第129話 成すべき事

 ぺたんと床に座り込む網重あみがさの首にあてがわれている金属は、皮膚に刺さるか刺さらないかのギリギリの所で浮遊していた。

 包丁と同じくらいの大きさで、光沢が見えるほどに鋭い。ブレスレット男が能力で鉄片を削って造り出した刃物だろう。


「動くんじゃねぇぞ。一歩でも動けばアイツを引き裂く」


 七実酉ななみどりが目の前で向かい合っている男の視界には、壁際でへたり込む網重は入っていないはず。一度掌握してしまえば、視界外にある金属も操作可能なのだろう。

 となると、彼の言葉もハッタリではない。


「……」


 戦えない後輩を人質に取られ、七実酉は動きを止める。今動けば、男は本当に網重を傷付けるつもりだ。

 怯え切って声も出ない網重をちらりと見て、すぐに目の前の男へ視線を戻す。


「そこまでしてあなたは委員長と戦いたいんですか」

「当然だ。隣接する七つの中学校区に属する不良をことごとくねじ伏せた、伝説の中学生――灰庭はいにわ中の『彼岸花』。腕に覚えのあるヤツなら、一度は戦ってみたいと思う相手だ。少なくとも、クソみてぇな前座で時間を浪費していい相手じゃねぇんだよ」


 七実酉が大人しくなった事に満足したのか、男は薄く笑みを浮かべていた。敬愛する人の封印した過去をほじくり返す男をただただ不快に思う七実酉だったが、意識せずとも飛び出る毒舌を、今は抑えなければならない。


「……で、私は委員長を呼べばいいんですよね」


 自分のせいで委員長の手を煩わせる事は非常に気に食わないが仕方ない。

 彼の『強敵と戦いたい』という思いに偽りはなさそうだし、素直に従えば網重を傷付ける意味も無いだろう。


「そうすれば、彼女を無傷で解放すると約束できますか?」

「いいぜ、約束してやる。ただし」


 痛々しい打撃音と共に視界が乱れる。頭に鈍い痛みが広がった。

 人間の頭ほどはある鉄塊が自分の頭に激突したと認識してもなお、七実酉は痛みで声を出したりはしなかった。


「テメェはムカつくから、『彼岸花アイツ』を呼ばせるのは少しいたぶってからだ」


 鉄骨の切れ端が猛スピードで飛んでくる。七実酉には余裕で避けられる攻撃だったが、体は動かさない。

 重い一撃が腹部に直撃し、肺の空気が押し出された。


「な、七実酉先輩!」

「テメェは動くなよ」


 悲痛な声をあげる網重だったが、新たな刃物が三本ほど自分に向けられ、声は引っ込んだ。


「もちろんテメェもだ緑頭。俺の鬱憤が晴れるまでそこで突っ立ってろよ?」


 次々と金属が飛ばされ、指一本動かさない七実酉の体に傷を与え続ける。

 皮膚に開いた傷が自然に閉じるのを見て、男は笑みを深くした。


「そうかそうか、テメェは再生もできるんだったよな。じゃあ、もっと耐えれるよなぁ!」


 屋根を支えていたであろう大きな鉄骨が振るわれ、小柄な七実酉は五メートルほど吹き飛ばされた。床の残骸と金属片の散らばる床を転がり、全身に傷が走る。傷は自動的に消えていくが、痕跡を消すだけであって、無かった事になる訳ではない。

 だが言われた通り、彼女は動かない。立ち上がるために力も入れない。


「ホントに身動きひとつしなくなるとはな。よっぽどカワイイ後輩ちゃんが大事なんだな!」


 浮遊する金属片を倒れる七実酉の服に引っかける形で無理やり起き上がらせ、顔や体を立て続けに殴る。素手ではなく、金属を固めて作ったガントレットのようなものを装備している。それによって金属操作の加速も乗り、一撃一撃が脳を揺さぶる重さだった。


