3-8 チェーホフの銃


 さて、病室で一人、引き続き調べていく。英語が読めないのだから当然他の言語もダメで、できるだけ日本語で書いてある文章を探す。翻訳の時に微妙にニュアンスが失われることはよくあるが、それは仕方がない。大きい病院で、図書室があるそうだが、足を運んでないものの今オレが調べたい情報が載っている本は恐らく、ないだろうと思う。

 時計を見る。午後六時半。一昨日、いや昨日も、向こうの世界に行ったのはこのくらいの時間だった。昨夜、銃に関する話がハルキさんにより提示され、今日の昼前、『ザンダン』禁止が可決された。もしかしたら既に公布されているかも知れない。アリアたちが、足止めできていればいいが――というか、予想以上にスムーズに調べることが一段落ついたため、もう向こうに行ってもいい状態ではある。呼ばれないことには、どうにもならないが。



 明後日までに、と言ったため、今日には呼んでもらえないかも知れない。まあそれならばそれで、残っている時間を有効に活用しよう。中学生ではあるまいし、GW中の課題なんてわざわざ出されてないだろうが、そもそもほとんど、学校に行っていない。授業の進みが遅くなる大型連休中の今が、追いつくチャンスだ。



 ――と、思っていたら。



 オレの意識は――下へ下へと落ちていく。アリアに呼ばれたのか――いや、彼女の性格的に、明後日と言われてその日の内に呼ぶことはない。ということは他の誰か、もしくは――。オレは意識が途切れる寸前、覚悟を決める。




     ○




「――あっはっはっは、最高だったぜエマ!」



 最初に聞こえたのは、そんな笑い声。



「――兄上」



 次に聞こえたのは、諫めるような声。



「――としては、よかったと思いますよ」



 次に聞こえたのは、慰めるような声。



「エマ?」オレは、今オレを持っているであろう人物に話しかけた。「一体何が――」



「あ、兄上と姉上は、『ザンダン』が規制されてもいいのですか!? わたしは嫌です! ――あ、あれは、他に思いつかなかったもので」



「エマ、だから――」

「ザンダンは静かにしていて!」

「ザンダン?」アリアが反応する。「次来ることができるのは、明日か、明後日って――」彼女は口を噤む。



 部屋にいる人の声は、だった。

 エマ。アリア。シャード。そして――ハルキさん。



「「「あっ……」」」

「あーあ」シャードだけは、暢気に言う。



 兄妹間での協議の末、ハルキさんにはオレのことを伝えてしまうことにした。結果的に、オレたちがそれぞれ現在持っている情報を、整理することもできたのでよかったが――できるだけ、気をつけることにしよう。いや、オレが気をつけても意味はないか。気をつけてもらおう。

 まず、オレが入り込める『ザンダン』は、エマのもの、アリアのもの、シャードのもの、グィンハくんのもの。それぞれに入っている時、声が聞こえるのは、始めから順に、エマとハルさん、アリア、シャードとアリア、グィーテさん。アリアの人形においてハロルバロルさんに、グィンハくんの人形においてファイリースさんとグィンハくんに声が聞こえるかはまだ判明していないが、とりあえずグィンハくんには聞こえるだろう、彼が本当の持ち主だから。シャードはシュロウさんに自分の持っている人形を教えていないそうなので、声が聞こえるのはシャードとアリアのみと思われる。



「お待ちください」ハルキさんがすっと手を挙げた。「つまり、この小さな欠片の人形は、シャード様のものであるにも関わらす、シャード様は私を欺き、アリア様のものだと錯覚させた、ということで間違いございませんか?」



 空気が――緊張する。

「――申し訳ありませんッ!」窓の縁に座っていたシャードは、ハルキさんの前まで来て、90°まで頭を下げる。彼にしては迅速な思い切った行動だ。それ程、彼女を尊敬しているということか。対して、ハルキさんは、

「頭をお上げください」そう優しく言う。「シャード様の嘘を、見抜けなかったのは私です。それにかような嘘、シャード様は深く思慮された上で、仰ったのでしょう」

「しかし、先生に嘘を」

「人間は、嘘を吐く生物――嘘を吐くことができる生物なのですよ。ただ、難点を一つ、挙げるとするならば――」彼女は、アリアを見る。「アリア様のことをお信じになり、人形を二つとも預けなさったことはよいのですが、アリア様の側に立って考えると、頭の回転がいくら速くとも、何よりもまず疑念が強く起こります。アリア様がシャード様の意図を汲み取ると汲み取らざるに関わらず、です」改めて、シャードに向き直り。「今一度、相手の立場となってみることに、重きを置いてみられてはいかがでしょう。人の数だけ立場があって、立場の数だけ意見があって、意見の数だけ信念があるのです」

 確かに、シャードは大体の人に対して、高圧的になりがちだ。ハルキさんはそれをよく理解しているし、そういうことを言ってくれる相手だからこそシャードは彼女を大切にしているのだろう。

「……すまん、アリア」

 シャードは妹に言う。彼女は、「――これからは、事前に相談していただきたいです。私、もう子供ではありませんから」そう、拗ねてみせる。

「あ、姉上! は、話し合いに戻りましょう!」

 すっかり話に置いていかれているエマが言う。大人たちの会話に参加できないちびっ子。ただし言っていることは耳を貸すべきことなので、一同は再び『ザンダン』について話をする。



 オレの声は、やはりハルキさんに聞こえないらしい。エマの人形の中でも、丁度アリアが持っていた人形の中でも、偶然シャードが持っていた人形の中でも、届かなかった。まあ、それはそうだろう。。緩いようでいてしっかりしている。

「……そういえば、エマ、何かあった? オレが来る前に」

 オレは思い出してそう尋ねる。オレはどうも、エマに呼ばれてこちらの世界に来たらしいが、当初、エマに『静かにしていて』と言われた。状況が、掴めていない。

「そ、その話はまた後で……」

「お? ザンダン、エマののこと聞きてえのか? あれは本当に、傑作だった――」

「兄上」アリアが言う。「、ですよ」

「分かってるよ。茶化しはしねえ」シャードは宣誓するように手の平を前に向け、そう返す。「エマ曰く。『ザンダン』は――だと」

「え?」

 それは一体――どういう。

「どう必要なのかは、これから考えるんだろ?」

 シャードはエマに振る。エマは、



「……ほ、他に思いつかなかったので」同じことを言った。「そ、それゆえ! 兄上、姉上、そして先生に、お知恵を貸していただけないかと、思っている次第です」



 それが――ハルキさんが言うところの、起爆剤。

 なるほど、『ザンダン』を禁止するという案に対し、『ザンダン』はなくてはならないのだと、正面から激突するのか。悪くない。悪くないが――その有用性を、示さなければならない。銃の取り締まり以上の、有用性を。

「私は、よい案ではあると思うのですが、お二方は……」アリアは歯切れ悪くも、エマの味方につく。残りの二人はというと、



「まず今考えている理由を、そうだな、五つでいい。挙げてみろ」

「銃とどう向き合うにせよ、エマ様はこれからまず、諸国の現状について学ばなければなりません。そうですね、まず参考となりそうな条文を十つ用意いたします」



「ひいッ!」

 エマはひきつった叫び声を発する。

 仕方がない、まずはオレが、元の世界でかき集めてきた情報を、エマに伝えよう。それをこちらの世界の事情とすり合わせて、解答を作成する。

「エマ、紙と筆記具を」

「? ザンダン、動けないでしょう」

「エマが、書くんだよ」

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