第2話 婚約破棄と私の友だち

「お嬢様。到着致しました。ご気分はいかがですか?」


シスの声に、意識が浮上する。


気分……は、まあ、最低だけど。少し眠れたので、頭はだいぶすっきりした。


「ありがとう。だいぶいいわ。……今日、お父様は家にいたわよね?」


「ええ、本日は領内の執務を家で、とおっしゃってました。けれどお嬢様、少しお休みになった方が」


「大丈夫よ。面倒事は早く済ませたいの」


「……かしこまりました」


シスは心配しながらも、お父様に確認を取りに向かってくれた。私はゆっくりと歩きながら、お父様の執務室へ向かう。


それにしても。


バカヤーニ家の使用人には迷惑をかけるかもしれないが、押し通して良かった。


悔しいことに、長年の付き合いがある家だと、ちょっとした雰囲気の違いも敏感に感じ取ってしまう。


今日は、最初に挨拶をしたメイドの様子が余所よそしかったのだ。渋る執事と侍女長を脅し……いえ、お願いして、通してもらった。お陰で現場を押さえられたわ。


「あとは、お父様に婚約破棄のお願いね」


シスからお父様の了解を得た確認を受けて、そのまま執務室へ向かう。


「おかえり、リア。急用があるんだって?それに、今日はロイエ君とのお茶会ではなかった?早かったね」


ロマンスグレーの素敵なお父様が、にこやかに話してくれる。うちのパパ、イケオジ。素敵。じゃなくて。


「その、ロイエ様についてのお話ですの」


私は淑女らしくシャンと背筋を伸ばして、今日の出来事をお父様に話した。



   ・


   ・


   ・



「ロイエ君が他の女性と?本当なのかい?」


「ええ。……シスもおりましたので。ね?」


私は同席させたシスに視線を向ける。


「はい。間違いございません。それに差し出がましいようですが、今回が初めてではないと思われます」


「は……?!」


「主人命令だったのでしょうけれど、あちらの使用人の方たちは知っていたようなんですの」


「なに……?!」


お父様は、慎重に話を聞いていたようだったが、最後の言葉には怒りを込めて反応した。


「使用人……そうか……そうなると、調べてみる必要があるな。しかし、彼が、か……。学園の成績も優秀であるし、何より、リア、お前をとても大切にしてくれているように見えていたが……貴族の噂話でも、彼の浮いた話はとんと聞こえて来ないがなあ」


お父様は腕を組んで、うーん、と考え込む。


そうなのだ。周りも……そして私も騙されるくらい、大切に、大切にしてくれていた。振り返ると、その辺りは和博とは違う。学園でも優等生だし。


「そうなのですが……お相手の方は、お付き合いをしていると明言しておりましたし……」


「恐らくは、平民女性をお相手にしていたのでは?視察と言えば、どんな方と歩いていても噂になりにくいですし、言い方は悪いですが、どうとでもなります。当家もそうですが、あちらも公爵家。使用人の口は固いでしょうし。私も油断致しました。申し訳ございません」


私の言葉に、またシスが被せるように言い募る。な、なんかシスったら、凄い圧力を感じるのだけれど、なぜ?


