2-5 お人形遊び
「大変だねえ、ハルも」
オレの話を聞き終え、エマはまずそう言う。そのハルさんはまだ、戻ってきていない。
「そうだ、少し気になったんだけど」オレはエマに尋ねる。「シャードさんの召使の、あのお爺さん。ハルさんが『おじーちゃん』って呼んでたんだけど」
「ああ──シャード兄様の召使、本名はアヴ・シュロウ。彼の、
そういうこと、らしかった。血の繋がりは皆無ということか。ハルさんからは親しげだったが、シュロウさんの方からは突っ慳貪だった。いや舌戦を繰り広げたシーンもあったから、一概には言えないか。喧嘩するほど仲がいい。
「それと、王子殿下の泊まる部屋が、ハルから訊き出せればいいね」
「また盗み聞きか?」
「潜入捜査と言って」エマは笑う。「あと、きょうだいがいらっしゃるという話はわたしも聞いていなかったけれど──アーストール殿は王太子だから、弟? それとも妹?」
「言ってなかったな」それもハルさんに訊こうか。教えてくれるのかは分からないが。
そこで丁度、コンコンコンとノックがあり。「エマ様あ」ハルさんが扉を開け部屋に入ってくる。「大変だったんですよう。執事のところまで行かされて」
「カムエから聞いたよ。ハルが悪いのでしょう」
エマはオレから聞いたとは言わなかった。こういうところはしっかりしている。
「ちが、いや、違くは、ないですが……」ハルさんは、何やら言いたげにモジモジするが、エマに抱きつき、「き、気をつけます、気をつけますから
「そんな話はしていないじゃない」エマは言って、オレの方を見た。そして少し頷く。オレは瞬きで返答した。「──ハル。ところで訊きたいことがあるのだけれど」
「はい! 何でもどうぞ!」
ハルさんはガバッと顔を上げ、そう言った。エマはオレにぱちとウィンクする。
「アーストール殿は、どちらの部屋に泊まられるの?」
「あ、エウェの間です。きょうだいの方は、隣のセーベの間に」ハルさんはあっさり答える。エマが訊いていない、きょうだいのことまで。
「明後日の、朝からいらっしゃるのだよね?」
「はい。その日に一泊され、翌日の昼に国へ帰られます」
「では、わたしが、当日お部屋までご案内してもいい?」
エマが──仕掛けた。
対してハルさんは、「ええと──城内の案内はアーフュが担当するそうですが」と言う。
それはさっき聞いた話で、エマに伝えていた。
「その上で、だよ。昼間は、わたしはほとんど関わる時間がないのでしょう。しかし義理の兄となる方に対し、それでよいと思う?」
ハルさんは、「まあ、そう言われれば──」と少し言い淀んでから、「分かりました。ジセさんに確認してまいります」
「執事にもね」
「……あの人、苦手なんですけど」
同じようなことを言う二人だ。だから、気が合っているのだとは思うが。
「今、行ってきたところなのでしょう」
「簡単に言いますけど!」ハルさんは叫んだ。「あの人のコトが嫌い、じゃなかった苦手、なのはあの人が──」
コンコンとノックがあり。
「エマ様、夜分に失礼いたします。ハルレアはいますか」
扉の向こうから声がする。
まるで、好々爺のような。
それでいて狩人のような。
温厚ながらも冷血であり。
鈍らながらも鋭さがあり。
「いるよ。ハル、行きなさい」
ハルさんが苦手とする理由が、分かる気がした。エマは無慈悲にもそう言い、ハルさんは渋々と部屋を出ていった。
「上手くコトが運んだね」「ああ」オレは答える。
アーストールさんの部屋に忍び込んで、彼の人柄を探る。それが次なる任務だ。引き続き、アリアには秘密で。
○
次の日。オレは無事こちらの世界で朝を迎える。結局、元の世界に戻る方法はよく分かっていない。いまだ二往復半しかしていないため、結論を下すには早すぎるだろう。そちらは引き続き考察していくとして。
朝食後。シャードさんが、エマの部屋にやってきた。
「兄上……」
エマの声は強張っていた。最初の印象から、あまり仲よくないのだろうとは思っていたが、今、彼がここに来た意味は何だろう。
彼は口を開く。「エマ──まーた、お人形遊びか」
その声は、この間、食堂で聴いた時と比べ元気がないように感じた。
「え、ええと──」「アリアも持ってたなあ、そんなものを」「は、はい」
彼はどうにも口調が荒いのが気になる。いや、オレも似たようなものではあるが──ただ彼は、兄妹たちと比べ明らかに乱暴だろう。アヴさんが厳しく教えていないというのは考えにくいため、彼の反抗なのか。
「アリアも大事そうに持ってたなあ、何がそう特別なんだ?」
オレの視線の高さが──突然、上昇する。エマの顔が見えた。その手の中に、オレはいない。
シャードさんに、奪われたのだ。
「あ──兄上、か、返して下さい」
エマは懇願する。シャードさんはくるっと自分の方にオレの顔を向けた。その顔は──どうも、苛立っている様子で、昨日、長男の部屋で見た彼と似ていた。あの時、長男は、彼が
「兄上。お手をお離し下さい」
部屋に、そんな声が響く。
その声は。
「──姉上」
アリアだ。彼女はこちらへ来ると、オレをシャードさんの手から優しく取って、エマに渡す。そして、
「兄上。ガルイス兄様がお呼びです」
毅然と言い放つ。対するシャードさんは、「あ? なぜ兄上に呼ばれたからといって出向かなければならない」と返す。感じが悪い。
「お話があると言っておられました」「ほう。特に興味が湧かないな」「
途端──空気が変わり。
何も言わないが、シャードさんが明らかに──感情を昂ぶらせている。
しかしアリアに何かするようなことはなく、ただ部屋から出ていった。扉を乱暴に閉める音が、廊下に響き渡る。
アリアは改めて、エマに向き直る。「シャード兄様の言ったことは、気にしなくていいからね」そしていつかのように、そんな言葉を言うが──エマを、撫でるようなことはせず。
「でも。
その言葉に──感覚がないはずの、オレの胸がそう軋む。
この場面で、アリアがそんなことを言うのはおかしい──部屋にはオレと、アリアとエマ、三人しかいない。『お人形遊び』などと言って、一体誰を騙す必要があるのか。むしろオレがこちらの世界に来ているかどうかくらい訊くものだと思っていた。エマも、「姉上……?」と戸惑いを隠せていない。
アリアはもうオレと話したくないと言うことか。何をやってしまっただろう、と考えるが、当然、容易に思いついた。
直近の、この世界から去った時。別れの挨拶を、しなかったことだ。条件が分かっていないため、仕方がないといえば仕方がないのだが、それにかこつけるのは、違うだろう。エマは、オレがいなくなったとアリアのところへ探しにいったら、アリアが王のところへ行ったと言っていた。オレが要因の一つであることは、間違いないだろう。
「──
オレは声を出すが、アリアには聞こえない。その時点に入っている人形の持ち主にしか、オレの声は聞こえない、そうエマとアリアとの実験から、暫定結論を出したのだ。
エマは赤ちゃんがいやいやをするように、首を振る。その胸の痛みは、全て姉を想っての痛みであり。オレの胸はやはり少し軋む。
「それじゃあ」アリアも部屋から出ていった。
エマは洟をすする。「──ザンダン」
「うん」
「明日、よろしくね」
「うん」
オレは力強く頷く、つもりでそう答える。
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