Season1

FILE.1 よくある話

今日も日本は平和だな、と思いながら、最近起きた殺人事件の資料に目をやる。れたばかりの珈琲コーヒーが少し前は美味そうに見えたのに、今では少し泥水の一種にすら思えてきた。

自販機に行っていた部下の池本彰馬イケモトショウマが帰ってきた。何かにやにやしていて、珈琲みたいに気色悪い。

「池本、どうした...?」

「それがですね~。たった今、血まみれの男が、妻と友人を殺してしまったって自首してきたんですよ。B級ホラーの怪人がフィルムから出て来たのかと思いましたよ。」

「ははっ...」

池本に少し呆れながら、仕事に戻る。

そして、その日の夕方頃である。

「なあ、大久保オオクボ。ちょっといいか。」

「はい?何ですか。」

上司の鎌形カマガタさんが、俺に話しかけてきた。

「聞いたか、昼間の自首してきた血塗れの男のこと。」

嗚呼ああ。池本が教えてくれました。」

「そうか。」

「ソイツがどうかしたんです?」

「いや、ちょっとお前に、取り調べをして欲しくてな。」

「取り調べですか。」

「嗚呼、今、人手がちょっと足りなくてな。」

「嗚呼。わかりました。」

「おう、すまねえな。」

「いえ、大丈夫です。」

「じゃ、明日、頼むわ。」

「はい。」

「これ、そいつの今わかってる情報だ。」

「わかりました。」

「じゃ...」

鎌形さんは、缶珈琲片手に去っていった。

「えーと...」

その男の名は、加原徹カハラトオル。31歳。建築デザイン会社勤務。既婚済。

見た感じは、一般的な中の上な男だ。こんな奴ですら、血塗れで自首してくるんだ。日本も実は中々イカれた国だったかのかもしれない。池本は確か、妻と友人を殺してしまった、って言ってたな。浮気か。やっぱ結婚ってのは相当な覚悟を要するものなのかもな。

俺はその日は、適当に仕事して帰った。

―翌日―

話題のソシャゲに没頭していたせいか、睡魔の気配を強烈に感じる。こんな時こそ強制覚醒の術とかでも使えたらいいのに。

職場に着くと、もう池本はいた。

「あ、おはようっす!」

「おぅ...」

「何すか、寝不足っすか。今日、血塗れ男の取り調べなんすよね?大丈夫っすか?」

嗚呼、そうだった。取り調べ。

俺にはたった一つだけ忘れられない取調べがある。俺が初めて先輩として、部下とやったあの取り調べ...。あれ以来、俺はなるべく取り調べに対しては気を強く引き締めるようにしている。まあ、今日は一人だがな。

昼過ぎぐらいに、俺は取調室へ向かった。

閉鎖的なその空間には、既に細い黒縁眼鏡を付けた少し背が高くて地味めな男がいた。加原だ。流石さすがに返り血染めの服は着てないようだ。

「どうも、担当の大久保聖斗マサトです。加原徹さんですね。」

「ええ...」

加原が弱々しく答える。

「早速ですが、奥様と御友人の方を殺害してしまったんですよね?何があったか、詳しく教えて頂けませんか。」

「はい...。」

加原がうつむく。

ちなみにこの何があったかを聞くのを、俺は楽しみにしている。なぜなら、こういう経緯はドラマや漫画、小説ではあまり長く扱われないからだ。当たり前だが、それらは、探偵や刑事と犯人の闘いがメインであり、犯人の背景はあくまで添え物だ。だから、この背景を聞くことはこの事件のオマケであるサブストーリーをプレイしているに等しい。ゲームを深く味わっているように思えるのが、心地良い。基本的にはな...。

「妻は...浩美ヒロミと言います。友人は菊田悟キクタサトル。妻も菊田も古くからの付き合いでして。最近も、よく3人で遊んだりしていました。」

ほう。なら、なぜ凶行に。

「全部、結局のところは私が悪いんです。もっと、慎重に考えて行動すれば。信じる心があれば。」

「詳しく聞かせて下さい。」

「えぇ。私は仕事が忙しくて、家事も育事も妻に任せきりでした。」

酷えな。

「無論、協力しようと努めました。ですが、会社も人手が足りなく、やはり放置に。本当に申し訳ないと思っています。」

俺に謝られてもなぁ。

「そして、この頃、家の様子がおかしいと思う点が増えてきたんです。」

お。

「物の配置が少し変わっていたり、壊れた筈の物が直っていたり。」

「浮気っすね。」

おっと、つい口から漏れてしまった。ま、浮気でブチ切れて、殺っちゃったなんて、よくある話でしょ。

「ええ。」

あらら。

「私もそう思ってよ。」

ん?

