二章③ 氷が解ける時
結論から言えばその晩、ターゲットは現れなかった。
太陽はとっくに顔を見せ、町全体を照らしている。
部屋には私一人だけ。真っ昼間に事件が進展する可能性は薄いが、念のため残ることにした。
氷名乃はこの場にいない。リフレッシュも兼ねて隣町に行ってみてはどうか、と提案したのだ。
そこは、観光業が盛んな町だ。温泉が有名で、湖や滝などの絶景スポットも多い。
旅館や土産物店も充実している。年間で百万人以上が訪れるようだ。
驚いたのは、生粋のインドア派である氷名乃が珍しく乗り気だったこと。どうやら、元々行く予定があったらしい。
理由を尋ねてみた。すると――。
『町とゲームのコラボイベントが開催しているから』
――という返答だった。
何が行われるのかは分からないけど、帰ってきたら訊いてみよう。
「……ふう」
双眼鏡を近くのテーブルに乗せ、一息つく。仮眠をとってはいるが、疲労はかなり蓄積しているらしい。
一旦、状況を整理しよう。
屋外のコンセントに取り付けられた、謎のモバイルバッテリー。家の住人は、それに心当たりがない。つまり、誰かが庭に侵入した可能性が高い。
家から出てくる人物が目撃されたのは約一ヶ月前。充電に一ヶ月もかかるわけがないから、今日までずっと放置していたとは考えづらい。
おそらくこの期間中に、充電が必要になったら盗電し、充電が済んだら回収する、という行動を繰り返している。
引っかかるのは、モバイルバッテリーに貼られていた謎の広告。当初は、犯人が自分で使用するために盗電しているのものと考えていた。
しかし広告の存在は、その所見を否定する。広告は、不特定多数の人間に見られることにより、初めて効果を発揮するものだ。自分だけが使うものに貼っておいたところで、大した意味はない。
都会の駅前で配られているポケットティッシュも、通行人への宣伝が目的で配られているわけで――。
「……ん?」
……そうか。なんでこんな簡単なことに気づけなかったんだろう。
「と、なると……」
どんな理由があろうとも、他人の家から電気を盗むことには、少なからずリスクがある。大した電気代にはならないはずだし、自宅で充電すればリスクを回避できる。
それを踏まえて、犯人像を思い浮かべると――。
「家の電気を止められている人。もしくは、そもそも家がない人、か」
――その時。
スマホが震え始めた。電話だ。
「氷名乃から? なんで仕事用のスマホに?」
微かな不安に駆られた。
何かトラブルがあったのだろうか。
「……もしもし」
『おつかれ潜香。そっちは何か進展あった?』
優しい声だ。声色からして、緊急事態が起きたわけではないらしい。
私は文字通り、胸を撫で下ろした。
「とくに何もないよ。こっちのスマホにかけてきたってことは、そっちは何か分かったみたいだね」
『うん。なんだと思う?』
「そうだなあ……モバイルバッテリーのレンタルをしている人を見つけたとか?」
『えっ。なんで分かったの?』
「いや。その可能性が高いなってちょうど考えてたところでさ」
広告に載っていたのは、隣町の土産物店だ。となるとモバイルバッテリーは、隣町で利用されている確率が高い。
観光中にスマホの電池が切れてしまう人は、一定数いるはずだ。そういった人向けにモバイルバッテリーを貸し出しているとすれば、広告が貼られている理由に合点がいく。
犯人は、モバイルバッテリーの貸し出し費用と広告の掲載費用を手に入れる。一つ一つは小さな利益かもしれないが、数をこなせば十分な額になるはずだ。
『相変わらず鋭いね』
「それほどでも。んで、どんな様子?」
『今いるのは道の駅みたいな場所。食堂とかお土産屋さんとかがたくさん並んでる感じ。近くに有名な滝もあるらしいよ』
「人通りはそこそこありそうな感じ?」
『うん。結構賑わってるよ。それで、肝心のモバイルバッテリーなんだけど――』
そう。大事なのはここからだ。
『露店っていうのかな。テーブルの上にモバイルバッテリーがいくつも並んでる。しかも、全部に広告が貼ってあるみたいだよ』
なるほど。今回の一件に関係があると見て問題なさそうだ。
『利用している人は多いみたい。一応、店員さんもいるよ』
「どんな人?」
『男性。服は汚れてるし髪はボサボサ。髭もかなり伸びているね。失礼だけど、生活困窮者っていうやつだと思う』
想像通りの犯人像だ。
しかし、新たな疑問が一つ。
「うーん……」
『どうしたの?』
「いや。生活に困ってる人がモバイルバッテリーを用意できるのかな、って」
氷名乃からの返答は、すぐには来なかった。
どうやら頭の中で考えを巡らせているようだ。
『買えなくはないんじゃないの。安いやつなら二千円ぐらいだろうし』
「でも、一つや二つじゃないんでしょ?」
『……確かに。そう考えると不自然か』
そう。モバイルバッテリーはおそらく、店員が用意したものではない。
『どうする? あの人捕まえる?』
……捕まえる。
それから情報を引き出せば、事件は解決できるか。
でも、男が盗電をした確たる証拠はない。目撃された人物とは別人の可能性もある。
尾行という手もあるけど、バレるリスクが少なからずある。
人通りの多い観光地だ。通行人の目もある。他に取れる手段があるのなら避けるべき。
ならば――。
「――当初の作戦通りで行こう。現行犯で押さえるよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます