2-6 王子


 次の日、王子様が来る、当日。

 オレがこちらへ移って三日目。

 もう学校などどうでもいい、アリアのために時間を費やすことが、最優先だ。

 昼前に、その人は馬車に乗ってやって来た。オレとエマは、部屋からその様子を見ている。

 護衛だろうか、徒歩で来ていた人たちが、馬車の出入口の前に並ぶ。その馬車から、まずきっちりした背広に身を包んだ初老の男が降りてくる。これは、執事だと思われた。

 続いて──明らかにこの人だと分かった──アーストールさんが、豪奢な装いで現れる。長い髪はポニーテイルに結っていて、顔は微笑を湛えていた。彼がくるっと振り向くと、後ろから、髪の長い、エマくらいの身長の女の子がととっと出てきて、アーストールさんの差し出した手に掴まり地面に降りる。あの子が、例のきょうだいなのか。

 対するこちら側は、門の前に兵士がずらりと並び、その真ん中に、王と后、そしてガルイスさんとアリア。シャードさんはエマと同様、部屋で待機しているのだろう。アリアが、一歩前へ進み出る。



「ようこそお越し下さいました、アーストール様。私がアリア・クインテル・レイトルでございます」スカートをつまんでそう言った。かなり、サマになっていた。大人っぽい紫色のドレスも相まって、実に凛々しい姿。




「アーストール・コーロ・エークホーンです。本日はお招き頂きありがとうございます」王子は応じて礼を返す。



 アリアは続いて、王子の後ろに隠れる小さな子に、「あなたも、ようこそ」と声を掛ける──

その子は、びくっとして王子の背中に顔を埋めた。アーストールさんは、「ほら、挨拶してください」とその子の肩を揺らすが、無理強いはせず、

「すみません、少々人見知りでして。こちらはのゾースシールです」

 と紹介した。



 ──



 ガタッとエマは身を乗り出す。彼女も驚いたようである。王子に姉と呼ばれたその人は、高く見積もっても、成長途中であるエマと、同じくらいの身長。顔立ちも幼く、王子にくっつく様子も妹という言葉がしっくりくる。

 アリアも知らなかったのか、一瞬固まるが──すぐ恭しく礼をする。隣のガルイスさんは眉一つ動かさなかった。彼は、知っていたのだろうか。

「それでは城内へお入り下さい」

 アリアが言って、振り向くと、王と后がまず戻っていき、続いて長男。アリアのところにはハロルバロルさんと、見たことのない若い男がやってきて、一緒に城へ消えていく。あれがアーフュという人かも知れない。アーストール王子とその姉も続いて、ドアが閉められる。オレとエマは窓を閉め部屋の中へ戻った。



「これからアーストール殿下は城内を見て回られる。昼食はわたしも一緒に頂く。その後は、裏山へ行かれる」エマは今日の予定を順に確認していく。「夕飯後、わたしが殿下をお部屋にお通しする。その時、ザンダンを部屋に置かせて頂いて、ザンダンが、殿下の本性を暴く」

「本性を暴くって」オレは言う。「今、見た感じでは別に悪い人には見えなかったけど」

「悪意ある人は爪を隠す。あの人がもし悪い人だったら──わたしは、この結婚に徹底抗議するよ」

「エマ──」それはアリアのためであり、オレもできることならそうしたいが──ハロルバロルさんが言っていたように、これは国同士の取引。人形一人、王女一人が声を上げることに、大して意味はない。だから、そんなことをしなくていいように、むしろアーストールさんがいい人であることを望んでいるのかも知れない。

 諦めているのかも知れない。オレたちも既に。

 アリアが自分で決定した時点で何も言えない。

 いい結果になることを、ただただ願うだけで。



 昼を迎え、エマがいなくなる。オレはあらかじめ窓のところに連れていってもらっていて、外の様子を眺める。両国の兵が整然と並んでいた。そうだ、これから山へ向かうのだった──総動員とはいかないにせよ、少なくない数が同行するだろう。集団の中に、ハロルバロルさんを見つける。鎧に包まれた大柄な人と話していた。ハロルバロルさんは、アリアにかなり執心しているようだった。いや、専属の召使としては、当然なのかも知れないが、昨夜の、あの豹変は異様だった。今後、再び激昂することなくこの訪問が終了すればいいと思うが──怒らせるとすれば、まずハルさん。次男も有り得る。

 まあシャードさんは仕える相手であるため、キレることはないだろうが、シャードさんが苛立たせたところにハルさんがトドメを刺す可能性は十分あって恐ろしい。

 そこで、扉が開く音が聞こえた。戻ってきたのだろう。「エマ、おかえり」オレは声を掛ける──





 ──エマでは、なかった。

 すぐ後ろに近づいてくる。

 その男は。



「──ふうん」



 シャードさんは、それだけ言って、帰ったようである。オレの声が聞こえていたのだろうか、まるでオレに話しかけてくるようだったが──しかし、オレは初対面の時の、彼の言葉を忘れてはいない。聞こえていなかったと、考えるべきだろう。窓の外を見る。確かに、アリア、アーストールさん、そして護衛たちが動き出すのが見えた。王や長男はいないようである。