「ある日、私は資料を忘れたことに気付いて、家に取りに行こうとしたんです。まだ間に合う範疇はんちゅうだったので。家に着いて、資料を回収した私は、車に乗って家を出ました。家のすぐ近くの信号で止まっていたら、一台の車が家の前に停まるのを見たんです。見覚えのある車だ、と思いました。そして、降りてきた運転手が...菊田だったんです。」

あ~あ。

「私は出勤しながら、必死に頭の中を整理しようとしました。私は結論として、妻は家のことに余裕を持てない私に愛想を尽かして、菊田に乗り換えたと考えました。」

まあ妥当だな。

「ですが、流石に結論を出すのは尚早だと思い、試しに探偵に1週間の調査を依頼しました。結果は...」

わくわく、わくわく

「その後も定期的に家に菊田が顔を出していました。私がいない時間に。別に妻と菊田が揃って、外出するなんてことはありませんでしたが。」

可哀想に。それは黒だな。

「私はその瞬間、自分の家内での有り様を棚に上げて、2人に裏切られた、という憤りを感じました。」

まあ、そうだな。

「探偵は、弁護士への相談を勧めてくれましたが、私はもう聞く耳なんか持ち合わせていませんでした...。」

はいはい。

「私は気付いたら、ホームセンターで包丁を買っていました。もう覚えていませんが、きっと阿修羅のような形相だったことでしょう。」

コワいコワい。

「その包丁で何がしたかったんでしょうね、私は。結局、2人に突き立ててしまいましたが。菊田を脅して追い出そうとしたんですかね。だとしたら、どの道、警察のお世話になっていたでしょうね。」

内なる狂気…!

「包丁を買って、3日経った昨日、私は会社に行くフリをして、菊田が現れるのを待ちました。」

おぉ...執念...。

「10分程待っていると、菊田が現れました。私は菊田が家に入るのを待って、それから後を追って家に入りました。」

うん。

「その時の2人の表情は忘れません。まるで、この世の終わりを悟ったような、天災が一気に4つ来ることを知ってしまったような。そんな表情です。」

おぉ...まあ、包丁持ってりゃあ、そりゃあなあ...

「ですが、私はその姿を見て確信してしまいました。この2人のことを...。」

...

「私は無慈悲にも、菊田を何の迷いもなく刺しました。うめき声すらも聞きたくないと思ったので、そのまま、3回刺しました。すると、震えていた菊田の体が動かなくなり、菊田は涙も唾液も垂れ流しで、目なんてあらぬ方向を向いてしまった酷い顔になりました。私はその顔を見て、急に恐怖心が湧いてきて、その顔目がけて、刃を何度も振り下ろしました。所詮、私は勢い任せの小心者だったんです。」

小心者、恐ぇ~...

「今思うと、何かの間違いで、息子が来なくて良かったです。あんなの見たら、ショックなんてもんじゃないでしょう。」

そりゃそうだ。

「妻の方を見ると、失禁して、泣きながら、『ごめんなさい、ごめんなさい』と謝ってました。」

地獄だな。

「菊田の鉄の臭いと、妻のアンモニアの臭いが辺りを覆いましたが、もう私には関係ありませんでした。」

鑑識さん、お疲れ様。マジで。

「妻とは少し話をしたかったので、まずは足を刺しました。絶叫が私の耳を酷くつんざくようでした。」

自滅やろ、そりゃ...

「やはり、あの時の私はかなり狂っていました。壁まで詰め寄ると、『なぜ菊田がいる』と聞くなり私は、妻が答えようとする中、腹の辺りを刺しました。答えを聞こうとしているのに、それを自ら閉ざそうとしているんです。」

イッてんな。

「壁にもたれながら、弱々しい声で妻は真実を教えてくれました。」

―昨日―

「ごめん...なさい...。別に貴方あなたに無理にでも...隠そうとしていた訳では...ないの...。」

どういうことた。はなから、私を見限っていたのか。

「菊田...クン...はね...、手伝って...くれた...の。」

は...?手伝う、だと...?

