第12話 こんなことで
「あ、あの……ちょっといいですか?」
緋川を強制就寝させた翌日——
佐々木が廊下を歩いていると、とある女子学生がいきなり声をかけてきた。
「え、あ……はい……」
「私、同じ一年の早坂って言います。若月さんに頼まれて、これを渡しにきました」
そう言って、早坂が渡してきたのは一枚のプリント。
「テストの過去問らしいです」
「あぁ……わざわざありがとう……」
お礼を言ってプリントを受け取る。
これで用事は終わり……かと思いきや。
「佐々木さんって、緋川さんとも仲良かったですよね?」
「……あぁ。それなりには」
「ど、どうやって仲良くなったんですか? 秘訣は?」
「……は?」
全く同じ質問を以前にもされたが、まさか女子からもされるとは。
一瞬返答に詰まった佐々木だが、あらかじめ考えてあるテンプレを使って早坂に言った。
「たまたま意気投合しただけだ。秘訣とかそういうのはない」
「じゃあ、どういう話をして意気投合したんですか?」
「ちょっ——!」
ずいっ、と早坂が佐々木へ一歩詰める。
(こいつ……おとなしそうな雰囲気してるけど、あの金髪ピアス達と同類かよ)
なら、こっちが遠慮する必要はないな。
佐々木はそう思って、早坂を追い返すべく口をふらことして——
「——もういいよ」
そこで不意に、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「おま……若月……?」
声の聞こえた方を見やれば、そこにはゆっくり佐々木達の
「ありがと、早坂。助かったよ」
「い、いえ! お役に立てたのなら光栄です!」
興奮したように早坂は若月にペコペコとお辞儀をすると、そのまま駆け足で姿を消した。
「どういうことだ若月」
「試させてもらちゃった」
ぺろっと小さく舌を出して、若月は「ごめんね!」と顔の前で両手を合わせて謝罪した。
「……『陽の女神』は以外と
佐々木が呆れたように肩をすくめる。
「本当にごめん! 発作は大丈夫そう? 私も佐々木のラインは把握してるから、早坂さんにも注意はしておいたんだけど」
「あれぐらいなら問題ねぇよ」
「そう? ならよかった!」
ようやく理解できた。若月がここで試したかったこと。
「納得いったか?」
「うん。本当に女性不信なんだね。早坂さんへの対応は演技には見えなかったし……なにより、一緒にいることに慣れた私と理佐とは普通に話せてるのが証拠かなって思った」
佐々木の過去が真実かは若月には関係ない。
彼女にとって重要なのは、「佐々木が女性不信」であり、緋川に伝えた「恋愛ができない」という言い訳が「嘘ではない」という点。
端的に言えば、緋川が騙されていないか確かめたかったのだ。
「友達想いなんだな」
「あははっ、そう言ってくれると助かるよ」
若月は緋川を信用していないわけではない。
これは性分。
自分の目で直接見て確かめたい……きっと若月はオバケとか信じない
「一歩目は踏み出せたっぽいけど、まだ先は長そうだね」
「まぁな。正直に言うと、まだ昔みたいに女子と話せる気はしてねぇ」
「私と緋川でも?」
「気負わなくていいっていう点なら、若月と緋川以上はいねぇかな」
「そうだったんだ……あっ! 一歩目を踏み出すって気負てたから、合コンの時は割と普通に喋れてたっことか!」
どうやら試した理由はそこにもあったらしい。
女性不信って……お前合コンで女子と普通に話してたじゃん! といった感じに思っていたのだろう。
「実際かなり疲れた……」
「だよねー。なんかごめんね?」
「若月が謝る必要ねぇだろ?」
分からなくても無理はない。
高校時代の佐々木を知っている緋川と違い、若月は今と昔を比べる物差しを持っていないのだから。
「今までのこと全部ってこと……」
小さく呟く若月。
「ん? なに?」
「なんでもない! それよりさ、今日これから予定ある?」
「いや、特になにもねぇぞ?」
「じゃあ、ちょっと付き合って?」
既に場所の目星はあるのだろう。
若月が先導して歩き、佐々木がその少し後ろを付いていく。
正門から大学敷地外へ出て数分。見覚えのあるファミレスが視界に入ると、若月は「ここ」と言って店内に入っていき、佐々木もそれに続いた。
「いらっしゃいませ。お二名様ですね。ご案内します」
店員さんに案内された四人掛けのテーブル席に向かい合って座る。
佐々木は適当に飲み物だけ頼むと。
「あ、遠慮しないでいいよ? 今回は私が奢ってあげる」
意外な若月の言葉に、佐々木が目を瞬かせて怪訝な顔をする。
「なんか裏があるのか?」
