みんなと違う生き方を、私は選んだ

藤芽りあ

第1話 自分にとっての最高の時間







 誰かが言った。


――この音ってさ、お腹の中でずっと聞いてた気がするんだよね。



 轟音、爆音、騒音の代名詞とも言われる、バイクのエンジン音が、森の中に響き渡る。

 何台ものバイクが集まるバイク音は、確かに人によっては、耐えがたいほど大きな音だとも理解している。


 それでも、ヘルメットで、顔を完全に覆うと、無機質だったエンジン音も生物の呼吸音のように聞こえてくる。それは、まるで、母親の羊水の中で聞いていた、心地良い音楽かのように。


 バイク乗りが、バイクを捨てられない理由。


 それは、もしかしたら、走りの爽快感や、風切る自由を感じるというだけじゃなく、母親のお腹の中で聞いていた音に、バイクのエンジン音に似ている気がするから、かもしれないと思うことがある。


 私にとって、エンジン音は、自分の原点に戻れる、どこか懐かしさを感じる音でもあるのだ。


 工藤くどう 瑞樹みずき、公立高校の3年。

 5歳から祖父のはじめさんの影響で、モトクロスを始めた。祖父は、趣味でずっとモトクロスをしていた。そんな祖父に連れられて、バイクに乗っている内に、私は、バイクを手放せなくなってしまった。


 今も、高校3年だというのに、模試と、モトクロスのレースを天秤にかけて、このモトクロスのレースを選んで、ここにいる。

 結果を追求せずに、純粋に、ただ山の中を走るというレースは、年々少なくなってきているので、こんなチャンスは逃せないのだ。


 周りのエンジン音が一層大きくなる。

 スタートが近い。


 バイクのエンジン音以外は、聞こえないので、信号だけを頼りに、スタートした。


 ――ああ、やっと、この子と一緒に走れる。


 普段、生活している場所では、バイクを乗れる場所は、ほとんどない。

 乗り回すこともできないし、練習もできない。

 日々できることと言えば、相棒のメンテナンスと、バイクに乗るために身体を鍛えるくらい。


 だから、今日は嬉しくて仕方がない。



――さぁ、行こうか。



 ベストなポジションを得るために、あえて、山肌の道の悪い場所を選ぶ。

 スピードを上げて、リアタイヤにぐっと、体重を移動させ、クラッチを切って、身体を浮かせる。

 この少し遅いタイミングでクラッチを切るのは、スピードを逃がさないための祖父一さん、直伝の技だ。

 山肌に、身体を傾け、一気に斜面を登り切る。

 

 斜面を登ると、一瞬だけ、遠くの山々が見えた。

 今日は、とてもいい天気で、山の緑と所々に混じる茶色に、空の青がお互いを引き立て、絵画のように見えた。ヘルメットにゴーグル。視界は良好とはいないが、限られた視界から見える一瞬の景色というのもまた、心が踊る。


 ――ああ、本当にサイコー。


 そう感じたのは、一瞬。

 そこから、飛び降りて、一気に戦先頭集団を抜き、引き離す。

 登れそうな崖があったら、チャレンジして、越えられそうな谷があったら、越えてみる。

 

 今の自分は、どれだけのことが出来て、一体、どこまで出来るのか。

 

 無謀は、バイクとの永遠の別れ。

 だが、恐怖だけでは、いつまでも同じ景色だけで、違い景色は見えない。


 どうせ、バイクに乗るのなら、これまで見たこともない景色が見たい。


 常に、挑戦と、抑制の狭間で自分を律する。

 それが、私にとってのモトクロス。


 あんなに大きく聞こえていたエンジン音は、もうあまり気にならない。

 ハンドルを握り、自分の意思を車体に伝える。

 

 どこまで、伝わるかは、日頃の努力と、これまでの経験と、その日の自分と、車体のコンディションによる。


 かなり繊細だが、それがたまらなく気持ちいい。

 いつも同じというわけにはいかない。

 今日の景色はもう二度と見れないかもしれない。

 

 そう思って、今の私に越えられるかどうか、ギリギリの谷を前に、加速する。

 気持ちと一緒に。


 そして、今まで一番大きな谷を飛び越えたのだった。




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