無敵だったお前へ
コラム
01
大きな屋敷には広い庭があり、そこには色鮮やかな花が咲き乱れる庭園が広がっている。
庭園には身なりのいい人の好さそうな夫婦がおり、テーブルでお茶を飲みながら笑みを浮かべていた。
夫婦の
さらには老執事やメイドたちが家族の
互いに微笑みながら談笑する姿から、主従関係の良さが理解できるものだった。
まるで絵に描いたような優雅な家族像がそこにはある。
目の前にいる金髪碧眼の貴族たちは、この国でも誰もが理想とするルオーバー家の者たちだ。
そして、俺はこのルオーバー家の次男として生を受け、何の不満も不安もない生活を送っていた。
厳しくも優しい父と母。
理知的でお節介な兄と姉。
人懐っこい弟と妹。
旦那様には内緒ですよと、いつも俺を甘やかしてくれる老執事とメイドたち。
以前の人生では、けして出会えなかった善良な人間たちが俺の周りにはいる。
言い回しからわかると思うが、俺には前世の記憶がある。
正確に言えば少し前に高熱を出して倒れた後、どういうわけか思い出したのだ。
前世の俺は日本生まれの日本育ちで、こんなヨーロッパっぽい暮らしとは無縁の男だった。
ましてや貴族、それもこんな家庭環境が良いところではない。
容姿も美男子といっていい姿で、通っている学校でも家柄のおかげもあって男女から人気がある。
不細工を絵に描いたような地味な見た目で、恋人はおろかまともな友人もいなかった前世とは雲泥の差だ。
そんな学生時代を過ごし、両親とも折り合いが悪かったので高校卒業後に家を出た。
当然、なんのスキルも学歴もない男が働けるところは少なく、それから何十年も就職活動しながら死ぬまで非正規労働者だった。
死の瞬間は……あまり思い出したくない。
どうしようもなく救いようもない人生だった。
ともかく、貴族ルオーバー家の次男であるネムレス·ルオーバー。
それが今の俺だ。
前世の惨めな記憶を思い出そうがなんだろうが、親ガチャで当たりを引いたのだから、新しい人生を楽しませてもらう。
「お兄ちゃん! おそいおそい!」
「早く来て! いつまでそこで突っ立ってんの?」
弟と妹に急かされて慌てて家族のもとへ走った。
家族がそんな俺のことを見ながら皆で笑っている。
テーブルに着くと、老執事とメイドがお茶を入れてくれた。
礼を言ってカップに口をつけると、父と母が学校はどうだと声をかけてくる。
兄と姉が会話に入ってきて、ネムレスの心配ならいらないと、俺が答える前に返事をしていた。
弟と妹も口を開き、心配はないけど、とてもマイペースだと、言葉を付け足した。
お前たちの言うとおりだなと、父と母は駆け寄ってきた弟と妹の頭を撫でて笑みを返す。
老執事とメイドたちも、クスクスと肩を揺らして上品に笑っていた。
冗談を言われた俺がちょっと不機嫌そうにしていると、悪い悪いと父と母が声をかけてくる。
そこまで気にしていないのだが、ただ気にかけてくれたその気持ちが嬉しい。
こんな優しい人たちがいるのかと、大したことをされていないのに、心が温かくなっていくのを感じる。
そんな俺の気持ちを肯定するかのように、傍にいた白い犬が大きく鳴いてじゃれてきた。
そんなに関わっていない、名前も知らないというのに、この白い犬は俺にずいぶんと懐いている。
以前は動物が嫌いだったが、こうやって甘えられると悪くないなと思えてくるから不思議だ。
いい加減に名前くらい覚えてやるかと思っていると、突然ルオーバー家の敷地内に一人の男が現れた。
無精髭にみすぼらしい格好。
年齢は三十代、いや四十前半くらいだろうか。
小汚いせいか年齢がわかりづらい。
浮浪者か何かが間違えて入ってきてしまったのか?
俺がそう思い、家族の皆が呆けた顔をしていると、老執事は現れた小汚い男へと歩を進める。
「ここはルオーバー家の敷地内ですが、あなた様はどなたでございますか? もし間違って入って来られたのなら出口までご案内しますが」
老執事が穏やかな声で声をかけた。
すると、小汚い男は無表情から一変した。
「うるせぇ、うるせぇんだよ……。何もないんだ、もうこっちには……何もかもないんだよぉぉぉ!」
凄まじい鬼のような形相になって声を荒げ、持っていた荷物からガラスの瓶を取り出した。
それから小汚い男はガラス瓶を投げ、次の瓶をいくつも荷物から出しては俺たち家族やメイド、老執事にぶつけてきた。
父と兄がすぐに僕や弟と妹、母やメイドたちを庇う。
割れたガラス瓶からは凄まじいアルコール臭がした。
中身は度数の高い酒だったのか。
嫌がらせにしては高価なものを使うなと思っていると、老執事は小汚い男を取り押さえようと飛びかかった。
押さえつけられた男が、ブツブツと何か独り言を口にした次の瞬間。
老執事の全身が火に包まれた。
燃え盛る老執事が悲鳴をあげながら動き回ると、その身体についた火が庭園を燃やし始める。
一体何が起こっているのか、俺にはわからなかった。
突然現れた小汚い男がガラス瓶を投げてきて、目の前を火の海に変えていったのだ。
父と母はすぐに俺たちを逃がそうとした。
小汚い男はこちらに向かって歩き出し、ブツブツと独り言を続けている。
その手には炎。
この世界には魔法がある。
才能の差こそあれ、誰でも自分の属性に合ったエレメント――火や水、風や大地を操れる。
小汚い男がブツブツと口にしていたのは詠唱だった。
炎を俺たち家族に向けて放つ。
度数の高いアルコールには火が付く。
それを全身に浴びていた父と兄は真っ先に火だるまになり、白い犬もメイドたちもアルコールを浴びていたのか、燃えながら地面に倒れてのたうち回っている。
狼狽えた母や姉、弟と妹は動けなくなってしまった。
俺も同じだ。
家族が悲鳴をあげながら燃えているのだ。
こんなときに冷静でいられるほうがどうかしている。
「オレのせいじゃない! お前らのせいだろ!? お前らみたいな連中のさ! なあ? なあなあなあぁぁぁ!」
男に直接頭を掴まれ、そのまま燃やされた母と姉。
俺はなんとか弟と妹だけは守ろうとした。
だが、顔面を蹴り飛ばされてしまい、そのまま意識を失った。
《まだ……始まったばかりだ……》
薄れていく意識の中で、聞き覚えのある女の声が聞こえていた。
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