「ほら...貴方、お仕...事が...忙し...くて...家のこと...、どうしても...後手...に...回っちゃう...じゃん...。ショウの...こともあるからさ...、菊田...クンに...ね、壊れた...奴の...修理...とか、翔の世話とか...手伝って...貰ったんだ...。」

え...、それじゃ...。

「変に...誤解...させないため...に、コソコソ...やってた...けど、裏目...に出ちゃった...ね。こんな...こと...になっちゃ...う...なら、最初...から...、普通に...言えば...良かったね。でも...さ、ほら...貴方...、人...に気を...とても...遣っ...ちゃう...じゃん...?」

「嗚呼。嗚呼。嗚呼ァァァァァッ!」

「急に...そんな...怖い顔して...、叫ば...ないでよ...。吃驚ビックリしちゃう...じゃん...、翔が...。どうせ...さ、最期に...見せる顔なら...、笑ってよ...、ね...?」

「嗚呼...。アァ。」

泣きながら、笑うなんてレベルじゃない。汗も涙も唾液も鼻水も、全部混じって、とんでもない過呼吸になって。それでも必死に口角をいびつに上げてみせる。丸めた紙のように、きっと世界一酷い表情だっただろう。

「よく...出来...ました...。ハハ...」

あかくなった顔で笑い返してくれる。嗚呼、そうだ。私もこの世から消えよう。そうしよう。今、浩美と別れるなんて嫌だ。

私は喉元に刃先を当てようとした。だが、

「駄目だよ...、死んじゃ...。生き...なきゃ...。」

「いいや...、駄目じゃない...。私に生きる資格はないんだ...。」

「例...え...、生きる資格が...なく...て...も...、徹に...は...生き...る義務が...あるん...だ...よ...。」

「え...?」

「翔の...親が...どっちも...いな...いなんて...、可哀...想...よ。徹が...刑務...所に...行っちゃっ...て...も...、翔には...パパが...まだいる...っていう...事実...がとても...大事...だと...思うん...だ。だから...、お...願い、生...きて...。」

私はもう顔を浩美に見せることが出来ない、いや、してはいけないと思った。

「最後...に...、ごめん...ね...、本...当...」

はっ...。

「浩美...、浩美ィ...。浩美ィイィィッ!」

―私はそのまま、警察に向かった―

加原は滝のように大粒の顔を流し続ける。

「あのー...、あまり言いたくないですが...、そこまで話せたら、救急車呼ぶなりすれば間に合ったんじゃ...?」

「え゛ぇ...。私も゛ッ、今考ぇたら゛思い゛まずっよ゛、間ヂガいな゛ぐっ、助がっ゛だっ゛で...。でも゛、でも゛ッ…」

駄目だ。涙と鼻水で、何が言いたいのか、わかり辛い。

「ほら。」

支障をきたすから、仕方なく、ポケットティッシュをあげた。

狭い取調室に、鼻をむ音が響き渡る。

有難ありがとう御座います。」

「はい。話せますね。」

「はい。まあ、要するに、正気じゃなかったために、正常な判断が出来ず...」

「はい。で、翔君...でしたっけ?は今、どこに。」

警察ここへ来る時に、近くに住んでいる兄に頼んでます。」

いや、安心だろうけどさ、お兄さんめっちゃ可哀想よ。地獄絵図を見させられて。

「翔君、何歳なんですか。」

「4歳です。」

一番可哀想だわ翔君。父親が母親と時々相手してくれた人を血祭りに上げて、急に親戚ん家に回収されて。

「私は翔のことを何も考えず、勝手に疑心暗鬼になって、3くに確認もせず、暴虐の限りを尽くしました。妻はああ言いましたが、私はもう翔にはいらない存在です。どうせ、刑務所には20年以上服役する羽目になるでしょう、どう足掻あがいたって。その頃には、私は白髪が目立ち始める中年で、翔は立派な大人です。顔すら覚えていないでしょう。」

