第七・五章 幕間

第116話 夕陽へ走る貴方を見て

 体育祭に対する熱量が大きかろうが小さかろうが、前日に迫ると浮ついたり緊張したりしてソワソワしてしまう事は誰でもある。

 それは寮の自室で勉強していた双狩ふがり永羅えらも例外ではなく、空が夕陽に染まりだした頃になっても、何となく落ち着かなかった。なので気晴らしにコンビニまで歩いていた。


(去年は体育祭なんて何とも思ってなかったのに……。今年だけおかしいくらい気合い入ってるせいかしらねー)


 学校行事にあまり関心の無い双狩ですら空気に当てられてしまうほど、今年の体育祭は過去一番に大掛かりなものになっている。それをいち早く体感させるかのように、午後まで続いていた体育祭の準備は授業時間を丸々使って行われた。おかげで大して動いていないのにたくさん汗をかいた。


「あっ、新しいのある」


 炎天下での作業を思い出して良い感じに冷えた飲み物を欲する彼女は、新作のキャラメルアイスラテを見つけていた。誘惑に抗えず、二つも買ってしまった。


「ま、まあ明日沢山動くし? 今日くらい二本飲んでもいいわよね。誤差よ誤差」


 そろそろお菓子の制限を始めるべきかと悩んでいた自分への言い訳も欠かさずに。

 カロリーが二倍になると思えば決して誤差などでは無いはずだが、早速甘い飲み物に口を付けた双狩は考えるのを辞めた。全て暑いのが悪い。



 既に陽が傾き、道には帰路につく社会人や学生が増えてきた。

 冷たい甘味をストローでゆっくり吸い上げながら歩く双狩は、自分を追い越した高校生の一団を見て、ふと思い返す。


(そういやここ最近、あんまり芹田せりだのヤツと話せてないかも)


 最後に会話らしい会話をしたのは、喧嘩した親友と仲直りする方法について悩んでいた彼の相談に乗ったあの昼休みだろうか。あれからは朝や放課後に会って挨拶をするくらいだ。


 クラス一丸となった押し付け合いの末に実行委員に任命された芹田は、二学期に入ってから毎日忙しそうだ。

 話しかけようと休み時間に何度か後を追ってタイミングを見計らったりしていたものの、いつも誰かしらの実行委員や先生と話していたのを覚えている。


(こんな事なら、私も実行委員に立候補すればよかったかなー……いや、どうせ長続きしなさそう)


 そもそもB組の実行委員として芹田に白羽の矢が立ったのは、満場一致で問題児認定されている彩月さいづきの制御役としてだ。最初のきっかけで全てが決まっていたようなものなのだから、こればかりは悔やんでも仕方ない。


 仕方ないのだが、顔を合わせる機会が減った事に対しては小さな危機感が芽生えていた。

 このまま影が薄くなっていって忘れられたらどうしよう……などと、恋する乙女は悶々とする。


「あ、やっぱ双狩だ」

「……っ!?」


 だから、思考の中心にいた芹田流輝るきその人がドンピシャで視界の端から現れた事に、双狩はビックリして飛び跳ねそうになる。

 なんとか踏みとどまった代わりに、キャラメルラテが気道で迷子になったせいでむせてしまった。


「せ、芹田!? いつから……!?」

「まるでずっと隠れてたみたいな言い方だな。ちょうど今見つけたんだよ。後ろ姿を見て双狩かなーって思ったけど、人違いじゃ無かったな」

「ふ、ふーん」


 コンビニと寮を往復するだけの予定だったのでほぼ普段着で来てしまっていたのが迂闊だったが、いつもと違う服でも見つけて声をかけてくれた事が嬉しくて細かい事は気にならなくなるのだから、便利な思考回路である。


