平等でも、金でも、愛でもなく。

 ただ一つの魂に対して。

 『————』、と。


「それでは、行ってらっしゃい」


 ——・——が輪廻の狭間のことを思いだすことはない。

 けれど、確かにあったお話である。

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輪廻の狭間 長居佑介 @cameliajaponica

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