それに、シスが謝ることでもない。油断って……。


「シスが謝ることはないわ。皆、気づかなかったのだもの」


「いえ。私は気づくべきだったのです」


「?」


「……ともかく、だ。アネシスの想像通りだったとすると、かなりタチの悪い話だ。私も詳しく調べてみよう。もし、それが真実なら……いいのかい?リア」


お父様が心配そうに私の顔を見る。娘なんて政略結婚の駒にされがちなのに、愛されている私ってなんて幸せ者なのかしら。


「もちろんですわ。とっとと破棄してくださいませ」


あんなクズがいなくても、いや、むしろいない方が私は幸せになれる。そうよ。今生は、奴の気持ちではなく。私は私を大事にするの。


私は、全開のにっこりでお父様に応えた。



「お嬢様、ハーブティーでもお淹れしますか?」


「お願いするわ」


自室に戻り、シスに楽な服に着替えさせてもらい、ようやく一息つく。


クズのせいで、思考が忙しい日だったわ。まだティータイムの時間だけれど。でも、思い出せて良かった。あのまま結婚していたらと思うと、ゾッとする。


「お嬢様、お待たせ致しました」


「ありがとう。あっ、シスの分も淹れて?一緒にお茶にしましょう?」


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


シスは慣れた手つきで自分の分のお茶も注ぐ。使用人と仲良くお茶をするご令嬢は珍しいようだが、5つ上の彼女は私の姉のような存在で。本人は「成り上がり男爵の娘ですよ」なんて言うけれど、立派に貴族のご令嬢。


行儀見習いでうちに来て、そのまま本人の強い希望で私の専属侍女になってくれたのだ。


いつも私をとても大事にしてくれる。今日も。


『……今回は大丈夫そうかしら?少し様子を見るか……』


ぼんやりしみじみとシスの事を考えていたら、ロイエと婚約が決まった時の彼女の一人言を思い出した。


『シス?何か言った?』


『いえ、何でもございません』


……そう、あれは10歳の時。あの時はさらっと笑顔でかわされてしまったけれど。という言葉が引っ掛かって、なんとなく忘れられなかった。


今日も、気になることがたくさんあった。


「お嬢様?やはりお疲れなのでは?やはり少し横になりましょう」


「大丈夫、大丈夫よ!」


自分でお茶に誘いながら、だんまりしてしまった。そりゃ、心配させるわよね。


うん、気になることは聞こう。


「シス、今日はいろいろとフォローありがとう。助かったわ。それで、気になっているのだけれど……シスは、何か知ってるの?その、ロイエのこと……」


私の問いに、シスは笑顔を浮かべた後、わざと拗ねたような顔をした。


「あのバカ和博を思い出して、私を思い出してくれないのですか?」


シスの拗ね顔。なかなかレアだ。普段は見せないもんね!懐かしい!……懐かしい?


その時、一人の大好きだった前世の友人を思い出す。


「……もしかして、玲子?」


「そうです!思い出してくれたんですね!」


「え?え?!玲子?シス?は、いつから知ってたの?」


「お嬢様に初めてお会いした日です」



何、その衝撃の真実!



「そんなに前に?やだ、言ってよ!そしてお嬢様は止めてよ!」


「それはできません。いつポロリと出てしまうか分からないので。その辺りの線引きはしっかり取らせていただきます」


「えー、寂しい~!いいじゃないの~!」


「いけません。……でも、あのクズの愚痴は、いくらでも付き合いますからね?」


悪戯っぽくウィンクするシス。きっちりしっかりしているところ、でも茶目っ気たっぷりの所も変わってない。


「ふふ。頼もしいわ。シスはヤツの事も、すぐ……?」


「はい。あの、お嬢様のお相手探しのお茶会の時に、私もおりましたから。と同じで、お嬢様に一目惚れしてからのアプローチが凄かったですもの。あっ!て思い出しました」


「そうだったの」



「はい。でも今回はあちらの強い希望でのでしたし……。まだ幼いこともあったので、様子を見ていたのです」


「なるほど」


それで、あのセリフか。



シスによると。



前世でかなり後悔したらしい。親友の私に、あのクズを会わせてしまったことを。玲子は美容師の学校に通っていて、クズと同じクラスだったのだ。私は普通の短大生だったのだけれど、玲子と街で買い物をしているときにヤツと会ってしまったのだ。


「それから、凄かったじゃないですか。口説き方。一目惚れしたとかって。クズの良くない噂も聞いていたのに、とうとう本命が現れたのかと思って、つい、あなたとの付き合いを許した自分が許せなくて」


