開戦の狼煙
スルト領土内にあるルストリア駐屯基地は、各国の駐屯基地よりは比較的戦闘力の高い部隊が配置されていた。それもそのはずである、武力国家スルトの駐屯基地なのだ。
現在の軍事力においてルストリアの力は強大であった。だが、強大ではあるものの絶大ではなく、スルトの約二倍の軍備力と表現されることが多い。たかだか従属国の二倍の武力で、四つの国を統制出来るのか、疑問が出るほどの差である。しかし、この国力の差が絶妙で、総力をあげれば、最大武力を誇るスルトを圧倒でき、スルトが他国と協力関係を結べば、ルストリアとは対等になる。
仮に四つの国がルストリアを一斉に侵略してしまえば、ルストリアは敗北してしまうだろう。しかし、このバランスこそが、ルストリアの方針は武力による圧政では無い。ということの証明となり、結果として人々の自由な生活を尊重した形となっている。
また、各国も五つの原魔結晶石のバランス崩壊による国土の汚染、ひいては大陸の崩壊に関しては警戒しており、それを管理する調停国は、無欲で損な役回りだな、という印象が強い。
基地内の人員配置は歩兵二百名、魔導兵五十名、補給・伝令部隊二十名である。歩兵部隊は二十個に分け、各隊に隊長を設けている。魔導部隊に関しては、一個中隊として一名のパンテーラが統括指揮する形をとっている。これは魔導兵士、主にパンテーラ級の人員不足によるものである。これら全ての基地軍隊の指揮を、魔導軍大佐が総括している構成だ。
国内に暴動があれば基本は、歩兵小隊がその暴動を鎮圧する。というのが通例であり、大佐は原則、基地から離れることはない。
だが、今日この日に限って言うのであれば、大佐はスルト国参謀ハーマン・アン少将からの呼び出しにより不在であった。もちろん、この奇襲の成功率をより上げるための呼び出しである。
一方のボルグ兄弟率いるエスパーダは、たったの二十名という少数精鋭でこの基地を占領しようとしていた。
ボルグは基地内部に入り込み、手当たり次第にルストリア兵を殺し、バルグはボルグの援護と、外に逃げ出してきた兵士を仕留める。裏口から伝令に走る兵が居た場合は、ルドルが仕留める。実に単純な作戦であるが、彼らはそれで充分に任務が遂行できると踏んでいた。
バルグを含む弓兵部隊は七名、裏口で待ち構えるルドル遊撃部隊は七名、残りの五名は、駐屯基地の正面を囲うように、地面にルーン文字を手早く書き込んでいる。
基地屋外では分隊長を含む、歩兵百名ほどと後方に数十名の魔導兵士が既に、ボルグを包囲する陣形を取っていた。
たった一人相手に、百人以上で包囲するのは過剰な反応の様に思えるが、ルストリア兵達はこの状況を前に、自然に、そうせざるを得なかった。
地面には血溜まりで池ができるほど
大佐不在の中、代理として、魔導部隊長パンテーラのパイロンが指揮を執る。年齢は三十代後半のベテラン戦士であり、緊急時の判断能力にも長けていた。
パイロンは既にこの奇襲に対し、迎撃鎮圧部隊と、伝令部隊の二つに人員を割いた。彼はボルグの戦う様子を見て、部隊を二つに分けたことは正しい判断であったと確信する。
目の前の粗暴な戦士は、実力で言えばパンテーラ級のレベルであり、狂ったように人間を殺すその姿は、悪魔よりも悪魔に見えた。何より恐ろしいのは、いま目の前で起きている現実。
ボルグは正面から来る歩兵の斬撃を、上体を反らして
(……魔法、なのだろうか)
幾多の戦場を見てきたパイロンの目を通しても、その種がわからない。得体の知れない敵と対峙するのは、戦場では珍しい事ではない。とは言えここまでの異常に出くわすのは初めてであった。
それでも戦場を長く生き抜いてきたパイロンは、この状況を冷静に見極め、これの対処の仕方を決めた。
パイロンは手に持つ小さな杖で地面に触れ、魔法の詠唱を開始する。ボルグは殺戮に夢中になっており、これに気が付いていない。
「
九つの
九つの
スコールバルト!」
詠唱が終わると一瞬、床一面が青白く光り、基地全体が小刻みに揺れ始めた。まもなく揺れが収まったと同時に、ボルグはパイロン目掛けて猛烈に走り出した。
しかし、ボルグの駆け寄る速度よりも早く、魔法が発現。ボルグが踏み込んだはずの足は地面に沈み、ずぶずぶと、あっという間に肩まで沈んでしまった。
パイロンが唱えた魔法は、対象を拘束する魔法。傷口を瞬時に癒す相手に対して、闇雲な攻撃はリスクと判断し、捕らえた後に頭を一気に叩き潰す策に出た。
