第18話 高校来の恋敵

「あれ? 青山さん?」


 集合場所である駅内のステンドグラスに着くと、すでに見知った顔がいた。

 ポニーテールでまとめた赤茶げた髪に、黒の丸メガネとマスク。おとなしめで知的なイメージを受けるその人は、緋川が合コンで変装した「青山さん」だった。


「こっちの方が都合がいいかなって思って。言っとくけど、普段はもっとオシャレしてるから」

「さすがにそこは誤解してねぇよ」


 大学で普段着ている服を見ても、緋川のファッションセンスが卓越しているのは否が応でも分かる。きっと普段から自分磨きをするのに余念がないのであろう。


「バイトに向けての買い物だろ? 最初はどこ行く? やっぱ水着か?」

「もしかして期待してた? でも残念。水着はもう詩織と買っちゃったの」

「じゃあバイト当日までおあずけか」

「ふふっ、期待してて?」


 ひどく蠱惑的な笑みを浮かべる若月。

 ドキッ、と一瞬だけ胸が高鳴って……それを誤魔化すように佐々木は視線を駅ビル内にある店に逃がす。


「じゃ、じゃあどこに行くんだ?」

「こっち。着いてきて」


 緋川は踊るように佐々木の前に出ると、先導するように歩いていった。

 上機嫌なのは言うまでもない。その理由も。

 今回の買い出しという体裁を被ったデートを提案したのは緋川だ。佐々木は荷物持ちという名目で誘われたのだが、それは誘う段階で最も不自然のないような形を考えた結果だろう。

 やって来たのは、若者向けの服屋だった。

 しばらく店内を散策すると、緋川は気に入ったいくつかの服を手に試着室に入っていった。


「試着するから、意見お願い」

「おけ、ここで待ってる」


 カーテンの向こう側に消えていく緋川。

 取り残された佐々木はというと、周囲の女性客からの生ぬるい視線を感じ取り、試着室の前に備え付けられている椅子に座ってスマホをいじった。

 女性用下着店ほどではないにしろ、男子にとってレディース専門の服屋は居心地が悪い。一人で所在なさげに座ってるこの状況なら尚更だ。

 やがて衣擦れ音が止み、カーテンが開けられる。


「どう?」


 緋川が着ているのは、夏らしい純白のノースリーブワンピース。

 シンプルなデザインだが、それが緋川の赤茶の髪を映えさせ、美貌とスタイルの良さが強調されてる。おまけに眼鏡を外し、髪をおろして変装を解いているため、清楚さがより際立っている。

 そんな櫻大の女神に、たまたまいた女性客達も感嘆の声を漏らした。


「おお、すげぇ似合ってる。これは見惚れちまうわ」

「佐々木はこういうのが好き?」

「別に似合ってればいいと思うけど、デートの時とかにスカートとかワンピース着てきてくれるのは男としては嬉しいかな」

「そっか、ありがと……じゃあ次ね」


 緋川は考えるような仕草を見せて、またカーテンの中に消える。

 その瞬間、佐々木は壁に背をついて、心の中で盛大に溜め息をついた。


(褒めるのってあれでよかったけ! 大丈夫か? NG発言とかしてないよな!?)


 感情を込めて、ストレートに褒めるのが一番無難だとは聞くが。

 つい「寒そう、大丈夫?」と、会った瞬間に口に出す男性は意外といる。女性を気遣うための善意で言ってる男性も多いだが、これは女性目線で言うと気遣いではなく“余計な心配”でしかない。

 何よりも素直に褒める。これが鉄則だ。


「これはどう?」


 再び開かれるカーテン。

 そこにはまた雰囲気が変わった緋川の姿があった。

 黒シャツにスラブデニムのバギーパンツ。先程のワンピースから一転、まさしく大人の女性といった雰囲気だ。


「そういうのもいいな。緋川はスタイルがいいし、パンツスタイルもよく似合っていると思う」

「嫌いじゃない?」

「嫌いじゃない。よく似合ってるよ」

「そっか……よかった」

 

