第44話 嵐の前(2)





 台風の備えのために買い物に行くため、ハイエースに乗り込んで、山道を進んだ。

 この辺りで一番大きなホームセンターに行くには、ここから一時間くらいかかる。

 私の隣には、綿貫君が座り、後部座席に綿貫君が座った。


 まだ、台風の影響はないので、天気もよく、道路状況も悪くなく、運転にもなんの問題もなかった。

 私は、快調に車を運転していた。


「綿貫君、随分とバイクに乗るのが、上手くなったわね~~きっと、元々体幹がしっかりしていたのね」


 母が、助手席に座っていた綿貫君に向かって楽しそうに言った。

 今は乗っていないが、母も元々は、バイクに乗っていた。

 19年前、私を妊娠していることがわかって、バイクを離れてから、育児と家事と仕事に追われて、全くバイクに乗る時間が取れなくなって、今では全く乗っていないようだった。

 母のバイクは、私が今、乗っているKTMだ。

 父はいつも『瑞樹、郁さんの走りを見たら痺れるぞ~~』と、言っているので、母もバイクにはかなり詳しい。だからこそ、綿貫君が上達したこともわかったのだ。

 ちなみに郁さんとは、私の母だ。


「ありがとうございます。バイク凄く楽しいです」


 綿貫君は、母の言葉に頷いてくれた。


「好きなものって、やっぱり上達が早いわよね」


「あの……工藤のお母さんは、もうバイクには乗らないんですか?」


 綿貫君が、随分と大胆なことを、あっさりと聞いた。

 それは、私も、斎君も、父でさえ、なんとなく聞けなかったことだった。


 すると、母は、少し考えて言った。


「そうね~~バイクに乗らない理由は、移動時間が長いことだったのよ。工場の経理兼、主婦兼、母親なんて、何足もわらじを履いちゃうとね~~。数時間の移動時間がもったいないのよ。でも、そうね~~ここでなら、落ち着いたら乗ってもいいかな?」


「え?! そうなの?!」


 私は思わず大きな声を上げた。

 正直、いつもみんなに、『郁さんは凄い』『さすがは、すみれさんの娘だ』と言われていた母の走りは、ずっと気になっていたのだ。でも、なんとなく、母はもうバイクには乗らないのだろうな、と思っていたので、乗る気があることに驚いた。

 そんな私を見て、母は楽しそうに笑いながら言った。


「あはは。瑞樹、驚き過ぎよ~~。まぁ、あのまま、あそこで生活していたら、一生乗ることはなかったかもね……でも、扉をあけて、数歩で、バイクに乗れるなんて、夢の環境に引っ越したら……乗りたくなるじゃない? まぁ、引っ越しが住んで、落ち着いたら、のんびりブレーキ練習から始めるわ」


 ここでなら乗りたいということは……。

 やはり、母はずっとバイクに乗ることを我慢していたことになる。


 大人になると、あきらめなければならないこともあると理解している。

 仕事もあって、結婚もして、子供も出来れば、優先順位が変わってしまうのも当然だ。


 ――だが。


 私は、母からバイクを奪ってしまったのだろうか?


 母は私の妊娠で、バイクから離れた。

 それなのに、私はずっとバイクに乗って、母はあきらめていた。


 私は思わずハンドルを持つ手に力を入れた。


「あの……失礼だとは思うのですが……バイクに乗らないと決めた時、つらくなかったですか?」


 え?


 私は、信号で止まったタイミングで、隣に座っている綿貫君を見つめた。

 今、ここで、母にその質問ができることを、私はなぜか凄いと思った。

 きっと、私は自分では一生できない質問だと思えたからだ。


 バックミラーで、チラリと母を見ると、意外にも母は穏やかな顔で笑った。


「そうね~~。つらいか……ん~~。私はバイクと離れることを、自分で選んだのよ。瑞樹が生まれた頃は、お母さんだって、元気だったから、瑞樹を見てくれる人はいたし、家は自営業だったから、全く時間が作れないってわけじゃなかったから、バイクに乗れないわけじゃなかったの。でもね、私はバイクと離れて、その時に自分の一番したいことをしたいようにしてきたのよ? だから、つらいと思うことあったかもしれないけど、後悔はしてないわ」


 え?

 自分で選んだ?

 私を妊娠したからじゃなくて……?


「あ、工藤、信号……青になったよ」


「え……うん」


 綿貫君に言われて、私は車を走らせたが、どこかぼんやりとしていると、綿貫君が楽しそうに言った。


「さすがですね。自分でバイクと離れることを選んで、後悔してないって言い切るなんて、凄く、カッコイイです……」


 綿貫君の言葉に、母が楽しそうに笑った。


「でしょ? 私もお母さんみたいに、死ぬ時に『最高の人生だった』って、笑っていられるような、いい女になんなきゃいけないからね」


 それは、すみさんの言葉だった。


――貫いてみな。自分の好きを。折角女に生まれたんだ。このくらいでいいか、なんて妥協すんじゃないよ。死ぬ時に『最高の人生だった』って、笑っていられるような、いい女になんなよ。

 

 身体的な特徴を引き継ぐことが、『遺伝』と呼ばれるものだとうしたら……。

 精神的なことを引き継ぐことは、『継承』と呼ばれるものなのだろうか?


 だとしたら、すみれさんの言葉や生き方は、しっかりと、娘と孫に引き継がれている。

 私はなんだか、晴れやかに気持ちになったのだった。


 

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