「此処は魔導部隊と歩兵隊長達が残れば良い。裏口から基地を脱出し、本国にこの状況を伝えるのだ! スルトが反逆を起こし条約を破ったと!」
パイロンがそう言うと、兵士達は胸を撫で下ろす時間もなく裏口へ向かった。正面から戦闘の音が激しく聞こえているが、裏口からの攻撃が来ない為、手薄であると判断した。何よりこの奇襲に乗じて、スルト軍本隊がルストリア領土へ進軍を進めている可能性を危惧した。何があっても確実に伝令を届ける必要を感じていたのだ。
逃げるように伝令と歩兵達が裏口に向けて駆け込んでいく眼前に、この状況を予期していたルドル部隊が悠然と立ちはだかる。
痩せた頬、腰ほどにまである傷んだ長髪に、横一直線に切り揃えられた前髪という特徴に加え、ルドルはカタナという変わった曲刀の使い手であった。ラミッツの辺境の村でしか製造されていない為、製造数も少なく、好んで使用する者は稀だ。
歩兵の一人が、カタナよりもリーチの長い槍で一突きにルドルの胴体を狙うが、刃を這わせ
続く剣による斬撃も半身で躱され、喉元を一撃で突き討たれる。まるで瞬間移動のような素早い
ルドルは誰に言っているわけでもなく、ぼそぼそと一人呟く。
「全く……罪深い人種だ。卑劣で愚劣、
正面にいるルドルを避けようと、散開して脱出を試みるものの、エスパーダ魔導兵達の魔法がそれを許さなかった。魔法攻撃に対抗策を持たない歩兵達は、次々に焼き払われていき、狭い出入り口に死体を積み上げ続けてしまう。塞がれていく退路を前に、もはや成す術は無かった。
一方正面は、さらに苛烈な戦いの様相を見せる。
後方からバルグの強弓による強烈な射撃が、ボルグを狙っているルストリア魔導兵士に詠唱の隙を与えなかった。更に低級ではあるものの、速射され続ける火球魔法の波状攻撃を受けて、息つく暇のない戦いが繰り広げられている。
パイロンはボルグの拘束を続けるために、その場から離れることが出来ずにいた。しかし、徐々に減る兵士達を横目にし、このままコイツを圧殺するしかないと、魔力を更に集中させた。
埋まった身体は地中で徐々に締め付けられ、グチグチと肉を圧し潰していく。身動きの取れないボルグはそんなパイロンを見て、不敵に笑う。
「そんなにイライラすんなよ、残り少ない人生なんだからよぉ」
パイロンは険しい表情でボルグに問う。
「……貴様、いったい何が目的だ!」
基地正面の外周が僅かに光った気がしたが、パイロンは決して目を逸らさない。ボルグはガラガラガラと、乾いた笑い声でパイロンを嘲笑し、吐き捨てる。
「お前、最後のセリフ、だっせぇーなあ」
その瞬間、辺り一面が眩しく光り、巨大な火柱と轟音に包まれた。
それは全てを焼き尽くしながら舞い上がり、星空に届くほどまでに昇った。地面には周囲を囲って描かれた魔法陣が、激しく発光している。数分間の燃焼の後、空からルストリア駐屯基地だった物がパラパラと降ってきた。
魔法陣の光がゆっくりと、静かに消えていく。バルグは夜空を見上げながら一言。
「これが大王の怒りだ」
そう呟いた。
やがて、駐屯基地があった場所の瓦礫の山が崩れ、一人の男が立ち上がる。あの業火に巻き込まれたはずであるが、体に目立った外傷は一つもない。
「俺ごと焼くのは聞いてねぇなぁ、でもまあいい判断だ」
バルグはニコリと笑い「ボルグが遅いからさ」とボルグの肩に縋った。
任務を完遂したボルグ兄弟率いるエスパーダは速やかにその場を離れた。ボルグ兄弟は西に向かい、後続のスルト軍と合流してラミッツを目指す。ルドル部隊は南下し、国境近くへ向かいミクマリノ軍の到着を待つ。
壊滅したルストリア駐屯基地は、正面入り口があったとされる場所には石ころ一つ転がっておらず、塀も丸ごと更地になっている。裏口付近の塀は残っており、積み上げられた大量の死体からは得も言われぬ鮮血の臭いが立ち込めている。
そんな死体の山の隙間から、血塗れの男が一人、ズルリと滑り出た。
ルストリア軍歩兵であるこのロゼッタという男は運の無い男で、何かにつけて不幸に見舞われるが、その度に生還するマッチポンプのような男だった。
此度の襲撃の際も、ルドルに立ち向かった兵士が、勢いよく槍を振り回し、その
ロゼッタは周囲を見渡しながら、生存者が居ないか小さな声で呼びかけ続ける。しかし、パチパチと何かが燃える音がするだけの不毛な大地から、人の声が返って来ることはなかった。
この夜、後に歴史に深く刻まれる『第一次大陸大戦』の
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