第二話 敵に従い、支配する

 大陸の東。

 端に立つとかすかに見える位置にある小さな島。

 そこにひとつの小さな国がある。

 小さいながらにその美酒と美食、無数とも言える多彩な演芸とで大陸中に知られている。そして、それらの文化が生み出す膨大な富においても……。

 にもかかわらず――。

 その国には一切の軍隊がなく、ひとりの兵もいないという。

 その国の名はカブキバサラン。

 道化師王国カブキバサラン。

 今日もまた、その国の富を狙って侵略者の一団が海を渡って近づきつつあった。

 「勇猛なる兵士諸君! いまこそ諸君の日頃の訓練の成果を見せるときだ! 標的たるカブキバサランには大陸でも随一と呼ばれる美酒と美食があり、演芸がある。そして、それらが大陸中から吸いあげたありあまる冨がある! いまこそ、そのすべてを手に入れるのだ!」

 「おおっ!」

 と、指揮官の檄に兵士たちが応える。

 「噂ではカブキバサランには一切の軍備がないという。兵士のひとりさえいないとも。もちろん、そんなことはあり得ない。軍をもたない国などあるはずがない。まして、カブキバサランはいまや、大陸随一とも噂される冨をもつ国。その冨を守るための精強な軍隊が存在しないわけがない! しかし、怖れるな。諸君はこの日のために地獄の訓練に耐えてきたのだ。いまこそ、その苦労が報われるとき。カブキバサランを劫掠ごうりゃくし、その冨のすべてを奪い尽くせ!」

 その指揮官の言葉に――。

 兵士たちは一斉にときの声をあげて応える。

 そして、兵士たちを乗せた船団はカブキバサランの港へと突入した。

 相手の攻撃を真っ向から受けとめ、上陸の足場を築くべく、大盾を構えた重装備の歩兵隊がばらばらと船から飛び出し、ガシッ! と、音を立てて盾を地面に叩きつけ、徹底防御の陣を取る。その後ろには長槍を構えた突撃隊。さらに、その後ろには弓兵。三段構えの完璧な陣。その上、船にはまだ遊撃隊として軽装備の精鋭歩兵が残っている。

 ――地獄の訓練に耐えてきた。

 指揮官のその言葉が完全な事実であることを示す完璧な連携であり、完璧な布陣。この布陣を崩せるものなどいるはずがなく、どんなに精強な軍がいようともその攻撃を受けとめ、跳ね返し、逆に粉々に打ち砕き、劫掠の足場を築く。それはまちがいない。そして、兵士たち自身、そのことをよく知っていた。だが――。

 視線に飛び込んだはずの兵士たちを出迎えたもの。

 それは、精鋭なる敵兵たち……ではなかった。そこに剣や槍のきらめきはなく、弓弦ゆんづるの響きもなく、鎧同士の擦れ合う音すらもない。あったものは笛のに太鼓のおと、陽気な歌声、視界一面を覆い尽くす華々しい紙吹雪。

 まさかの展開に戸惑う兵士たちの前に居並ぶものは様々な芸を披露する曲芸師たちであり、かの人たちを率いて先頭に立つひとりの道化師だった。

 「よくぞおいでになられました、侵略者どの。いえ、新しき支配者さま」

 先頭に立つ道化師が両腕を広げて歓迎の意を表した。その後ろでは無数とも言える曲芸師たちがあるいはお手玉を披露し、あるいはただ一本の竹馬に乗って曲芸を演じ、あるいは陽気に歌い、舞い踊っている。

 「な、なんだ、これは。何が起こっている?」

 まるで観光地に遊びに来たかのような歓待振りに、指揮官は呆気にとられた。事態が理解出来ず、兵士たちに指揮するのも忘れて戸惑いの声をあげるばかりだ。

 先頭に立つ、一際派手な化粧をした道化師がニコニコと軽薄なほどの笑いを浮かべてやってくる。

 「さあさ、どうぞこちらへ。王宮へとご案内いたしましょう」

 「な、なんだ、何を言っている? 我々はこの国を侵略しに来たのだぞ?」

 「存じております」

 道化師はニコニコしながらそう答えた。

 「だからこそ、こうしてお出迎えしているのです。我らはあなた方を新たな支配者として歓迎いたします。昨日までの王族にはすでに酒をたらふく飲ませて正体を失わせております。どうかこのまま王宮に乗り込み、ご自身の手で殺し尽くし、玉座を我が物となさいませ」

 「な、なんだと……?」

 曲芸師の一団の後ろから薄物をまとっただけの美女の一団が現れ、兵士たち一人ひとりの手を取って案内をはじめる。指揮官にはとくに見目麗しいふたりの美姫が左右につき、両腕をとって連れて行く。

 ――これは罠だ。こんな都合のいいことがあるはずはない。

 そうは思うもののあまりにも予想外の展開に理性が追いついていけない。まして、左右からふくよかな胸のふくらみを押しつけられているとあっては男としての本能の方が先に立つ。

