第114話 約束
屋上は日差しが強いが、他に遮るものが無いせいか風も強い。
そして何より、ここには誰もいない。大事な話をするにはもってこいの場所だ。
「屋上は立ち入り禁止じゃなかったか?」
鉄柵に手を乗せてもたれかかっていた俺は、待っていた声を聞いて振り返る。やっぱり、来てくれたか。
塔屋の扉をくぐって屋上に来たケンに、学園端末をかざして答えた。
「屋上からだとグラウンドが良く見えるからな。仕事に使うって言ったら先生が電子キーをくれた」
「なるほど。実行委員だもんな」
俺は久しぶりにケンと正面から向き合った。
一度覚悟を決めてしまえば、昨日感じた緊張や気まずさも消えていた。
「八月の事を謝る前に、ケンに話したい事が……話さなきゃいけない事があるんだ」
俺の幼馴染は無言で頷き、続きを促した。
ケンはいつも俺を理解してくれたけど、それは当たり前の事じゃない。俺の想いが全て伝わるなんて事はないし、俺もケンの考えを全て知る事なんてできない。
それでも、話さなければ何も伝わらない。
話すべき事はもう決めてある。
「ケンが言ってた事、俺なりに考えてみたんだ。人のために命をかけるべきかどうかって話。やっぱり俺は、命を狙われてる人を助けるなら、命をかけなきゃ助けられないと思ってる。この前だって、そうしなきゃいけない事態だったんだ」
「……」
「でも、気付いたんだ。俺がケンに話したのは事実のほんの一部。だから考え方が食い違ってたんだ。だから俺は今から、お前に本当の事を話す」
目の前に立つ親友の目を見て、拳を握る。
一陣の風が髪をさらっていく。風が通り過ぎた時、俺は口を開いた。
「実は俺、国の秘密機関と戦ってたんだ」
「…………え?」
いきなりだったからか、ケンは口を開けてポカンとしていた。
「犯罪者に追われてたってのも実はちょっと違う。本当はその組織に狙われてたんだ。それも政府が裏で動かす研究所だから法で裁くことはできなくて、でもやってる事は悪い事で。だから命がけで戦って守るしかなかったんだよ。まず最初に、それを知ってほしかった」
「ちょっ、え、マジ?」
「マジだ。ニュースになってた無人バスの爆発もコンテナターミナルの閉鎖も、全部あの時の事件が原因なんだ」
「えぇ……それ、お前の妄想とかじゃなく、ホントの話?」
「いきなり屋上に呼びつけて妄想を垂れ流す奴がいたら病院に送った方がいいだろ。全部俺が体験した現実の話だよ」
まあいきなりこんな事を言われても、普通は呑み込めないよな。だけど、昔からずっと一緒にいてくれたケンなら、分かってくれると信じている。
「深層機関の詳しい話は一旦置いておくとしてもだ。俺があの子を守るために、命をかけなきゃいけないくらい大きな事態だったって事を、知ってほしかったんだ」
「な、なるほど……予想してた話の斜め上過ぎたけど、言いたい事は分かったわ……」
浅緑色の天然パーマの上から頭を掻いて、ケンは微妙な表情で頷いた。
「俺が思ってたよりも、
ため息を吐いたケンは、真面目な顔になって尋ねる。そこにはこの前のような険悪な雰囲気も、今日までのような気まずい空気も無くなっていた。
「その研究組織っつーのは、まだいるのか? まだ、流輝は危ない所に行くつもりなのか?」
「……ああ」
深層機関はイクテシアだけじゃない。そもそもイクテシアだって、体制が整えばまた同じことを繰り返そうとするだろう。
その枠組みそのものを破壊するために、『ゴーストタウン』はプリズム・ツリーを作ったんだ。だから俺はまだ、戦わなくちゃいけない。
「まだ残ってるよ。俺のやるべき事は終わってない」
「そうか……聞きたい事は山ほどあるけど、それは後でいい。それより、流輝がこれからも俺の知らない世界で戦うってんなら、ひとつだけ約束してくれ」
「約束?」
「人を守るのはいい。けど、自分を盾にするな」
