4ページ目 クロ魔術への誘い



「へっ?」



 肩透かしから流れるように裏拳をお見舞いされた気分だ。



 この本が悲しんでいる理由は、じいちゃんの死ではなく、じいちゃんに引導を渡せなかった口惜しさが原因だったらしい。



 予想のナナメ下を行く回答に、開いた口が塞がらなかった。



「アイツはねぇ! 毎度毎度まいどまいど! そのとき思いついたことから、日々の料理の感想まで、ありとあらゆることをさんざん私の余白に書きこみまくって、余白が埋まったら、今度は本文にまで手を出して、ボールペンの試し書きコーナーみたく、散々書き殴って汚書にしたんですよ、このワタシを!」



「へっ、へぇ……」



「何ですかその反応は! おかげで私は、身も心も蔵三に黒く汚されてしまい、お嫁にもいけない身体に。うぅっ。神秘の体現者たるワタシをこんな姿にしてぇ」



 そういえば、じいちゃんは何かにつけてメモをするメモ魔だった。



「だけど、そのくらいで復讐って物騒じゃない?」



「そのくらいですって!? 貴方も見たでしょう、あの稚拙な駄文の数々を! もう一度これを見ても言えますか?」



 そう言って本は、黒く塗りつぶされたページを、ボクの顔にこすりつけるように見せるのであった。



「わかった。わかったから。じゃあイタズラ書きされる前は、どんな内容が書かれていたんだ」



「決まっているでしょ。ワタシは稀代の魔術書【ネクラノミコン】ですよ。となると答えは一つ。魔術に関することですよ」



 お前が稀代の魔術書かどうかは知らん。


 そもそも稀代の魔術書は、ネク“ロ”ノミコンの方だ。



「汚れててまーったく、一文字も一ミリも、わからない」



「えーえー、そうでしょうよ! 蔵三は、チマチマちまちまと、人目に付かないところでポエムやら日記やらを書き込みやがるんですよ。ネクラなんですよ! その割にカッコつけで空回りするさまは、惨めすぎて笑うの通り越して、目も当てられなかったです」



「うっ……」


 


 ボクは心にダメージを負った。


 じいちゃんがネクラだったことと、痛々しい性格だったこと。


 そして、それらがDNAを継承したボクにも受け継がれていること。二重の意味で言葉が出なくなった。


 自分語りになるが、昔、具体的な時期は避けるが、天使や悪魔を題材にして詩を書いていた覚えが……ヤメ、この話はナシだ。中学同級生のユイカちゃんが「椎音くんって、その、なんて言うか、想像力豊かだよね……」と、憐れむようにボクを見つめていた記憶が蘇ってしまう。



「おんやぁ、無言になりましたね? もしかして……あなたも同じように?」



「いやいやいや! ボクは中二病患者ではない! 自分は黒騎士の生まれ変わりで現世の魔を断つ使命を帯びているとか、テロリストが教室を占拠して極限の状態で、帰り道に異世界転生に巻き込まれて無双なんか考えたことなど無い。決して! 断じて! 違うから!」



「それ、答えを言っているって自覚無いんですか? まぁ、些末なことです。蔵三はその性格と行動が災いして、全然モテなかったので、あなたも注意した方がいいですよ」



 じいちゃんの涙ぐましい努力と空回りにシンパシーを感じてしまうのはなぜだろう。



「さて、戯れはここまでにして、これからが本題です」



 また本の不可思議な力によって、周囲の光が消え、空気がドンヨリ重くなった気がした。



「椎根鞍馬」



「なっ、なんだよ、急に雰囲気作って」



 先ほどまでのおちゃらけた声と違い、感情を押し殺した話し方をし出す本。



「あなた……」



 プレッシャーのようなものを感じ、ボクはごくッと唾を飲んだ。



「黒魔術、信じますか?」



 真剣に聞いて損した。



「はぁ、何言ってんの? そもそも魔術とか、オカルトなんて信じるわけ……」



 途中まで話して、ボクは言葉が止まった。


 目の前でフワフワと漂うこの物体を見て、考えが変わった。


 これがオカルトでなければ何だというのだ。



「今までなら軽く聞き流したけど、という顔ですね。いい反応です。知識と情報は常に更新し続けなければいけません。そして常に考えをめぐらすことです。“愚者も千慮に一得あり”と言うとおり、アナタのような愚かそうな人間でも、たまにはマシなことが思いつくかもしれません」 



