2-3 ブランコ


ユウー! 昨日、サボりやがってー!」

 教室の前で友人と駄弁ダベっていた貴垣キガキが、優稀ユウキの姿を捕捉するなり突撃してきた。彼女はそれをひらりとかわし、

「ごめんって。お昼寝してた」

「コノヤロー!」

 貴垣は身を翻すと──優に後ろから抱きつく。

 その騒ぎを聞きつけて、教室から数人が出てくる。昨日オレを保健室まで引っ張っていったメンバー。

「ゆっきーおはよー」「元気そうじゃん」「どしたの優稀、鋏と煙は風邪を引かないっていうのに」

「え? それあたしどっち想定?」

 そう女子たちが笑っている輪から外れ、真深マブカはオレに近づく。「どう? 殴られた?」

 それが訊きたかったのか。「そういえば、そんなこと言ってたな。まだだけど」

「あ、そう。優ー? しゅーちゃん殴るって話、どうなった? 今?」

 真深はそう優稀に言う。彼女は──顔を真っ赤にして。

「そ!? そ、そんなこと言ったっけ! 殴るって、そんな」

「しゅーちゃん、殴られたいって」

「別にそうは言ってねえけど……」そこは否定しておいた。

「なに、しゅーちゃん殴るって? そりゃ観たい」「積年の恨みを拳に乗せて!」男子たちが参加してきた。昨日朝からオレをイジってきた奴ら。

「──ッ、あ、朝練行かなきゃ! それじゃ!」

 優は人混みをかき分け廊下をだーっと走っていく。その背中を、キーンコーンカーンコーン、と予鈴が追いかける。彼女はそのまま、どこかへ行ってしまった。

 鐘が鳴ったため、一同はぞろぞろ教室内へ戻っていく。オレもようやく教室の中に入って、リュックを下ろした。

「後でちゃんと殴られといてね」

 真深はオレにそう言った。なぜそんなに嬉しそうなのだろう。オレは適当に返事をしておく。



 その日の放課後。部活を終え、校門まで歩いていると、優が自転車を押していて両手が塞がっているオレの背中をいきなり叩いてきた。

「痛ってえな……」

「約束通り殴った」彼女はこともなげに言う。

「だったら今日は朝から殴りかかってきただろ。一昨日もだし」

 オレがそう言い返すと、

「一昨日のは謝ったじゃん! 朝のは──ノーカンじゃない?」

「暴力にノーカンなんてねえよ」

 そこに、優の部活仲間が追いつく。「お、しゅーちゃん」「不登校ボーイ」「しゅーちゃん既読無視すんなよー」何人かが手をひらひら振るのにオレは応じた。「あの怪文書にどう返信すりゃいいんだ」そう釈明しつつ。ちなみに『(スタンプ)からの(スタンプ)そして(スタンプ)さらに(スタンプ)ゆえに(スタンプ)!!!』という感じだった。スタンプは言うまでもなく、『ザンダンを数えるしゅーちゃんスタンプ』である。



「優ちゃん、しゅーちゃんと帰るの?」「え? あー、うん」「じゃあ、また明日ー」「じゃね優稀」「うんー」



 いつの間にかそういう話になっていた。まあ珍しいことではないが、久し振りといえば久し振りだ。

 オレは自転車を押し、優の隣を歩く。徒歩でも十五分とかからない。最初は、特に会話がなかった。ただ、帰り道の二つ目、つまり朝、優が突っ込んできた、行きでは一つ目の信号が赤で、オレたちが立ち止まった時、「あのさ」と。



「公園、寄ってかない?」



 彼女はオレの方を向きそう提案した。

 信号の赤い光が彼女の目に映り込む。



 断る理由がなかったので、信号が青に変わると、オレは優に従い公園へ行く。彼女は朝と同様に、ブランコに乗った。しかも立ち漕ぎ。ゆーらゆーらと、勢いをつけず揺れているだけだ。オレは自転車を停めそちらへ行き、座面には乗らず、ブランコの周囲の柵に腰を下ろした。