 七実酉の肉体再生は、能力の応用に次ぐ応用の産物であって、能力の本質ではない。


 保険の先生のような治癒に特化した能力者と比べたら、治癒できる怪我の規模も治せる速度も劣っている。もちろん無限に再生できる訳がないし、体にかかる負担も大きい。

 今も意識は朦朧もうろうとしているし、体中から嫌な汗が止まらない。熱に浮かされたように顔が赤く、呼吸も乱れてきた。


「フン、すばしっこくて力が強いだけで、案外脆いんだな」


 何十回目かの殴打を受けて、ついに再生も止まった。体の節々から垂れた血が、彼女の危険を示していた。


「……

「あ?」

「おっと……あなたには、関係のない話、ですよね」


 ボロボロになった意識の檻から抜け出した意味不明な言葉を、七実酉は薄笑いを浮かべながら取り消す。

 その態度が気に入らなかった男は、七実酉の服を固定していた金属の能力を解き、押しのけるように蹴り飛ばした。吹き飛んだ後に何とか両足で着地した七実酉だが、すぐに片膝をつく。


「もういいですよ、先輩!」


 今にも泣きそうな網重の声が、暴力が充満する体育館に響いた。


「私のことは、いいですから……そんな人、やっつけちゃってください! これ以上は先輩が……!!」

「駄目です」


 荒い呼吸に溶けて消えそうなほどか細く、しかし不思議と耳に残る力強さのある声で、七実酉は言った。


「私がこいつを殴った時、あなたも同時に攻撃されます。残念ながら今の私では、彼の念より速く、拳を繰り出せる自信がありません」

「わ、私の傷なんて、すぐに治してもらえますから!」


 確かに、網重への一撃に目を瞑るのであれば、二撃目の凶刃が迫る前にブレスレット男を殴り飛ばせるだろう。

 彼も命を奪うまでの度胸は無いだろうし、大抵の傷なら保健室か病院に行けば治る。


「でも先輩は、もう、手遅れになっちゃう――」

「駄目なものは、駄目です」


 しかしキッパリと、七実酉は告げる。

 片膝を立てた状態から、よろよろと立ち上がった。


「風紀委員には委員長より、新たな名前と役職が贈られる決まりになっています」


 視界が霞む中、網重を見つめて。所々震えている声で、語りかける。


「『殲滅委員長』は、より多くの不良てきを無力化する役割。『守護委員長』は、弱き者の盾になり守る役割。『尋問委員長』は、秘められた悪意を暴き出す役割……」

「テメェ、何ぶつくさ言ってやがる」

「そして、私にも役割があります。『副委員長』です」


 切り揃えられた深緑ハンターグリーンの髪は乱れ、紅紫色マゼンタの瞳は光が消えかけている。それでも、彼女の中にある折れない意志だけは、ありありと感じられた。


「私の役割は、委員長がご不在の際、代わりに風紀委員会を取り仕切る事。学園の風紀と秩序を守るあの方の目となり耳となり手足となり、あの方の意思を遂行する事です……」


 ずっとポーカーフェイスを崩さなかった七実酉が、初めて網重へ笑みを向けた。

 明るい笑みでも暖かい笑みでもない。笑う事に慣れていない人が無理に作ったような、似合わない笑みだった。


「きっと委員長なら、あなたを全力で守るでしょう。だから私も、あなたを守る」

「……っ」

「安心してください。あなたは、死んでも傷付けさせませんから」


 不器用な笑みを見て、網重は目尻に溜めた涙を零す。

 そんな中で、不愉快そうに舌打ちをする男がいた。


「サムイ事言ってんじゃねぇぞ。とことんイラつく奴だ」


 男は大きな鉄骨をひとつ浮かせた。


「そんな戯言をほざける余裕があるんなら、もうちっと強くしてやろうかァ!?」


 直撃すれば確実に骨が折れるような暴力の塊が飛ばされる。

 それでも七実酉の視線は、最後まで男を離さない。


 ――一際ひときわ大きな衝突音が、耳を揺さぶった。


「何……?」


 鉄骨が、受け止められていた。

 七実酉の素手ではない。

 金属片をかき集めて固めたような『盾』が、彼女を守るように広がっていたのだ。


