新学期は遅刻を呼ぶ

「断る」


 僕の返答は既に決まっていた。


「あいにく僕は自由市民でね。日本国憲法及びその他法律で保障されているだけの基本的人権は余すことなく使いたい質の人間なんだ」


 その自由が「公共の福祉」とやらに反さない限り、僕は自由を謳歌するつもりだ。


「……そうかぁ」


 すると、意外にもあっさりとやんわりと彼女は引き下がるのであった。

 どこかぶっ飛んだ人間ではあるが、やはり常識は備えていたということか。いや、もう既に常識人というレッテルはどこにもないか。


「自己紹介を先に済ませないといけなかったってことだよね?」


 いや違った。やはり彼女は天然に輪をかけた変人であるらしい。


 とはいえ、名前も知らぬのでは色々と都合も悪かろうので、自己紹介とやらを聞いておくとしよう。


谷崎たにざき佳菜かな。今生では瑛人の主となる人間である」


 と、彼女はふんすと乏しい胸を張っているのだが、子供が大人びているようにしか見えないのだ。かわいい。


 ……それはさておき、名前以外の情報がやはり意味不明瞭なのだ。


「というわけでライデルハイト改め瑛人、エミリア改め佳菜の従者なってもらおう」


 まあ、そんなどや顔も可愛かったりするのだ。僕は自分に対して正直な人間である。


「……それはさておき谷崎」

「佳菜って呼んで」


 僕は話をそらすべく別の問題を突き付けようと試みるが、かえって要求を食らう。


「じゃあ佳菜。そろそろ時間的にまずくはないか?」


 佳菜が奇々怪々とした前世譚を語っている間、駅構内を行きかう人々は僕らの存在などなかったかのように交々としており、既に人混みも雲散霧消していた。腕時計を確認すると、既定時刻の10分前。


「……走ったら間に合うか」


 結局、従属関係などといった戯言はうやむやになり、僕らはただ全速力で走り始めるのであった。



 桜の花弁がひらりひらりと舞い落ちる上り坂という実に映える景観を、1組の男女が全速力で駆けあがり、何とか1つの学園に辿り着いていた。これぞ青春の1ページというものである。


 ……本当か?



 私立経片たてひら学園。県下一の進学校であり、僕が今日より通うことになる学園だ。先ほどまでは全く脳裡にもなかったが、本日は入学式である。危うく、初日から遅刻という典型的な黒歴史を築き上げるところであった。


 ……典型的か?



 さて、学園に辿り着くと、案内に従って受付らしきところまで誘導される。そこには長机が陳列されており、さらには教職員らしき人間が受付嬢かのごとく座らさせられている。受付嬢とは言うものの、おじさんやらおばさんやらもそこそこにいるので、嬢という表現は不適切かもしれない。受付人というのが、最もニュートラルな表現であろうか。最近はポリコレとやらにうるさいご時世になってしまったのも困りものだ。

 まあ、この小説ではポリコレなどというものは一切無視していくことを予め宣言しておこう。それが嫌な読者の皆々様はブラウザバックを願いたい。


 さて、長机の背後には、クラス分けの紙がデンと張り出されている。僕はそれを順に目で追い、1年A組のところに自分の名前を見つける。


「瑛人は何組だった?」


 隣で佳菜が僕の顔をのぞき込むかのように質問してくる。そういえば、佳菜も新入生だったのか……。何も気にせず互いにため口を聞いていたが、結果オーライということだろう。


「A組だな」

「じゃあ佳菜も一緒だ。よろしくー」


 佳菜は僕と同じクラスだと分かるや否や、満面の笑顔を湛え、僕の手を取った。高校生とは思えない幼い少女が上機嫌で僕の手を取るという現状。……うん、何かに目覚めそうだ。


 それから、僕らは長机に拘束された受付人の中からA組と記された者を選択し、それからさらに案内を受ける。どうやら僕らの教室は2階らしい。すなわち、階段を降りるのが面倒になれば窓から飛び降りても着地できる高さである。

 ちなみに3階でギリ、4階だと流石に厳しい。



 そして、僕らが目的の1年A組のドアを開けたとき、ちょうどチャイムが鳴った。これはすなわちセーフかアウトか……。


「ま、ぎりぎりセーフか」

「いやアウトだわ!!」


 セーフだと思ったのだが、教壇のところに立っていた女教師らしき人物に即叱責された。


「トルソーは教室の中にあったのでセーフだと思うのですが……」


 陸上競技だとトルソーがテープを切ったタイミングがゴールとみなされる。すなわち、今回もそれをあてはめればセーフということになろう。

 ちなみに、佳菜は僕の後ろに付いてきていたので普通にアウトだ。


「こういうのは普通定刻までに着席をしておくべきものだろ。貴様、それでも日本人か。日本国の恥さらしではないか!」


 そして、この教師は主語が大きいタイプの人間らしい。日本国民なら遅刻の定義を着席の是非に問うものであるという話を僕は耳にしたことがない。六法全書なら一度読破したことはあるが、そのような文言はどこにもなかったはずだ。


 とはいえ、僕も理知的な人間であると自負している。それ故、社会とは人と人との契約の締結・更新・破棄によって成り立つものであることも心得ている。ここは1つ、常識人としての振る舞いを見せておこう。


「今回に関しましては遅刻の定義について共通の理解が得られていなかったということで、今後、定義のすり合わせを行い、より厳正な対応をとっていくということで折り合いをつけましょう……」

「うるせえ非国民がぁ!!」


 この先生、入学式早々から黒歴史を作っていやがる。というか、教職員ともあろう者が「非国民」だの口にしてもよいのだろうか、いや、よくない。


 僕は心の中でため息をつくのであった。

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