力のこもった眼差しを向けて、ケンは俺に告げる。
自分を盾にする。それはまさに、今回俺が取った行動そのものだ。
「今回の件、俺が気に食わなかったのはそこだ。自分をもっと大事にしろ。こんな言い方すんのは良くないけどな、俺にとっちゃ赤の他人が何人助かっても、お前が無事じゃなきゃ駄目なんだよ。そんくらい約束してくれよ」
――お前の命は、お前だけの物じゃねえんだぞ。
八月の末。去り際にケンが残したその言葉の意味が、今になってようやく分かった。
「約束するよ。俺はもう、自分を盾にしたりしない」
俺が昔から能力を欲していた理由はいくつかある。
能力で人を守る
でもそれ以上に。
俺の知る中で誰よりも優しく、心の強い漢。そんな親友に憧れて、俺は能力者を夢見ていたんだ。
「はぁ……そんな覚悟の決まった顔で断言されちゃ、何も言えねぇじゃねえか」
言葉にしようと思っていたものを吐き出すように、ケンは大きなため息をついた。
「分かった。この件はとりあえず流してやるよ」
小さく笑って、ケンは拳を突き出した。
きっと思う所はあったはずだ。なのにこうして笑みにしてしまえるなんて、彼の強さに感謝しないとな。俺には届きもしないくらいに心の強い男だ。
「けど約束は、絶対守れよ」
「ああ。必ず」
誓いの意味を込めて、俺も握り拳を差し出した。
拳を通して伝わる軽い衝撃が、胸の内に心地よく響いた。
* * *
体育館裏にある倉庫の前で、一人の男子が悲鳴にも似た声をあげていた。その声に、鉄の粒を擦り合わせるようなザリザリとした音が重なる。
「な、なんだよ、その気持ち悪いヤツは!?」
そこには五人の男子生徒がいた。一様に驚きで目を見開く四人の男子生徒と、彼らに注目されている一人の小柄な男子生徒――
いつも彼をいじめる四人が驚愕のあまり固まっている理由は、静木の周囲を漂う黒い霧にある。
彼らの前で、黒い粒子の群れが何本もの腕を作る。まるで薄く大きな黒い蛇が何匹も宙を泳いでいるようにも見えた。
そしてそれは、静木を守るように囲っている。
「雫! お前の能力はそんなのじゃなかったはずだろ!」
一人の男子はそう訴えるが、当の静木が何か答えるより早く、黒い触腕は後ずさるいじめっ子たちへ迫る。
刃のように鋭い先端に頬を浅く切りつけられ、彼らの顔はたちまち色を失った。
もしもこの刃がもう少し横を通り過ぎていたら。
そんな想像をしたのだろう。四人とも捨て台詞すら吐かずに走り去ってしまった。
「す、すごい……!」
体育館裏で一人きりになって、ようやく状況を理解したように、静木は黒い触腕へ話しかける。
しかし、その視線と声は別の者へと向いていた。
「これがあなたの能力なんですか?」
『まあねー』
返される声は彼の背後から。静木の小さな背中に隠れるように浮かんでいる、角張ったハマグリのような小さな機械が声を発していた。
ボイスチェンジャーを通した不自然な声だったが、静木の中で、その不気味さに対する恐怖はほとんど無くなっていた。
「『ゴーストタウン』さん、でしたっけ。本当にこの力が、僕にも使えるようになるんですか?」
『もちろんさ。でも覚えてるよね? 君を強くするのは、僕のお願いをひとつ聞いてくれたらだ』
「そ、そうですよね、もちろん」
『まーまー、そう緊張しないでよ。君のことを助ける代わりに、僕のこともちょっと助けてほしいだけだから』
静木の周りを漂っていた黒い粒の群れはひとりでに浮かぶ機械に集まっていき、やがて人型になる。十秒も経たないうちに、そこには黒い影が出来上がっていた。
『と言っても、星天学園生のキミにとっては簡単な任務だよ』
ザリザリと音を立て、人型の黒い影は揺れた。
『
そう頼むボイスチェンジャー越しのその声は、どこか楽しげに弾んでいた。
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