「そう、ですよね……私は、守護委員長、です……」


 震える声のもとを、七実酉と男が同時に見る。

 そこには、体の震えを押さえつけるように強く拳を握る、黄色い瞳を輝かせる少女がいた。


「人を守るための、風紀委員です!」


 彼女の喉を斬り裂く機会を待っていた刃たちが、ひとりでに七実酉のもとへ向かう。

 それだけじゃない。床中に散らばっていた床材の残骸や金属片が、次々と七実酉を守る盾に吸い付いた。

 次第に大きくなっていく盾は、ついに鉄骨を弾き飛ばす。


 周囲の物質から盾を生み出す能力。

 彼女の幼馴染が大きく評価していたこの物質変化能力は、『物体の変形』にとどまらず、周囲の物を引き寄せて盾を生み出す事もできる、念動力寄りの物質操作能力だった。


「そうか……テメェの能力かァ!!」


 水を差されて機嫌が悪くなり、目を剥く男は手元に引き寄せた鉄骨を網重へ放つ。

 それを追い越すスピードで七実酉が床を蹴り、網重を抱いて鉄骨を躱した。


「なんですか。まだ動けるじゃないですか、私」


 口の端から血を流しながら、後輩を地面に降ろした七実酉が自嘲気味に言う。

 追撃とばかりに飛ばされる鉄片の雨も、網重が生み出した鉄の盾が全て拒んでいた。


「大丈夫ですか、網重さん」

「わ、私は……でも、先輩が……! あの人の攻撃がまだっ」

「喋るなら落ち着いて順番に喋ってください」


 目尻に涙を浮かべながらオロオロする後輩を落ち着かせるように、ぽすんと頭に手を置いた。


「心配ご無用です、私はまだ戦えます。人質が自分の身を守れるようになったのなら、私はただ、あの男をぶん殴るだけです」


 口ではそう言うが、相当無理をしている事くらい網重にも分かった。息は荒いし顔は赤く、体もボロボロだ。

 それでも七実酉は、額の傷から流れる血をぬぐい、傷だらけの拳を握った。


「あなたにはキツイ処罰を与えますよ、不良さん」

「アイツらが風紀委員を嫌う理由が、俺様にもよーく分かったぜ……テメェら見てると虫唾が走るんだよッ!!」


 直後、雷が落ちたのかと錯覚した。

 その原因は天から弾ける轟音。見上げると、特殊体育館の天井が一斉に崩れ始めていた。


 元々、男が柱となる鉄材を引き抜き続けてギリギリの状態だったのだ。彼が能力で後押しするだけで、簡単に崩壊が始まった。


「まとめて潰れろクソガキィ!!」


 鉄骨を傘のように歪めて上空に掲げながら、男は叫ぶ。彼は金属操作で主な重量となっている鉄を避けられるので、きっと瓦礫が降り注いでも五体満足で立っているだろう。


 対して、こちらは網重が作った鉄の盾一つだけ。

 鉄骨一つや軽い鉄片の雨は防げても、だだっ広い体育館の天井全てが落ちて来る今は、最後まで無事でいられる保証は無い。


「……!」


 網重を掴んで逃げようかと視線を巡らせた七実酉だが、全ての鉄扉が歪められている事に気付く。逃げ道は先に潰されているようだ。


 降り注ぐ瓦礫を全て叩き割る事は難しい。

 避けるなど尚更。

 盾をもう一つ作らせる時間は無い。

 網重の無事を最優先に。

 一秒にも満たない思考をした七実酉は、縮こまる後輩を抱いて、庇うように背を上に向けた。衝撃と痛みに備えて目をぎゅっと瞑る。



「そこまでだよ、不良君」



 自動車サイズの瓦礫から細かい砂粒に至るまでの全てがのは、そんな声が聞こえた直後だった。


 一気に静まり返った特殊体育館内に、天井が取っ払われて日差しが照り付けた。

 七実酉は声のする右を向き、男は左を向く。微かな風になびく赤黒い長髪を見て、皆が息を呑んだ。


「うちの子を傷付けたんだ。無事に帰れるとは思ってないよね?」


 岸華きしばな壱糸いちし

 暴力統治の担い手たる風紀委員の長が、地獄をも震わせる鬼のような重圧と共に、聖母のように微笑んでいた。

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