「まあ……。私が騙されて絆されるくらいにはもの凄い口説き方だったから、周りはもっと騙されるわよ……。てゆーか、本人は騙しているつもりがないのが厄介なのよね」


「はあ……本当にそこですよね……」


そうなのだ。ヤツは典型的な釣った魚に餌をやらないタイプだったのだ。……無自覚に。でも、ちゃんと好きだと言う。庇護欲をそそる容姿も、意識してかしないのか、周りには面倒を見たがる女性が群がっていて。


今なら速攻でぶった切る所だが、当時は私もどうかしていた。付き合う前のヤツの言葉を信じて、ずっと待ち続けていた。約束を破られても、1ヶ月音沙汰がなくても、イベント事を他の女達と過ごそうとも。それでもヤツが呼び出せば、喜んで会いに行った。何て都合のいい女。


それでも、それでも待ってしまうくらい、最初の言葉と約束を信じていた。


我ながら純情……と言うより、意地になってただけよねえ、今思えば。若さと時間を無駄にした三年間だった……。


「私の純粋無垢なお嬢様を……!許すまじ、あのクズ……!!」


「玲子……シスが気にすることじゃないわ。そんな、純粋無垢とか可愛らしいものじゃなかったわよ、私なんか。周りの声も耳に入らず、意固地になって引きずったのは私自身だもの。本当にどうかしていたわよ、あの頃は」


そして出来れば思い出したくなかったが……ああでも今回気づけたし、良かったのか……うーん、複雑。ともかく、私の中では消したいほどの黒歴史。



「むしろ……皆には心配をかけたわよね。前世越しであれだけど、ごめんなさい。今回は、みんなが言ってくれていたように自分をちゃんと大事にするわ」


「お嬢様……」


「ねぇ、やっぱりお嬢様は止めない?」


「それは無理です。諦めてください」


くそう、真面目か!うん、真面目よね、うちの優秀な侍女だもの。


「お嬢様がようやくあのクズと別れた時は安心しましたよ。まあ、次が……」


「うん、また私たちの友達だったわよねぇ?節操無さすぎよねぇ。それでようやく目が覚めたのもあったけれど」


泥沼とゆーか、何とゆーか。何本かドラマが描けそうなくらいだったな。本当にあり得ん。けれど、渦中にいると気づけなかったりするのよね……。


凝り固まった恋心は厄介で、愛情なのか執着なのか分からなくなったりしてしまう。


「あのアズさんも心配よね」


「相変わらずのお人好しですね……」


「だってきっと、騙されてるでしょう?」


「……そうだとは思いますが」


「今は無理でしょうけれど。何かあったら手を貸してあげてね?」


「……お嬢様がそう仰るなら」


シスは憮然としているけれど、ヤツは女性の敵だもの。大概の人は騙されるのよ。本当、転生してまで会いたくなかったし、ましてや婚約者だなんて、なんの冗談なのよと思うけれど。


「まずは、婚約破棄!できるわよね?」


「問題ございません。間もなく全てつまびらかにしますので」


シスのどや顔、カッコいい。男前なとこ、変わってないなあ。



なんて、私がぽやぽやしているうちに。



クズの真っ黒な身辺調査の裏をしっかり取ることができて、無事に婚約破棄と相成りました。良かった良かった。


それは、あの現場を目撃してからわずか三日後の出来事で。権力のある家の有り難さを痛感致しました。


みんな凄い。


「お嬢様。クズに慰謝料請求しなくても、本当によろしいのですか?」


「ええ!顔を見ないで済むだけで充分よ。だって、あんな馬鹿の為に頭も時間も使いたくないじゃない。前世だけでも使いすぎたのに、今生までもごめんだわ。もう、スパッと切って、次よ、次!」


「さすがお嬢様。らしさが変わっておられなくて、とても嬉しいです」


シスが安心したように、ほっとした笑顔で言ってくれる。


そう、もう同じ轍は踏まない。


さて、これからは第二の人生をシスと一緒に楽しもう!


昔よく読んだ話みたいに、二人で商売を立ち上げてもいいわね!


あー、本当に清々した!!




─────────────────────



次、ロイエ視点です。


アホなので、ダメな人は避けてください。

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