身体だけの関係です‐三崎早月について‐

みのりすい

三崎早月について

わたしにとって小佐田さんはただのクラスメイトだった。彼女にとってのわたしも。

第1話

 中学三年生の春、修学旅行があった。

 二泊三日の研修で、二日目の夜、わたしは小佐田さんと同じ部屋になった。

 昨日はみんなはしゃいで中々寝付けずに、恋バナだとか枕投げやろうぜとか言い出して、何度か先生に怒鳴られる羽目になった。でも二日目の夜は流石にみんな眠くって、それでも頑張ろうとしていたけれど、さほど時間が経たないうちに一人、二人と眠りに落ちて、旅館の六畳間の客室の中には静かな寝息が満ちていた。

 小佐田さんはクラスでもそんなにはしゃぐタイプの子じゃなかった。

 どちらかと言うと物静かで、けれど大人しいわけじゃなく自己主張ははっきりする、頭が良くて先生にも頼られるような優等生タイプ。わたしの入っている仲良しグループはお調子者のミーハーが多くて、小佐田さんとは普段、そんなに付き合いはなかった。

 そんな小佐田さんがわたしのグループの部屋に入ることになったのは、単なる人数合わせの問題だった。グループは五人、部屋の定員は六人で、一日目のホテルはぴったりだったんだけど、二日目は余りが出てしまった。あわやグループ分裂の危機かと思いきや、小佐田さんが加わってくれることになった。

「ごめんね、ありがとう~!」

 打ち合わせの後にわたしが手を合わせて拝みに行ったら、別に、と小佐田さんはクールに首を振った。

「わたしにとっては寝るだけの時間だもの」

「……そうなの?」

 わたしが返答に困って首を傾げると、そうかも、と小佐田さんは頷いた。それから何がおかしかったのか、ふふっと無駄にチャーミングに笑った。

「小佐田か~。めんどいな。早く寝なさい!とか言って仕切ってきそう」

 部活も終わった帰り道、ぴょんちゃんがぶーぶーと唇を尖らせた。するとみんこがくいと眼鏡を持ち上げる仕草をして、早く寝なさい、とやけに高飛車な調子で言う。すかさずやのぴーが、違う、こうだろ、と同じセリフを繰り返す。

 ふざける二人の傍らで、みこちんが首を傾げた。

「小佐田はそんなメンドイこと言わないと思うけどな」

「え~、なんで。みこちんはなんか付き合いあったっけ?」

「いや、それほどじゃないんだけどさ。前、あいつがスキップして帰るとこ見ちゃったから」

 想像してしまって、思わずわたしは吹き出した。

「えっ、なにそれ。確かにキャラじゃないけどさ」

「それがどう、メンドイこと言わないに繋がるのさ?」

「えっ、ま~……、そう言われると困るけど。でも、スキップして帰るような奴はきっと、悪い奴じゃないだろ?」

 そうか~?と笑っていたけれど、ぴょんちゃんもなんだかそれで納得してしまったみたいで、それからは小佐田さんへの文句を言わなくなった。

 みこちんの見立て通り、優等生っぽいイメージに反して小佐田さんはあんまりうるさいことは言わない人みたいだった。部屋で小佐田さんを除いた五人で盛り上がっていても、輪の中に入ってこようとはしないけれど、嫌そうな顔もしない。

 ちょうどみこちんたちがみんな部屋を出て行ってしまった時、小佐田さんが一人で柱にもたれて本を読んでいるのを見て、ごめんね、うるさくしちゃって、と謝った。小佐田さんは顔を上げてわたしを少しいぶかしげに見た後、ううん、と小さく首を振った。

「気にならないから、大丈夫。折角の修学旅行なんだから、楽しんで」

 ちょっと他人事っぽい言い草だった。わたしはそう言う小佐田さんは楽しいのかと気になって、すぐ隣に膝を抱えて座ってみた。下から顔を見上げていると、小佐田さんはもう一度本から視線を逸らして、なに、と訊いた。