 キィ、キィと錆びたブランコが鳴く。

「……しゅうちゃん」

「なに?」



「──大丈夫? その、ふ、フリー素材になってる、やつ」



 彼女の表情は──街灯の逆光で、よく見えない。

「別に、大丈夫だけど」

「ストレスじゃない? 周りにイジられるの」

「いや。気にしてない」それは事実だ。誰を忖度しているのでもない。「まあ、『!』ってのが何なのかは、そりゃ気になるけど」



 その言葉を発した時。

 空気が──ざら、と。

 居心地悪いものへと。

 息苦しさを、感じる。



「……、優、稀──?」







 彼女はブランコから飛び降りた。ガッシャン、とブランコは大きな音を立てる。

「それって──一体」

 彼女の表情は──街灯の逆光で、よく見えない。



「────」



 彼女は何か呟いて、走っていってしまう。

「あ、送ってく──」オレは途中で言葉を切り、頭を掻く。どうも、彼女とのコミュニケーションが、上手くいかない。向こうの世界に行って、戻ってきてからずっとだ。先々週までは、普通に、話せていたはず。収まりが悪いながらも、オレは家に帰ることにした。



 両親は帰ってきていて、リビングを覗くと晩ご飯の用意が着々と進んでいた。オレは風呂場で汗だけ流して着替える。リビングに戻ると、晩ご飯がテーブルに並んでいた。いただきます。TVをつけると、ニュースが流れた。某市で云々。某県で云々。某国で云々。明日の天気。ごちそうさまでした。



「父さん、母さん」



 オレは──両親と向かい合う。二人は、オレの顔を見て背筋を伸ばした。

「オレ──今日これから、また心臓が止まると思う。今日だけじゃないかも知れない。もうずっと、止まるのと戻るのとを、繰り返すと思う」

 二人は、顔を見合わせた。「原因に、思い当たったってこと?」母が尋ねた。「ん……そんなところ」オレは適当に言葉を濁す。「それで。今日、これからオレの心臓が止まったら、すぐに救急車を呼んでほしい。そして──オレを、生かし続けていてほしい」

「それは──死んでいないなら、勿論」母は言う。父はずっと静かに聞いていた。

「ごめん。オレが倒れる度に、たくさんの金がかかることは分かってる。目覚めるのを待つ側の気持ちは──オレには分からない。でも、オレは──」

シュウ」父が、口を開く。「子が親に謝るな」

 母はその隣で笑う。

 二人に対し、オレは。



「ありがとう──ございます」



 頭を下げて。

「それじゃあ、後はよろしく」

 オレは強い意志で、向こうの世界へと行くことを決める。

 向こうの世界の二人とは、まだ一度も、ちゃんとした別れ方をしていない。そのせいで、それをずっと引きずることになっている。

 二度と顔が見たくない、という訳ではない、感情としては真逆だが──ケジメとして、こちらの世界のことは、こちらの世界で。あちらの世界のことは、あちらの世界で。その枠で決着させ、終着させること。それが必要だと思った。

 ただ世界間の移動が、人形間の移動と条件が同じかどうかは解らない。今日これから向こうの世界に行くと宣言したが、必ずそうだとは──と。



 オレの意識は。暗く、暗い底へと落ちていく。まぶたが重い。呼吸が浅くなっていく。視界が暗くなっていく。



 エマの元に行く。それだけをオレはただ願った。タイミングよく、彼女がオレを呼んだか、それとも別の理由でか。オレは、両親の目の前で倒れ──顔は──テーブルに──




     ○




 ぶつからず。

 いや、向こうの世界ではぶつかっただろうが、その痛みは感じず。



 オレの目は、エマを捉えた。



「──エマ」



 ベッドの上。オレは彼女と向かい合うよう、横向きに寝かされていて。彼女の顔が──歪んでいくのが分かった。また泣かせてしまったか、とオレは思って、しばらくされるがままになろうと動向を見守るが、彼女は。

 嗚咽よりも、文句よりも先に。



「姉上を──助けて」



 そんな言葉を放った。──アリア。



「姉上の──結婚が、決まったの」



 オレは──言葉を失う。

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