「そんなんじゃない。あまりにも突拍子も無くて、つい言葉が出なかっただけ。魔術なんて信じてない」



 だが、今は否定した。 


 この本に主導権を取られてはいけないと思ったからだ。



「いいや、そんなことありませんね。きっとあなたは黒魔術と聞いて思ったはずです。(もしかすると、この本なら可能ではないか?)と」



「そんなこと、微塵も、ちっとも、思ってないから!」



「いや、否定しながら必死に手をバタバタされても。断言しますが、蔵三の血を引くあなたは黒魔術師としての素質があります。ワタシの封印を無意識のうちに破った時点で、かなり“見込みあり”なんですよ、アナタ」



 そんなこと言われても実感が無い。


 今まで平凡でちょっとネクラな人間だったし、今後も大きく方向性を変えるつもりはない。


 身長はどんどん伸びる予定だけど。


 魔力がある? それもにわかには信じられないな。


 これまでの人生で、心霊体験をしたことが無いボクには納得がいかない。



「あー、アナタ。自分には霊感が無いから素質が無いと考えてます? いるんですよねー、霊感と魔力を一緒に考えるおバカちゃん。言っておきますが全然別物ですからね。例えるなら、水とナンプラーぐらい差がありますよ」



「例えがわかりづらい!」



「それでどうなんです? 欲しくないですか? 他人が持っていない、チ・カ・ラ!」



 ドキッとした。『他人が持っていない力』という魅力的なフレーズ。


 黒魔術なんて胡散くさいことはわかっているのだが、この本ならばそれが出来るかも。と不覚にも思ってしまった。


 宙に浮くわ。しゃべるわ。急に消えるわ。あまりにもムチャクチャな本。だが、それが黒魔術を現実的なものにさせていくという皮肉。



「でも、そういう誘いには必ず代価があると思うんだけど」



 ベタに『命をよこせ』だとか『一生を捧げる覚悟が必要だ』とか。



「もちろんあります」



 そうだよな、やっぱりな。


 上手い話なんてあるわけが無い。


 そこはオブラートに包むなり、隠そうとするなり努力するもんだが。



「珍しいな。契約前にそんなこと言うなんて」



「代価とは言っても、命は取りませんし、難しいことでもありません」



 さて、どこまでが真実だか。



「実は、このらくがきですが、どうやら蔵三が魔力も注入していたらしく、私の術式発動を抑える魔術刻印として機能しているんですよ」



 おいおい、じいちゃん、いったい何者だったんだ? 


 ボクの印象では、最後までコミュ障でムッツリスケべで、精神年齢が永遠の中学生みたいな人だったが。


 ……だめだ、自分を重ねてしまう。



「そして魔力を帯びた鎖でグルグル巻きにして封印していたんですよ」



「それをボクが解いた。と」



「そうです! せっかく物語の王道展開である【禁忌の書物】として厳重に封印されていたのに、アナタときたら、キーを探すという謎解き要素と封印解除の段取りをいきなり無視するんだから、情緒も減ったくれもない!」


 


 一生封印されたままかもしれないのに、ずいぶん呑気なことだ。


 言い訳をするなら面倒くさかったんだよ。ペンチで簡単に切れたし。


 


「そして無理やり鎖を断ち切ったのですが、そこもおかしいんですよ! あの鎖はねぇ、魔力によってコーティングされていて、一般人ではダイヤモンドカッターでもレーザー切断機でも切れない代物なんですよ!」



「いやいや大げさすぎ。あれただの鎖だって。じゃあ逆に聞くけど、ボクじゃなくても魔力の素質がある人なら誰でも切断可能だったってこと?」



「いいえ。通常、魔力は人によって波長が違います。そのため魔力を完全に打ち消すなんて芸当は出来ません。だけど蔵三の孫であるアナタは、よほど波長が近かったのか魔力を無力化出来たみたいですね。これはたまたま道端で拾った鍵が自宅の鍵と一致するぐらいの確率です。ワタシにとっても、アナタにとってもすごく運が良いんです」



 どこが運が良いのだか、さっぱりわからない。


 ボクは、お前に出会ってからずっと後悔しているんだが。 



「アナタには、ワタシを汚したにっくき蔵三の責任を取って、ワタシの封印解除をしてもらう責任、いや義務があるんですよ!」



 コイツの言うことは「江戸の敵を長崎で討つ」みたいな逆恨みの論法で無茶苦茶だった。



 だけど、ちょっと楽しそうだ。


 不覚にも思ってしまった。

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