 わたしは直接的に、小佐田さんは楽しい?とか訊くのもためらわれて、結局手元の本に目を付けた。

「なに読んでるの」

「ファンタジーかな」

「あ、そういうの読むんだ」

「読むよ」

「小佐田さんってなんか、もっとカタそうな本ばっかり読んでいるのかと思ってた」

 すると小佐田さんは控えめな声で、空の透き通った場所の空気を震わせるみたいに笑った。

「今ので三崎さんが、わたしをどんな風な目で見てるか分かった」

「あっ、なにそれ。別にそんな、変な意味で言ったんじゃないからね!」

 わたしは焦って弁解したけど、小佐田さんは含み笑いで頷くばかりで、結局どんな風に分かったのかを教えてくれなかった。わたしをからかう小佐田さんにちょっと困っていたけれど、距離が縮まった気がして嬉しかった。

 宿のお風呂は大きかったから、クラスの女子全員で入ることになっていた。

 わたしは大浴場で他人と一緒にお風呂に入る機会があまりなかったから、つい裸になるのに気後れしてしまう。昨日もみんなで入ったのだから今更ではあったのだけど、みこちんたちとどっちが先にパンツを脱ぐか、こそこそと横目で見合ったりして、目が合って照れ笑いを交わしていたりした。

 けれどぴょんちゃんやみんこは平気な顔をしてさっさと裸になっていた。昨日はもう少しためらいがあったのに。あんたたちも早く来なさいよ、なんてさばさばと行く様にはちょっとカッコよささえ感じる。ちなみにやのぴーは昨日から一切のためらいがなかった。

 小佐田さんはどうしているかなって振り向くと、ちょうど少し遅れて来て、いつもは後頭部で一つ結びにしている長い髪をさらりと解くところだった。

 その髪がセーラー服を脱ぐ時に服と一緒に巻き上げられてばさりと落ちる。黒縁の少し重い印象の眼鏡を外して脱衣棚に置くと、わたしが見ているのに気が付いて、なに、と首を傾げた。

「あっ……。え、えっと。眼鏡外すと、印象違うね」

 わたしは急いで誤魔化した。変?と小佐田さんが笑う。

「いつも眼鏡だと、外すの、ちょっと恥ずかしいよね」

「コンタクトにしないの?」

「怖いからヤだ」

 みこちんが訊くと、小佐田さんは冗談めかして片目を瞑った。わたしはぼんやりしてその様子を眺めていたけれど、小佐田さんはキャミソールを脱ぎ捨てようとして、わたしを咎めるように見た。

「脱いでるとこ、あんまり見られたくないかな」

「ご、ごめん」

 わたしは慌てて目を逸らした。なに、その反応、とみこちんが笑う。

 その間にも小佐田さんは堂々と服を脱ぎ捨てて、お先、と浴室へ入って行ってしまった。みこちんはその背中を見送って、釘を刺されて下を向いたままのわたしに囁いた。

「置いてかれたぞ」

「うん、だね」

「いっせーの、でどうよ」

「いいね」

 お風呂から上がると、消灯まで二時間足らずの自由時間があった。わたしたちは他の部屋を覗きに行ったり、誰が誰と抜け出して行ったとかのうわさ話に興じたりして時間を潰した。

 ぴょんちゃんは部屋で小佐田さんの髪にドライヤーを当てながら、お加減いかがですか―、とか言ってふざけていた。

「わたし、癖っ毛だからさ。小佐田さんみたいなストレート、まじ羨ましい」

 ぴょんちゃんが小佐田さんの髪に櫛を入れながら少し唇を尖らせた。

 小佐田さんはきちんと着た浴衣の裾をゆったりと横座りに崩して座っている。小佐田さんってちょっと潔癖そうなイメージがあるから、そんなに親しいわけじゃない相手に大人しく髪を触らせているのが意外だった。

「そう?ありがとう。そう言えば平山さんって、いつも凝った髪型してるよね。おしゃれだなって思ってたんだ」

 そんなリップサービスまで交える。いいのに。ぴょんちゃんなんて、もっと適当に扱ってやったら!