「なっ!? ちっがぁーう! 私そこまで
心外だ、といった感じだ噛みつくように若月が言い放つ。
「そうじゃなくて、昨日理佐のこと助けてくれたでしょ? 友達としてそのお礼と試しちゃったことのお詫び」
「あぁ、なるほど……」
「まったく……」
若月は呆れたように溜め息をつくと、佐々木をジト目で睨んだ。
そこに注文した飲み物が届き、佐々木は自分が頼んだアイスティーを飲んで、若月の視線から逃げる。
「助けたって言っても、一時間ぐらい寝かしつけただけだけどな」
「そうやって行動してくれたじゃん。私も理佐の体調が悪そうなのは分かってたんだけど……どうしたらいいのか分かんなくてさ……」
若月は曖昧な笑顔を浮かべると、伏目がちに言葉を続けた。
「イマイチ距離を縮められないっていうか、壁があるように感じるんだよね……」
「それ、みんな同じだと思うぞ?」
「え……?」
若月が視線を上げて佐々木を見る。
「詳しい話は避けるけど、緋川は高校時代にいろいろあってな。俺が女性不信なら、あいつは人間不信って感じだ。壁を感じるのもあながち間違いじゃねぇと思う」
「そう、だったんだ……」
「ああ。だから俺達が気にかてやんねぇと、たぶんいろいろ抱え込んで、そのうち潰れちまう」
そこまで言って、佐々木はチラッと若月の様子を確認した。
ショック……だったんだろう。
若月は目に見えて落ち込んでいた。
緋川からすれば心配をかけないようにしたつもりだろうが、若月からしてみれば、話してもらえないというのは心にくるものがある。
「ま、グループの半数はコミュ障ってことだな」
僅かに沈んだ空気を察して、佐々木は
そんな佐々木の意図を理解したのか、若月はカフェオレを一口飲んで気持ちを切り替えて。
「でも理佐って可愛くない? もちろん外見的な意味じゃなくて。特に佐々木にはそう映るんじゃない?」
ニヤッと意味深な笑みを浮かべる若月。
「どういうことだ?」
「普段は表情を全く崩さず、男子とろくに喋らない理佐が、自分にだけは等身大の感情を見せてくれる……特別感ない?」
「めっちゃある」
「あははっ、正直!」
取り繕ってカッコつけても仕方がない。
「櫻大の氷の女神」が自分にだけ見せてくれる顔。なんと可愛らしく、なんと自尊心を満たしてくれることか。
けど、それでも恋愛感情は抱けないわけで……松村のことがあってから「好き」という感情も、胸の高まりも、男らしい劣情も感じない。感想として「可愛い」とか思うことはあっても、その先がないのだ。
——恋愛感情が消えたのではないか。
——もう一生このままなのではないか。
そんな不安感がずっと拭えない。
◇◆◇◆
そこは敷居の高そうなイタリアンレストランだった。
吹き抜けの二階建てで、なんとも豪奢な照明が天井から吊り下がっている。
今は夕食時。
飲食店はどこも混み始める時間帯だが、そのレストランの混み具合いは正に地獄だった。
高校からこのレストランでバイトをしている緋川にとってもだ。
彼女は店の制服を身に纏って、次々くる注文や配膳を捌いていた。
「ありがとうございました。またのご来店を」
会計を終わらせた緋川が、店を出るお客に頭を下げる。
「ね、緋川さん」
「はい、なんでしょう店長」
ウェーブのかかった長い髪の女性が緋川に声をかける。
見た目は年若いお姉さんといった風貌だが、これでこの店の店長だというのだから驚きだ。
ただ、店長の表情からは不安が見え隠れしていた。
「体調は大丈夫なの? 最近顔色が良くないわよ?」
「大丈夫です。ちょっとだけ寝不足なだけですから」
「寝不足って……咳もしてたし、やっぱり休んだ方がいいわ。今日は早めに上がって」
「そしたら他の人に迷惑がかかってしまいます。本当に大丈夫ですから、心配しないでください」
「ならいいんだけど……緋川さんらしくないミスもしてたし、絶対に無理だけはしないでね?」
「分かりました。アタシ、オーダー取ってきますね」
店長の傍を抜けていく緋川。
一瞬、足元がおぼつかなくなってよろけるが、すぐに体勢を取り直した。
その様子を見て、店長がまた不安そうな表情を浮かべる。
だが一度戻ってしまえば休む暇などない。
緋川はまた忙しそうに店の中を行ったり来たり。
そんな状態が数十分続いて——
「——ちょっと。ちょっとそこのお姉さん」
「え、あ、はい。なんでしょうか」
少し通り過ぎたとこで、緋川は声主に慌てて振り向いた。
(あー……)
声主の男を見た瞬間、緋川は心の中で何かを察したようだ。
それほどまでに、男は周りから浮いていた。