「それ、あんたが決めることじゃねぇよ。」

「え?」

「あんたの存在が本当に翔君にいらないかは、翔君が決める権利を持っている筈です。翔君があんたのことを見限るか、父として受け入れるか。あんたには決定権はないんだ。」

「あ、嗚呼...ッ」

「あんた、やっぱり自分の基準でしか決めてないよ、全部。」

「ですね...。」

「俺も、親がいないんですよ、両方。子供の頃、誰かに殺されて、親戚に兄と共に引き取られて。やっぱ、いるかいないかは大きいと思います。死体は何も話してくれはしません。もし、自分のことを知ろうとしても、知ることは出来ません。未来の翔君は何を尋ねるでしょうね。貴方に。」

「大久保さん、罪を償い続ける覚悟が出来ました。よくよく考えたら、自決なんて、犯した過ちとはかりにかけてみれば、軽いもんでした。生きてこそ、償える罪はあります。」

「貴方は根っからの悪なんかではありません。まだ、まだ、い上がれます。」

「有難う御座います。大久保さん。」

こうして、この惨劇の背景サブストーリーは完遂した。

「あ、終わったんですね。」

「おお、池本。」

他の刑事に加原を任せ、俺は取調室を後にした。

「結局、何だったんです?やばいサイコ野郎とか?」

「いや、あ、まあ、暴走した時はかなりやばかったけど...。」

「まじっすか...」

「でも、ちょっとした早とちりが原因だった。浮気も加原の勘違いだった。」

「え、奥さん可哀想。」

「加原の奥さん、中々の人だったぞ。」

「え?それは顔っすか?それともむn...」

ドゴン

「ぐががが...」

俺は池本を自販機とキスさせておいた。

「あ、あぁ...ま、待って...!先...輩。待って...下しゃい...!」

バタッ

プルプルしながら倒れている池本を放って、俺はデスクへ戻った。

一週間後、加原のお兄さんのマモルさんから連絡が来た。加原から、俺のことを聞いたらしい。そして、話し合った結果、翔君は守さん一家が預かることになったらしい。

そして、加原は2年に及ぶ裁判の結果、懲役27年の判決が出された。危うく死刑にまで重くなりそうになったらしいが、優秀な弁護士が付いてくれたお陰でまぬがれたらしい。

27年。加原が出所する頃には、翔君は今の加原と同い年ぐらいか。その立場から、翔君は加原をどう見るか。

加原は刑務所内での真面目な働き振りから、最終的に2年減刑され、25年後に出所した。

27年...翔君はあの時の加原と同じ、31歳に。加原は58歳に。

―27年後―

遂に長かった刑務所生活が終わる。扉を開けると、久し振りの外の世界が広がっていた。流石に27年も経つと、景色の原型はかなり薄れる。よくわからない物で溢れていた。

「やっとか...」

私は声の方を振り返る。一人の男が立っていた。同じ年ぐらいか、まさか...。

「守か...?」

「ジジイになったじゃねぇか。」

よく言うもんだ。自分もそうなのに。気付いたら、頬に何かが流れるのを感じた。

「翔、今は服のデザイナーやってるよ。」

「え?」

そうか、そうか...。

「なあ、徹。」

「何だ。」

「翔に会いにいかないか。」

27年前の取り調べが頭に浮かぶ。

「会えるのか。」

「嗚呼。」

「...ケリ付けよう。俺の27年に...。」

守は無言で頷いた。

近くのカフェで翔とは落ち会った。

翔の隣には、小さな子供を抱えた女性が座った。

暫くは気まずい空気が流れた。しかし、翔が口を開く。

「父さん。」

「…。」

覚悟は出来ている。

「会えて、良かった...。」

「翔...」

「最初、知った時は碌に顔も覚えていない父さんに憤りを感じた。でも、守おじさんとかから色々なこと聞いて、少しずつ許していけるようになった。」

私は思わず顔を伏せた。太腿ふとももが湿るのを感じる。

「良かった...。良かった。もう...、私は...、あんな大罪を犯してしまって...。誰からも...許されることはないだろうと思っていた...。大久保さんに、あんなに言って貰って、あんなに相槌あいづち打ったけど...。本当は...、変わらず...、誰よりも、自分を許さず生きてきた...。」

「徹...。」

「父さん、まだ返り咲くチャンスはいくらでもあるよ。」

27年前が浮かぶ。

「嗚呼...。」

生きてやる...。生き続けてやる...。そして、這い上がる。俺を許してくれる人が1人でも、いる限り...。

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