第23話 一条の過去①

 事件が起きたのは……高校三年生の夏休み明け。

 大学受験に向けて、クラス中が本格的に動き始めた頃だった。


「おーい、佐々木!」


 とある放課後。

 佐々木は廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。

 振り返ると、クラスメイトの男子数人が駆け寄ってきていた。


赤間あかま? なんだよ」

「いやぁ、噂で聞いたんだけどよ……これから告白されるってマジ?」

「噂でって……呼び出しはされたけど……」


 どこから聞きつけたのか知らないが、佐々木は一つだけ赤間に声を掛けられた理由に心当たりがあったようで、合点がいったような表情を浮かべた。


「あぁ……もしかして、告白を断ってほしいとか?」


 これまでそういう頼みを何度かされたことがあった。

 俺、その子のことが好きなんだ。だからもし告白されたら、断ってほしい……と。てっきり赤間もその類かと思ったのだが。


「いや、そういうわけじゃないんだ。一つ詫びを入れとこうって思ってさ」

「詫び?」

「そう。これやるよ」


 赤間は手に持っていた未開封のジュースを佐々木に差し出した。


「佐々木、それ好きだろ?」

「おう……まぁ」

「じゃあ、また明日な!」


 戸惑いながら差し出されたジュースを受け取ると、赤間は仲間を引き連れて帰っていった。


(なんだったんだ……?)


 疑問に感じながらも、佐々木は先を急ぐことを決めた。

 上履きから靴に履き替え、呼び出しされた第二体育館裏へ向かう。

 いつもこの時間は部活でバレー部が第二体育館を利用しているのが、今日はどうやら休みのようだ。

 壁に寄りかかって待つこと数分。

 校舎側の影から、一人の女子生徒が姿を現した。


「一条……?」

「えっと……待たせてごめんね……」


 一条はおずおずと歩を進め、佐々木の目の前で立ち止まる。

 一条とは三年生で同じクラスになったが、それ以前は見かけたことがあるかな、ぐらいの印象で、言葉を交わした覚えもない。

 だが、この特有の緊張感は分かる。

 俺はきっと、これから——


「す……好きです……私と付き合ってください……」


 沈み込んだ暗い声で言われたこのを聞いて、佐々木は瞬時に察した。

 一条は俺のことが好きではない……と。

 では、なぜこんなことを彼女はしているのか。

 それを直接ここで問うことは簡単だが、それは今ではない気がした。


「ごめん。一条と付き合うことはできない」

「……だよね」


 起伏のない声だった。

 自分の告白だと言うのにショックを受けるどころか、はなから関心がないようだ。


「じゃあ……私はこれで——」

「よかったらさ、友達から始めない?」


 去ろうとした一条を佐々木が止める。


「と、友達……?」

「そう! ほら、スマホ出して。とりあえず連絡先でも交換しよ!」


 戸惑う一条を他所に、半ば無理やり連絡先を入手した佐々木。

 トークアプリに、一条の名前が追加されたのを確認して。


「じゃあ、また明日な!」

「あ……うん……」


 笑顔で手を振って去っていく佐々木を見て、一条はそう返すのが精一杯だった。

 私は女としての魅力なんて欠片もない、平凡以下の人間。

 佐々木とは同じクラスにいても、自分とは住んでいる世界が違う。告白なんてされてもただ迷惑なだけで、嬉しくもないはず。なのにどうして、あんな風に笑っていられるんだろう。

 ただ表情に出ていないだけ? それとも演技だった?

 と、一条が一人で悶々としている——その時だ。


「——おい」

「っ!?」


 ビクッと一条の肩が跳ね上がる。

 見れば、赤間を先頭にして、数人の生徒が新たにこの場に現れた。

 その面々を前に、一条は瞬く間に怯え、震え始める。


「結果どうだった? 憧れの佐々木くんとは付き合えた?」


 ニヤニヤ笑いながら赤間が言う。


「おいおい、かわいそうじゃん、赤間。わざわざ聞かなくたって分かることだろ?」

「えー? もしかしたらってこともあんじゃん。こいつの口から直接聞いてやろうぜ?」

「たしかに! 一理あるわ!」

「で、どうだったの?」


 唇を固く噛んで俯く一条。

 対照的に、赤間は取り巻きの男子と一緒にニンマリと笑い、あざけるような視線を一条に向けている。

 しばらくの無言の後……やがて絞り出すように、一条は言った。

 

「…………だめ……だった」

 

 震えていて、か細くて、どこか助けを求めるような声。


「ぷっ……!」

「あはははっ! そりゃそうだ!」

「ってか、何ショック受けてんの? お前じゃ佐々木は無理だって! 鏡見てこいって、俺だったら隣も歩きたくねーよ!」


 赤間と取り巻きの男子達の下品な笑い声が、一斉に体育館裏に響き渡った。

 一条は唇を強く噛んで、必死に泣きそうなのを堪えている。

 隣も歩きたくない? そんなの……自分がよく分かっている。

 根暗で、太ってて、女としての魅力がない。


「——ッ!」


 堪らなくなって、一条はその場から駆け出した。

 それはせめてものプライドだ。

 こんな奴らの前で、涙なんて絶対に見せない。見せたくない。




 そう。結論から言えば、一条はいじめにあっていたのだ。

 決定的な理由なんて分からない。

 ただ、あえて理由を挙げるなら……夏休み明けのこの時期だからだろう。

 クラス内のヒエラルキーが確立され、本来ないはずの上下関係の中で、偶々いじめの対象になったのが一条だった。

 加えて、大学受験が始まる時期。そのストレスの捌け口。

 根暗で逆らってこない一条は、赤間達にとって最高の獲物だった。


(絶対負けてなんてやらない……)


 それでも学校に通い続けるのは、一種のプライドだった。

 それが解決にならないなんて分かってる。

 でもできる抵抗はこれだけ。

 世の中では、いじめる人も悪いが、いじめられる人も悪いんだそうだ。

 学校はいじめが明るみになると不都合があるんだそうだ。

 だから助けてくれる人なんていない。

 

(でも少し……少しだけ……疲れちゃったかも……)



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