分厚い胸板が見えるほど襟元を開いたワイシャツに、重そうなネックレス。指輪の数も尋常じゃない。
無駄に
周りにいる本物達と比べても背伸びしている感が否めない。
「見てよ、このピザ」
薄い笑みを貼り付けた男が皿に置かれているピザを指差す。
「ここ……これこれ。爪楊枝だよね。ピザに混入してんの」
ピザの断面に刺された爪楊枝。
混入したものとは違う。明らかに人為的なものだ。
「ギリギリ気付けて良かったよ〜。これ食べたら危ないよね? ね? どうすんの?」
よくある言いがかりだ。
そう判断して、緋川は毅然とした態度で深く頭を下げた。
「それは大変失礼いたしました。急ぎ別のものに——」
「いやいや、いいんだよ? 誰でもミスはあるし。でもさ——」
男は緋川の耳元に近づき、声のボリュームを落として言った。
「これ、この店の信用問題になるよ? お客様が減って潰れちゃうかもね。それが嫌だったら……今日のバイト終わり、俺と一緒に遊びに行こうよ。店の前で待っててあげるから。それで
明らかな脅迫行為だ。
だが他の人の耳には届いていない。
「ほら。あと十秒のうちに決めて?」
緋川に考える暇を与えない作戦だろう。
十秒? そんなに必要ない。
「失礼ですがお客様。それは——」
「失礼、お客様。どうかなさいましたか?」
突如、男の後ろから現れたシェフが緋川の言葉を遮った。
「ああ? そりゃ、……っ!?」
男は振り返った瞬間、目を見開いた。
後ろにいたシェフは勘違い男とは顔つきも放つ威圧感も次元が違う。
「な、なんだお前!」
さっきまでの勢いは
男の張り付いた笑顔が綺麗さっぱり消え、慌てふためいた。
「当店の料理長をしている西野と申します。彼女に変わって、この場は私が対応させていただきます」
「はぁ? 勝手なことすんじゃねぇよ!」
「失礼ですが、料理に問題があったのなら、それは料理長の私の責任です。ウェイターの彼女にはなんの非もございません。それとも……彼女でなければいけない理由がおありですか……?」
「そ、それは……」
返答に困った男はそのまま黙りこくってしまった。
「ないようですので、彼女は通常業務に戻らせます」
西野は緋川に目配せをする。
「失礼致します」
緋川は一礼し、男の前から去る。
「あ、おい……!」
「お客様。これ以上は他のお客様のご迷惑になります。こちらも誠心誠意対応したく、お部屋をご用意しました。そちらまで移動してもらえますか?」
「へ、部屋?」
男の焦りが徐々に強くなり始める。
初めから男の狙いは緋川だ。クレームじゃない。
話が大きくなるのは男も望むところではない。
「そ、そこまでして頂かなくて結構……もう帰るので」
男はカバンを持って会計を終わらせ、急いで店から出て行った。
バイトが終わり、日付が変わった深夜。
緋川は机に備え付けられた明かりをつけ、眠い目を擦りながら試験勉強をしていた。
普段は綺麗に片付いている机の上も、今は教科書とノート、過去問の紙束が乱雑している。
「はぁ……」
疲労感が抜けない。
まるで身体中に鉛を付けられたみたいだ。
そのくせ頭は重いのに中はふわつくばかりで、なんにも集中できない。必死に頭に詰め込んでも、入れた先からどんどん抜け落ちていく。
「ぅ……っ!」
今日何回目かも分からない頭痛に襲われ、頭を手で押さえる。
疲れてる場合じゃない。
頑張らなきゃ……バイト先も忙しいのはみんな一緒だし、試験まで時間もない……
「こんなことで……っ」
――あんま一人でなんとかしようとするなよ?
「……っ」
緋川の脳裏に佐々木の言葉がフラッシュバックする。
「なんか中途半端だな……アタシ……」
バイト先ではらしくない細かなミスを連発。
試験対策は
風邪気味で体調管理は
付き纏ってくる気持ち悪い視線の主も発見できず。
「相談……しようかな……」
このままではいけない……という漠然とした焦燥感から、そんな言葉が口からこぼれ落ちた。
緋川はスマホを開いて、流れるようにトークアプリを起動する。
画面の一番上には佐々木の名前がある。
指を伸ばしてトーク画面を開こうとして——
(ダメ、甘えるな……!)
その寸前で、緋川はスマホの電源を切って、教科書の上に突っ伏した。
(アタシは佐々木を支える立場。今の佐々木に余計な負担はかけられない……)
そうだ。これはアタシの事情。
巻き込むな。佐々木の邪魔をするな。
緋川はガバッと起き上がると、スマホを置いて再びペンをその手に持った。
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