 ぴょんちゃんは嬉しそうだった。

「えっ、えっ。小佐田さんがそんなこと言ってくれるなんて。あいつなんて、今まで一言も言ってくれたことないよ!」

「ちょっと、どうしてそこでわたしが出てくるのよ」

 流れ弾に当たったわたしが睨みつけると、ぴょんちゃんはわたしの顔なんて見もせずに小佐田さんの首筋に抱き着いて、愛す、小佐田愛す、とか言ってふざけている。

 わたしはぴょんちゃんの浴衣の首の後ろを掴んで無理やりに引きはがした。

「止めなさいって。嫌がってるよ」

「うわっ、わ。待って、脱げる!」

 ぴょんちゃんは慌てて浴衣のあわせを掴まえた。小佐田さんは涼しい顔をして、嫌じゃないよ、と笑っている。

「なに、三崎さん。羨ましいの?」

 調子に乗って両手を広げるから、べしっと一発殴ってやった。小佐田さんはえへへとだらしない顔で笑った。こういう顔もするんだ。ちょっと親近感。

 そうしているうちに消灯の時刻を過ぎた。先生が一部屋ずつ見回りして電気を消していく。

「疲れが残ってたら、明日楽しめなくなるからね」

 はーい、と素直に返事をしておくけれど、分かってないね。わたしたちは、今が楽しければいいのだ。

 とは言え昨日も夜更かしをした。中々寝静まらない部屋もあったようだけど、暗くなると十分ほどでみこちんが撃沈して、わたしも知らない間に寝入っていた。



 真夜中、わたしはふと目が覚めた。誰かがわたしの腕に触れているような、そんな感覚がしたのだ。

 その手は袖口から侵入して、もう二の腕の辺りまで上ってきていた。でもわたしはまだ寝ぼけていたから、それがおかしなことだと思わなかった。

 わたしが目覚めたことに気づいたのか、手はびくりとして動きを止めた。動かなくなったので然して気にもならず、わたしはまた眠りへと引き込まれた。

 そして間もなくもう一度目が覚めた。手はずんずん昇っていって、今は肩口にある。完全に袖を通り越したところで、わたしもようやくセクハラされていることに気が付いた。

 わたしは寝ぼけつつも、どうせみんこかやのぴーの仕業だろうと思っていた。

 寝返りを打つふりをして、不埒な手を腕ごと身体の下に敷いてやる。隣の布団から、いっ、と小さな悲鳴が上がった。それで予想と違っていることに気が付いた。

 おかしい、聞き慣れた四人の声じゃないといぶかしい気持ちで目を開けてみると、やっべーって顔の小佐田さんと目が合った。わたしはあんまり意外だったから、しばらくなにも言えずに、小佐田さんとにらめっこしてしまった。

 他の四人だったら、分かる。寝てる間にイタズラしてやろうなんて、よくあることだし、今朝は一番遅くまで寝ていたみんこが寝顔写真を撮られていた。

 でも小佐田さんとは、同じ班になることが決まってから少しは話すことも増えたし、前よりは親しくなったと思うけど、服の下に手を入れるような遊びをする仲ではない、と思う。小佐田さんの距離感がわたしの常識とあまりにも乖離していない限りは。

 きっと何か事情があったのだろうとは思うのだけど、その事情に心当たりがない。

 たぶん、それでも冗談めかして笑いかけてやっていれば、気まずい雰囲気にはならなかったのだろう。けれどわたしはあんまり頭が回っていなかったし、純粋に疑問だったのだ。

 わたしは真顔で尋ねた。

「――何してるの?」

 小佐田さんは頭から布団をかぶって隠れてしまった。

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