第27話 一条の過去⑤

 そして、あっという間に月日は流れた。

 新年を迎え、短い冬休みが明ける。

 朝、登校したクラスメイト達が楽しく談笑していると、一人の女子生徒が教室の扉を開けて姿を現した。

 途端、その場の空気が変わった。

 全員が話をやめて、彼女に注目し、目を離せないでいる。

 そんなクラスメイト達を前に彼女は一瞬だけ逡巡して、すぐに教室の中へ入り、自分の席へと向かった。


「お、おい……あれって……」


 ざわざわ、と教室が騒がしくなる。

 口から出てくる言葉は陰口ではなく、戸惑い。

 あの女子生徒が誰なのか……本当はわかっているのに、認められない。

 だがそんな戸惑いもすぐに消えた。

 女子生徒は……一条は自分の席にカバンを置くと、前に座る緋川へ挨拶をする。


「おはよ、緋川」

「ン、おはよう」


 ——別人。

 そう言われても過言でないほど、一条は変わった。

 無駄な脂肪は完全に消え失せて、代わりにしなやかな筋肉が付いている。野暮ったい眼鏡はコンタクトに。ボサボサだった髪は綺麗な艶のある黒髪に。猫背だった背筋はシャンと伸びて堂々としている。


「あの化け方は反則だろ……」

「やっぱ普通に可愛いよな……?」

「決めた。俺、一条派閥を作る……! 井上、お前もどうだ?」

「ふっ……愚問だな……俺たちで緋川派にも負けない一大派閥を作るぞ!」


 色めき立った呟きが教室中に広がる。

 その中には、一条をいじめていた赤間の取り巻きのものもあった。

 自分の悪口を言っていた相手が、そんなことも忘れて、指咥えながら色目を使って、軽蔑する所まで落ちている。

 嫌悪感と、戸惑いと、少しの優越感が一条の心を満たしていく。

 そしてこの日から、一条へのいじめは嘘のようにピタリと止んだ。




 ◆◇◆◇




「いやー、愉快痛快だわー!」


 所変わって、屋上の秘密基地にて。

 制服の上から防寒着を着込んだ佐々木がケラケラと笑う。


「すんげー嬉しそうだな、佐々木」


 田中が言いつつニヤニヤ笑う。


「そりゃそうだろ? 赤間達だけじゃねぇ……クラスメイトのほぼ全員が手の平くるっくるしてんだからさ」

「まぁ気持ちは分かる。でもさー」

「分かってるって。所詮、誰が可愛くしたのかも分かんねぇお馬鹿さん達が言ってることだ」

「うおっ!? 辛辣ぅ!」

「赤間達を封じ込めるのにも苦労したからな。こんぐらいの愚痴ぐらい許してくれ」

「佐々木もすげぇ頑張ったもんなー。ランニングとかジム行くのもほぼ毎回付き合ったんだろ?」

「協力者だからな」

「それだけかー?」


 田中が意味深な笑みを佐々木へ向ける。


「何が言いたいんだ?」


 怪訝な顔をする佐々木。


「付き合ったのは、監視の目的もあったんじゃねーのかなって」


 このたまに見せる田中の鋭さはなんなのか。

 モチベーションの低下から、一条が手を抜く可能性はある。もちろん休息は必要だ。佐々木としても上手にサボるなら文句はない。

 だが——途中で投げ出すのは許容できない。


「まぁその側面もあったのは否定しねぇけど……すぐに必要ねぇなってわかった」


 モチベが下がる?