 佐々木に褒められて、緋川は嬉しそうに微笑んだ。

 さすがに緋川の意図を察せないほど佐々木も鈍感じゃない。

 きっと先程言った「ワンピースやスカートを着てきてくれるなら嬉しい」発言を気にしていたのだろう。


(ワンピースよりかは、こういうスタイルの方が好きなんだろうな)


 緋川はわざとパンツスタイルを選び、佐々木の反応を伺っていたのだ。

 浮かべた笑顔は嬉しさ半分、安心半分……といった感じか。

 その後も緋川主催のファッションショーを続いた。今回の緋川は水着のときとは違い、純粋に楽しんでいる様子だ。

 そして緋川がカーテンから姿を見せるたび、佐々木は緋川を褒めちぎった。

 三度目、四度目はよかったが、回数を重ねるごとにだんだんと言葉が似通ってきてしまい、自分が「ボキャ貧なのではないか」という錯覚に陥る。

 結果、緋川は試着した内の二着を購入。

 全ての買い物を終えた頃には、すでに夕暮れになっていた。


(女子の買い物……怖い……)


 それが佐々木の今日の感想だった。

 

 


◇◆◇◆




 ——バイト当日。

 まだ日が登ったばかりで、人の往来が少ない時間帯。

 片手でキャリーバックを引きながら、佐々木は集合場所である櫻大の最寄り駅に向かって歩く。今日は電車とバスを乗り継ぎ、正午頃に目的地の着く予定になっている。

 待ち合わせ場所が見えると、見知った顔が一人いた。


「おはよー、玲」

「おはよ、祥平。お前来んの早ぇな」

「お前もじゃねーか。なんだかんだで楽しみにしてたんだろー?」


 バイトとはいえ、久しぶりの海だ。佐々木も楽しみに思っているが……


「お前が楽しみなのはナンパだろ?」

「おっ! 分かってんじゃねーか佐々木! お前も一緒にどうだ?」

「いやだ」


 トラウマ関係なく、佐々木は断固拒否した。

 自分はそういうことが得意なタイプの人間じゃない。

 それに——

 佐々木は合コンで再会した瞬間の緋川を思い出して……真夏だというのにブルッ、と身震いした。

 またあの修羅の如く形相で睨まれるのは御免だ。


「二人とも、おはよう」


 そこに軽く手を挙げて挨拶した緋川が現れた。


「おう、おは——」


 振り返って挨拶を返そうとして……佐々木は思わず息を呑んだ。

 それほどまでに、今日の緋川は浮世離れしていた。

 顔を隠す黒マスクはそのまま、普段からお洒落な私服は数段気合いが入っていて、サラサラの赤茶髪も綺麗に巻かれている。なぜ顔の大半が隠れているのに、ここまで神秘的な雰囲気を纏えるのか。

 