 直後、今度こそエマが帰ってきた。窓際のオレの隣まで来て、「ザンダン、シャード兄様とすれ違ったのだけれど、部屋に来られた?」勘が鋭い。しかし、結局何がしたかったのかよく分からないし、部屋のものに触っていたようではなかったため、オレは、「いや? 来なかったけど」と答えておく。

 続けて、ハルさんがやってきた。「エマ様、勉強しましょー」それに対しエマは、「……はあーああーい」と嫌そうに返事をし、窓から机へ移る。オレは再び外を見た──アリアたちの姿は、もう見えなかった。




     ○




 夕食の時間になり、オレはハルさんのポケットに入れられ共に食堂へ行く。席順は変則的になっていた。上座の短辺には王が座り、向かいの短辺にアーストールさんが座っている。王の右手側、つまりオレから見て奥側には、上から后、長男、双子はおらず一つ空けて王子の姉、ゾースシールさんがいる。王の左手、手前側には王弟、一つ空けてエマ、そしてアリア。王子のすぐ右にアリア、左にゾースシールさんがいる形となっている。──シャードさんが、いないようだったが、食事が開始される。

 ハルさんも不思議に思ったらしく、少し移動して、ペースさんに、「シャード様はどちらへ?」と尋ねた。

 ペースさんは、



「聞いていないのか?」

「はい」



 彼はハルさんを連れて食堂の外に出た。そして、「そう言い触らすことでもないのだけれどね……」と話し始める。



「先程まで、アリア様と王太子殿下は山へ行かれていただろう。そこで──殿下が、穴に落ちられたらしい」



 ──穴?

「作為的な、落とし穴だったそうだ。仕掛け人はすぐ分かった、最近よく山に一人で行かれていたからね」

 シャードさんが、やったのか。

「殿下は気にしていないと仰っていたが、王はシャード様に自室での謹慎を命じられた。そしてシュロウ殿は監督不行き届きのため連帯責任で使用人棟に戻られている」

「あ、そういえばさっき見た」

 シュロウ殿とはシャードさんの召使か、大変そうである。

「最初に言ったが、言い触らすことではない、ハルの立場的に、伝えるべきと判断しただけだ」ペースさんは話し終えると、食堂へ戻っていった。ハルさんもそれに続く、と思いきや、



「おじーちゃん慰めに行こうっと」



 くるっと体の向きを変え、歩き出してしまう。控えていなくて大丈夫なのだろうか。ペースさんはすぐに戻ったようだが──いや、しかしハロルバロルさんはそういえば食堂にいなかった。初めて来た時も、いなかったように思う。どこにいるのだろう──というか、エマが、オレを持って待機してるよう言っていた筈だ。

 ハルさんはそれを思い出したのか、足を止め、食堂に戻る──オレを花瓶の隣に置くと、どこかへ行ってしまった。ううん。



 食事が終わり、エマはハルさんがいなくなっていることに気づき(帰ってこなかった)、一瞬困惑していたが、すぐオレを見つけ、回収した。

 アーストールさんのところには手筈通りアーフュさんが既にいた。執事に話を通したところ、彼の同行ならばいいとのことだったのだ。若くて喧嘩っ早い割に、信頼は厚いようだ。



「改めまして、次女のエマ・エリサベス・レイトルです」



 エマはオレを持ったまま礼をした。対してアーストールさんは、笑顔で、「よろしくお願いします、エマさん」と応じる。今のところ、好印象。王子の背中にはゾースシールさんがくっついていて、離れたところには朝に見たスーツの男が立っている。アーフュさんが、「それでは、案内いたします」と音頭を取った。

 オレと五人は、城内を移動する。アーフュさんが先頭、召使がしんがりで、その間をエマ、アーストールさん、ゾースシールさんが歩く。姉弟は、手を繋いでいた。

「エマさん、その人形は何なのですか?」道中、王子がそう尋ねてきた。いい喰いつきである。

「これは『ザンダン』という、現在我が国で流行している人形です」エマは答えた。

「持っているのは銃器ですか?」

「はい、半袖半裾、黒髪、銃というのが『ザンダン』を定義づける三要素でして……」エマは、オレにしたような説明をしていく。その内に、姉弟が泊まる部屋に着いた。

「アーストール様、この人形、エウェの間の内装の色味と合うと思うのです。室内に飾ってみてください」

 王子が部屋に入ろうとしたところで、エマがそう言葉を掛ける。

「そうですか、ありがとう」

 王子は笑顔で、オレを受け取る。ドアが閉まる直前、エマと一瞬目が合った。彼女は頷いた。



 さて。

 諜報開始である。

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