「夕方に買い物?」

「ちょっと気晴らしにコンビニまでね。あんたは今日もランニング?」

「まあな。実行委員会の集まりで放課後のクラス練習に参加できなかった日もあったからな。遅れを取らないように外でトレーニングをして気を引き締めてた」

「よくやるわね」


 双狩は呼吸を整えながら、隣を歩き出す芹田を見た。

 彼の着ている学校指定の物とは違うジャージは、薄く砂で汚れている。どんなトレーニングをしていたのだろうか。

 そして不思議だったのが、彼の片腕くらいの長さの細長い袋を、紐で肩にかけて背負っていた事だ。


「背中のソレ、何?」

「ああこれか。木刀だよ」

「木刀? って、あの木の刀みたいなの?」

「みたいなっていうか、まんま木の刀」


 歩きながら袋の中身を見せてくれた。

 言葉の通り、木刀だった。何の飾りも無い、今日日きょうび見ないようなシンプルな木刀が一本入っていた。


「うわ、本物初めて見たかも。なんでこんな物持ち歩いてんの?」

「体育祭でちょっと使う予定があって」

「体育祭で……? プログラムにそんな競技あったかしら」


 部活動の種類が豊富な星天学園には、昔ながらの伝統を重んじる武芸部もある。明日のプログラムにある部活動別パフォーマンスでは武芸部も出るらしいが、芹田は帰宅部のはずだ。

 疑問の視線を向けていると、芹田は袋を背負い直しながら含みのある笑みを浮かべた。


「実は今日までコソ練してたんだ。何があるかは明日をお楽しみに」

「気になる言い方するじゃない……。そこまで言うなら追及しないであげるわ」


 どうやら明日の体育祭で、実行委員ではない双狩の知らない何かがあるらしい。


「わざわざ学園の外に出て練習だなんて、それなりの秘密だと思っておくわよ」

「はは……どうしても隠したいって程じゃないんだけどな。ちょうど最近、練習にピッタリな公園を知り合いに教えてもらったからってだけで」

「……ちなみにだけど、その秘密の事って、彩月も知ってるの?」

「彩月? あいつはもちろん知ってるよ。実行委員会の中心だし、今回のはいつもの特訓の一環みたいなものだから」

「ふーーーん」

「な、何、その長い相槌」


 困惑気味に問われても、双狩はキャラメルラテに口を付けて沈黙を返す。


 何となく、負けた気分になっただけだ。

 今回は体育祭絡みなのだし、彩月だけでなく実行委員の間でも情報共有は行われているはずで、双狩が思っているような焦るべき事態ではない。

 ないのだが、芹田の秘密なら大抵知ってそうな人が近くにいると考えると、どうしてもそわそわする。


(でも、そっか……)


 面倒臭い思考になる前に自分を抑え込む事ができた双狩は、ストローをくわえて無関心なふりをしながら、隣を歩く少年の横顔をちらりと見る。


(どんな時でも芹田はいつも通り、頑張ってんのよね)


 二学期から――正確には実行委員になった夏休みの登校日から――芹田は体育祭の準備に大忙しだったし、つい最近までは幼馴染との仲直りについても悩んでいた。

 そして、その原因となる怪我を負う事となった『ちょっとした事件』に巻き込まれたせいで、夏休み後半は散々な物だっただろう。さらに遡れば、一学期の最後にはテロ事件に巻き込まれて誘拐もされたし、その前はよく話すようになったきっかけとなる風守隊かざもりたいの事件や、『ゴーストタウン』なる犯罪者の対策も取るようになった。


 思い返せば、芹田はずっと何かと戦い、心身ともに擦り減らしながら何かに向き合っている。その中でも、前へ進む為の歩みを止めていない。

 未だランクは89位のまま動いていないが、去年と比べても確実に力を付けているのは双狩からでも分かる。むしろ彼をずっと見ていた双狩だからこそ、彼の見えない変化についても気付いていた。


 彼は努力し、成長している。

 入学当初から良くも悪くも浮いていた彼が気になったのは、その強く真っ直ぐな心への興味が始まりだった。それは双狩自身も自覚していた。

 ふと、その疑問が言葉になって出た。


「芹田はさ……なんで、そんなに頑張れるの?」

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