 そのまま、抵抗もできずにズルズルと連れて行かれる。指揮官の懸念けねんとは裏腹に侵略者の一団は本当に王宮へと案内された。そのまま玉座の間へと連れて行かれる。

 そして、そこにはたしかにいた。

 豪奢ごうしゃな衣服を身にまとい、すっかり酔いつぶれてだらしなく寝入っている何十人という人間たちが。なかには王冠をかぶったままのものもいた。

 「こ、これはいったい……」

 指揮官はうなった。

 かのでなくてもそうするしかなかっただろう。

 いったい、どこの世界に侵略者を歓迎し、王族を差し出す国があると言うのか。

 しかし、道化師は言った。

 「さあさ、このだらしない人間たちこそが昨日までの我が国の王族。どうそ、あなた方のその剣で斬り殺し、玉座をご自分のものとなさいませ」

 道化師の声の質とささやく口調とがそうさせたのだろうか。

 兵士たちはまるで催眠術にでもかけられたかのように、酔いつぶれて寝入っている『王族』たちを殺して回った。

 「お見事です!」

 道化師がいかにもそれらしい大仰おおぎょうな身振り手振りで叫んだ。

 「これであなた方が我が国の王! さあさ、今日は新たな王が誕生しためでたき日。宴と参りましょうぞ」

 血に濡れた惨劇のあとはあっという間に片付けられ、たちまち宴が開かれた。

 道化師自らが抱腹絶倒の漫談を語り、めずらしい曲芸が次々と披露された。そして、兵士たちを囲むのは見たこともないような美酒と美食、そして、極上の美女ばかり。

 最初こそ『毒でも入っているのでは……?』と疑っていた兵士たちも食欲を誘う芳香と香しい美女たちの誘いには逆らえず、ご馳走の数々を口に運びはじめた。

 「うまい!」

 誰もがそう叫んでいた。

 厳しい訓練生活、食べるものと言えば強くなるための栄養最優先で味は二の次という代物ばかり。そんな生活をしてきた兵士たちにとって並べられたご馳走はまさに天上の美味だった。

 あまりの歓待振りにいつかすっかり気も緩み、兵士たちは曲芸師たちに混じって歌ったり、踊ったりしはじめた。あるいは美女たちにたわむれかかり、宴を思う存分、楽しみはじめた。

 止めるものはいなかった。

 本来なら止めるべき立場にいる指揮官自身が誰よりも激しく興に乗っていたのだから。

 その光景を確かめ、道化師はひとり、その場をはなれた。

 廊下に出た道化師のもとにひとり、またひとりと人が集まってくる。

 道化師はすでに、悲しくも愉快なる道化の仮面を脱ぎすてていた。顔全体にほどこされた化粧それ自体はかわらない。しかし、その眼差まなざし、風貌ふうぼうはすでに、厳しくも使命感にあふれた『王』のものとなっていた。

 「美酒と美食を途切れさせるな。徹底的に良い気分にさせてやれ。ここをはなれてはもう二度とこんな良い思いは出来ない。そのことを思い知らせろ。そして、本国には都合のいい、偽の情報だけを伝えさせるのだ」

 「わかっております。『敵に従い、支配する』。それが、我が国の国是こくぜなれば」

 「その通りだ。やつらの願いはすべて叶えてやれ。そのための資金はやつらの国から吸いあげればいいのだからな。たらふく食わせて太らせろ。我が国も裕福になってすっかり肥満人口が増えてしまった。肥満治療の良い実験台となる」

 「御意ぎょい

 我が君、と、集まったものたちは道化師を呼んだ。

 道化師の名をソウウン。

 道化師王国カブキバサラン八代目の真なる国王。

 ――国の役割は戦争に勝利することではない。王たるものの務めは戦の指揮を執ることではない。すべては国の暮らしを守る、そのためならば。

 そのためならば道化師となって敵の前に立ちもする。

 それこそが、道化師王国国王の誇り。


 道化師王国カブキバサラン。

 その歴史はひとりの若者にはじまる。

 そのとき、離れ小島にあるこの小国は大陸のある強国に狙われていた。国王は徹底抗戦を掲げ、国民も最後のひとりまで戦う気になっていた。そのなかにあってただひとり、その名もない若者だけが異を唱えた。