「佐々木……? どうかした?」


 緋川が心配そうに顔を覗き込んだ。


「あ、いや……大丈夫」

「ほんとに? 熱中症とかじゃないよね?」

「ああ、大丈夫。改めておはよ、緋川」

「うん、おはよう」


 挨拶を交わして、今日の予定を確認する一同。

 そこからさらに数分後。集合時間の五分前の時間に、最後の一人である若月が姿を現した。


「お待たせ。それじゃ行こっか」


 全員揃ったところで駅の中に入り、佐々木達は海へ向け出発した。




 ◇◆◇◆




「わぁ……」


 目の前の光景を前に、緋川が感慨の声を漏らす。

 遥か遠くの水平線まで燦然と輝く海。

 緩く湾曲した白い砂浜のビーチライン。

 磯の香りを運んでくる風。

 黒マスクを顎までズラし、風でなびく髪を片手で抑えながら、その目をキラキラと輝かせている。

 通行人がそんな緋川を見惚れたように見ているが、珍しく気づいている素振りはない。それだけ自然の雄大さに圧倒されているようだ。


「理佐ー、移動するよ-」

「あ、うん!」


 はしゃいだ様子で若月の隣に駆け寄る緋川。


「海初めてなの?」

「ううん。高校の修学旅行は沖縄だったから、海自体は見たことあるよ。でもなんか……あの時より綺麗に見えるんだよね」

「……へぇ?」


 さも揶揄からかいがいがありそうな獲物を見つけて、若月が怪しい笑みを浮かべた。そしてそのまま緋川の顔を覗き込み——


「それ、私達が一緒だからだったりして? いつもより服も気合いが入っているようだし」


 ニヤッと笑う若月。

 冗談混じりの言葉だったが——


「ン、たぶんそうかも。海自体は行ったことあるけど、アタシ友達と海に遊びに行くの初めてだし。だから誘ってくれてありがと、詩織」

「え……あ、うん……ドウイタシマシテ?」

「? どうしたの?」


 急に歯切れの悪くなった若月を見れば、そこにはなぜか自分とは真逆の方を向いている姿があった。

 

「ゴホン。なんでもない」


 わざとらしい咳払いして、先を歩く若月。

 この凄まじいカウンターパンチを喰らうようになったのは小金井の一件から。普通は否定か誤魔化しで防御するとこであっても、緋川は曇りなきまなこで平然と右ストレートを放ってくる。

 緩急を交えた甘い攻撃に、若月は何度も血反吐を吐きかけた。

 そして歩くこと数分後。

 若月に先導されて辿り着いたのは、一番の賑わいを見せるビーチの中心部から少し離れた場所にある海の家だった。

 木の色がつくるストライプの壁。屋根は隙間を空けた木材とテントを併用した簡素的な創りをしており、その下には同じく木造の机と椅子がある。飲食だけでなく、シャワーやロッカールームも完備しているらしい。


「おじいちゃーん、おばあちゃーん。来たよー」


 若月の言葉が響くと、すぐ奥から人影が現れた。


「おー、詩織。きたか」

「わお、おじいちゃんもう肌焼けてるね」


 白髪の髪に焼けた肌をしているご老人。

 だがその体はだいぶ引き締まっていて、足腰もしっかりしている。


(元気そうな人だな)


 率直な佐々木の感想だった。


「おばあちゃんは?」

「買い出しに行っとる。それで……その子達が詩織の友達かい?」

「そそ。超絶可愛い子が親友の緋川理佐、身長高い方が佐々木玲、低い方が田中祥平ね」

「なんだよその紹介っ!」


 田中のツッコミが冴え渡った後、各々で挨拶を済ます。


「あれ? 他のバイトの子は? 先に着く予定じゃなかったっけ?」

「電車が少し遅延したそうでな。少し遅れて到着するらしい」

「私達とは違う線か。じゃあ、先に泊まりの荷物をコテージに持ってい——」

「ごめんくださーい」


 突然、年若い女性の声が響く。

 佐々木達が声のした方へ振り返ると、二人組の女性が立っていた。

 一人は肩にさらりと掛かるぐらいの黒髪をしていて、人懐っこそうな可愛らしい顔をしている。

 もう一人は非常に端正な顔立ちをしており、豪奢な金髪をポニーテールで纏めている。可愛らしさの中にも気品や華を感じるような……どことなく緋川と似たタイプの雰囲気を持つ女子だ。

 金髪の女子が、中にいる若月祖父と佐々木ら四人に声を掛ける。


「あの、バイトに応募した一条と蒼井と言います」

「一条……?」


 緋川がポツリと呟く。

 その顔は先ほどまでと打って変わって硬い。


「理佐の知り合い……?」

「アタシのっていうか……一条は高校の同級生……」

「えっ!?」


 若月が驚愕の表情を浮かべる。


「あー……やっぱり緋川だよね。久しぶり。じゃあ、やっぱりそっちは……くん、だよね?」


 ピクリ、と緋川の眉が動く。


「ああ。久しぶり、一条」

「久しぶり、玲くん。元気そうでよかった」

「いちじょー、俺も一応いるんだけどなー。無視しないでほしいなー」

「ごめんごめん。田中も久しぶり」


 一条絵梨花。

 佐々木達と同じ高校に通っていた元同級生で、現在は同じ県内の他大学に通っている。

 そして——緋川の高校来の恋敵でもある。

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