 むしろ、一条はいつも楽しそうだった。


「思った以上に一条の意識が高くてさ、なんて言うかな……んじゃなくて、んだよな、あいつ」


 でなければ、こんなに効果は出てこない。


「佐々木のことが好きなんだろ。もちろん恋愛的な意味で」

「いや、なんでそうなる」

 

 平然と投げかけられた田中の爆弾発言に、佐々木がすぐさまツッコミを入れる。


「逆になんでそう思えないんだよ。少なからず好きって感情がなきゃ、わざわざ佐々木と一緒にダイエットなんてしねーだろ?」


 確かにその通りだ。 

 知識とやり方を教えて、あとはその都度指導すれば、一条は一人でもダイエットできたはず。佐々木もそれで協力者としての面子は立つ。

 そう考えると、自分と一条は随分と不思議な関係性を築いていたのだと、佐々木は今になって気付いた。

 

「だとしても脳内お花畑すぎだ」

「じゃあ付き合わねーの? あんなに仲良さげなのに」

「仲が良いのと、そういうのは全くの別物な」

「そうなの?」

「ああ。典型的な勘違い男の例だ。気をつけた方がいい」

「うっ……分かった……」


 田中は恋愛の経験値では佐々木に遠く及ばない。

 だから助言は素直に聞き入れる。


「それに、俺の好きな人は莉央さんだからな」

「あー、家庭教師の人だっけ? なぁ、どうして佐々木は——」


 田中がそこまで言いかけた瞬間。

 屋上の扉を開ける音がそれを遮った。反射的に佐々木と田中が同時にそちらへ視線を向ければ。


「あ、やっぱりここにいたんだ」


 風でなびく髪を片手で押さえた一条が、塔屋の上にいる二人を見上げていた。


「あ、お邪魔っぽいね。ごゆっくり」


 色々と察した田中が塔屋から飛び降りる。


「ごめんね田中」

「いーよいーよ。俺が無粋なことはしたくないってだけだから」


 田中はそう言って、そのまま屋上から姿を消した。

 早く適切な判断と丁寧な気遣いは田中の美徳だ。


くん」


 正確には覚えていないが、いつからか、一条は佐々木を名前で呼び始めた。最初は違和感があったが、佐々木もわざわざそれを指摘したりはしない。

 そして、一条がここにきた理由を、佐々木はもう察している。


「塔屋……挑戦してみるか?」

「うん。やってみたい」


 真っ直ぐ……一条は佐々木の目を見つめた。

 決意のこもった力強い目だ。

 

(最初は目を見て話すとこから始めたのに……ほんとに変わったな……)


 もう、あの頃の一条はいない。

 佐々木はそう確信すると、塔屋から飛び降りて一条の隣に立った。


「上がる手助けはしねぇが、危なくなったら支えてやる」

「うん、ありがとう。頑張るね!」

「おう!」


 充分な助走距離を確保して、一条は深呼吸をした。

 思い返すのは、佐々木と一緒に過ごしてきた日々。

 ずっと憧れだった。苦しい時はいつだって助けてくれたから。知らないことをたくさん教えてくれたから。

 きっと玲くんは、一人でどこまでも行ける。そう思った。

 でも——


「玲くん、体調でも悪いの?」

「え……? 別に普通だぞ……?」

「ならいいんだけど……でもいつもより元気ないよね?」

「あぁ……分かる……? 実はさ、莉央さん——俺の家庭教師の人なんだけど、その人が今日来れなくなったらしくてさ……」

「…………」

「? どうした?」

「なんか意外だなって思って……玲くんもそんな風に落ち込んだりするんだね……」

「俺をロボットかなんかと勘違いしてね? 俺だって普通に落ち込んだりするよ」


 一条は知った。佐々木だって苦しんだり、悩んだりすることを。完全無欠の完璧超人なんかじゃない。佐々木も自分と同じなんだと。

 そう理解した時……君の隣を歩きたいって思った。

 だからこれからは全部見せて? 落ち込んでいるところも、情けないところだって……全部、全部。

 そうやってお互いを知って、支え合っていきたい。

 ちゃんと胸を張って、隣に立って、玲くんの友達ですって言うために。


 ——好きですって言うために……


 助けられているだけじゃダメ……そう思った頃には、もうとっくに目標がすり替わっていた。

 玲くんが聞いたら怒るかな?

 だが一度自覚してしまえば、その恋心を止める術などない。

 なら……もう構うものか。むしろ誰にも文句なんて言わせない。自分を縛り付けていたものは、文字通り消え去ったのだから。


「行くよ!」


 そして、暗い過去を脱ぎ捨てるかの如く。

 一条は秘密基地に向けて、真っ直ぐ駆け出した。

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