 「国のために戦え? いやだね。そんなことやってられるか」

 「なんだと⁉ お前は我が国がどうなってもいいと言うのか⁉」

 「かまわないね」

 若者は血相をかえて詰め寄る同胞たちに対してそう答えた。

 「おれにとって大切なのはおれ自身の暮らしだけだ。『国のため』なんぞと言って死んでたまるか」

 「戦わなければ支配されるのだぞ! それでもいいのか⁉」

 「かまわないね。おれの暮らしが守られるなら国の名前がどうなろうが、誰が支配者になろうが、知ったことじゃない」

 「何を甘いことを言っている! やつらに支配されれば、おれたちは何の権利も自由ももたない奴隷にされるんだぞ!」

 「金で解決するさ」

 「なんだと⁉」

 「金で飼えない人間はいない。快楽で操れない人間はいない。やってきた連中を買収し、酒池肉林という名の檻に閉じ込め、現実世界から隔離する。夢の園に閉じ込めておいて偽の情報を送らせる。そうすれば本国はすべてがうまく行っていると思い込んで手出しはしない。その間におれたちはおれたちの好きなように暮らせばいい」

 「そんな金をどこから手に入れる⁉」

 「連中自身を相手に商売して取り返す。忘れるなよ。金だけあったって意味はない。その金を使って無数の贅沢や娯楽を得るから意味があるんだ。その贅沢品や娯楽を提供してやれば買収に使った金は回収出来る。問題はない」

 「おれたちを侵略しに来た連中にそんな良い思いをさせろって言うのか⁉」

 「役には立つさ。美酒美食に慣れ、様々な娯楽に埋め尽くされた連中をさらに満足させるのは至難しなんわざ。そいつらを満足させるために研鑽けんさんを積めば、おれたちの作る食事や娯楽の質は跳ねあがる。その文化をもってすれば、いくらでも稼げる。そして……」

 「そして?」

 「王さま気取りの侵略者どもは医療用の実験体として扱う。『若さと健康を保つため』と称すれば何だってやりたい放題だ。医療技術は跳ねあがり、おれたち自身がその恩恵を受けられる。だったら、飼ってやってもいいだろう」

 かくして――。

 若者の主張は受け入れられた。

 小国の人々は剣を捨て、道化師の仮面をかぶり、美酒と美食とで侵略者たちを出迎えた。

 最初はさすがに警戒していた侵略者たちも想像を絶する歓待振りについに警戒心を失い、骨抜きとなった。この生活を守るために本国には都合のいい嘘の報告だけを送った。報告だけではなく実際に膨大な富も送られてきたのだから本国としても文句を言う理由はなかった。それ以上、手を出すこともなく満足していた。

 本国の支配者たちは小国の富を吸いあげ、豊かになった気でいた。その冨が実は、小国が送り込んだ隊商に対して自国の民が支払った膨大な冨のほんの一部に過ぎないことにはまるで気が付かなかった。

 美酒美食に慣れた口を満足させるために。

 娯楽に飽いた心をさらに喜ばせるために。

 研鑽に次ぐ研鑽が重ねられ、その小国の生み出す美酒と美食、数々の演芸は大陸随一と呼ばれるまでに洗練されたものとなった。そして、思うさまに人体実験を繰り返すことによって魔術の域にまで高められた医療技術。

 それらを掲げた隊商が大陸各地に送り出され、膨大な富を吸いあげた。

 その噂を聞きつけて新たな侵略者がやってくればそれまでの侵略者を酔いつぶれさせ、新たな侵略者に殺させた。そして、新たな王として祭りあげた。

 国民自身が侵略者を受け入れ、王族を犠牲の羊として差し出すのだから戦闘など起こりようがない。国民にしてみれば王族などしょせん、自分たちの利益のために『飼ってやっている』よそ者に過ぎない。そんな連中、いくら殺されても心が痛むことはない。

 何しろ、かの人たちには道化の仮面をかぶった『真の王』がいるのだから。

 そこには、侵略者たちの国の民との連携もあった。

 どんな国にも戦に反対する人間はいる。表だって声をあげることはできなくても、戦争に反対する人間たちは必ずいる。小国の情報機関はそんな人間たちを見つけ出し、語らい、共に謀議ぼうぎはかった。

 ――あなた方は我々の隊商相手に金を支払う。我々はその金を使って支配者たちを買収し、戦を起こせなくする。あなた方は戦に対して反対の声をあげる必要などない。自分の身を危険にさらす必要などない。ただ、我々相手に消費しさえすればいい。それだけで安全なうちに戦争を潰すことが出来るのだ……。

 そうして、各国の民との連携のもと、支配者たちを飼い慣らす仕組みが出来上がった。

 道化師王国カブキバサランが誕生したのだ。

 たったひとりの若者、

 『国のために死ぬ』ことを拒否した『裏切り者』、

 その若者の『ワガママ』からはじまった道化師王国。

 やがて来る対鬼部戦役たいおにべせんえきの時代。

 カブキバサランの洗練された美酒と美食、そして、数々の演芸は戦乱に疲れた人々の癒やしとなり、活力を与えつづけた。その医療技術は傷ついた無数の人々の生命を救った。そして、何よりも――。

 その国としての在り方は人と鬼の果てしない戦いに『真の終焉』を与えるひとつのヒントとなった。

                   完

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