第5話 宣言

「ごめん、佐々木。迷惑なのを承知で言うけど、アタシまだ佐々木のこと諦めてないから」


 ただ真っ直ぐ、緋川が佐々木を見つめる。


「佐々木、アタシが告白したとき言ったよね。『恋愛ができない』だからアタシとは付き合えないって。その言い回しがどうしても気になって……」


 告白をされた時、嘘をつくべきか迷った。

 馬鹿正直に言えば、こんな風に後から追求されるかもしれないと思っていたからだ。

 それで緋川の告白をうまくかわせる自信もあった。


 でも、できなかった。


 そこに理屈なんてない。

 ただ……緋川の目を見た時、逃げてはいけないような気がした。まるで昔の自分に戻れたような……そんな感覚があった。

 だから素直に答えて……その結果こうなってしまった。


「知りたい?」


 だからと言って、これ以上のことを話すかは別問題。

 佐々木にとって、は文字通りトラウマだ。

 興味本位、もしくは中途半端な気持ちで踏み込まれるのは、佐々木としても迷惑に——


「知りたい……アタシ、佐々木のことが知りたい! 佐々木のことを支えたい! 最後まで逃げたくない! あの時の佐々木みたいに……」


 あぁ……綺麗な目だな。

 真っ直ぐで、力強くて、ぶれなくて、決して逃げ出さない……

 俺もそんな目ができていたら……こんな風にこじらせたりしなかったのかな……




 ◇◆◇◆




 二月十四日。

 世間はバレンタインデーで賑わっているが、佐々木の胸中は別の意味でドキドキしていた。

 今日は櫻大の合格発表日。

 佐々木は制服に身を包んで、合格発表者が張り出される櫻大の掲示板前まで来ていた。

 想像以上に人が多いため、人混みの少し外に立ってその時を待つ。

 身を切る寒さに凍えること数分。


「よう、玲。随分とはえーな」


 名前を呼ばれた方を見ると、佐々木と同じ櫻大を受験した田中がいた。


「いろいろ緊張して寝れなかったんだよ」

「まじ? 俺と一緒じゃん」


 意外と会話は続かず、すぐ無言になる。

 お互い気を紛らす余裕もないらしい。


(莉央さん……)


 ——その時まで待っていることにする!


 ふと、松村の言葉が脳裏に浮かんだ。

 身勝手な約束を取り付けて申し訳ないとは思っている。

 でも、それも今日で終わり。

 

(もし……もし合格できたら、莉央さんに好きって言おう)


 自分と同じ気持ちかなんて分からない。告白が成功するとも限らない。

 けど、聞いてくれるだけありがたい。

 同じクラスの緋川は、もう告白されるのも迷惑そうだし……


「時間になりましたので、合格発表を行います!」


 掲示板に張り出される巨大な紙。

 端から端まで受験番号がびっしり書かれている。

 本命の数字は、案外簡単に見つかった。


「あった……!」


 何度も確認した。なんなら写真も撮った。

 間違いない……俺、合格したんだ!


「おい、玲! あったぞ! 俺の番号もお前の番号も両方ある!」


 隣の田中も大興奮で報告してくる。

 これまで二人で一緒に頑張ってきた日々が頭の中を駆け巡る。

 もう言葉もない。

 佐々木と田中は涙を流しながら、お互いを力強く抱きしめ、ただ良かったと喜び合った。




 松村は、この日のためにすでに佐々木の家に来ているらしい。

 早めに結果を教えるように前から言い含められていたけど、ここは少しサプライズをしよう。

 そう考えて、あえて何も連絡せず、佐々木は家に向かった。

 玄関を開けると、松村の靴が綺麗に並べてある。


「莉央さん……?」


 いつもいるリビングに姿はなかった。

 上の部屋にでもいるんだろうか。

 そう考えて階段を登っていくと、中腹あたりでいつもとは違う違和感を感じた。


 何かが軋む音と、上擦ったような声。


(泥棒か……?)


 いや、違う。


「はぁっ……はぁ……莉央……っ」

こうくんっ……んあっ……はぁ……はぁ……」


 洸……? 兄貴の名前だ……

 佐々木も子供じゃない。中で何が行われているのか、すぐに察しがついた。

 だがそこで止まっていればいいものを。佐々木は僅かに開いた洸の部屋の扉から、気づかれないように中を覗いた。

 そこにはベッドの上で身体を重ね合っている、よく知る二人の姿。

 そして——


「洸くん好きっ……好き……っ」


 決定的を言葉を聞いてしまった。

 そこからはあまりよく覚えていない。

 いつの間にか外にいて、長いこと歩いていたらしい。気づけばもうとっくに深夜になっていた。

 スマホには家族と——松村から何件もの連絡と着信が入っていた。

 そして、また記憶が飛んで……目を覚ましたら病院のベッドの上だった。




「とまぁ、こんな感じだ」


 佐々木は努めて明るく振る舞う。


「あれ以来、俺は恋愛ができなくなった。それに加えて女性不信になっちまって……五月までは女子と会話することもできなくなった。合コン会場でおかしくなったのは、小野田の胸を意識したせいで軽い発作が出たんだと思う」


 佐々木の心に巣食うトラウマの象徴は、洸と松村の情事。佐々木は強く性を感じると、二人の情事が脳内でフラッシュバックして、それが発作という形で身体からだに現れるのだ。


「話せるのはこれで全部だ」


 一通り話し終えて、佐々木は緋川の顔を確認する。

 想像通り、緋川は嗚咽を堪えて、静かに涙を流していた。

 やっぱり、話すべきではなかった。

 

「ごめん……っ、アタシが泣いたって、佐々木が困るだけなのに……っ」


 緋川が目元をぐしぐし、と乱暴に拭う。


「いや、いい……それだけ真剣に聞いてくれたんだろ? むしろ嬉しいぐらいだ。ありがとう」

「合コンに参加したのはどうして……?」

「一歩目を踏み出したいって思ったんだ……過去は過去って割り切って、いい加減、前に進もうってな……」


 緋川の影響を受けて、というのは黙っておく。


「なるほど……それを聞いたら、だいぶ怒りが収まった」

「それは良かった。あんなに睨まれるのはもう御免だ」


 本気で命の危険を感じたからな。


「告白の件は緋川が気に病むことはねぇ。むしろ感謝しているぐらいだ。けど、もう分かったと思うが、俺は緋川の気持ちにこたえることはできない」

「……ン。それは分かった。でも、アタシ諦めるつもりないから」

「……え?」

「他に好きな人がいるとかじゃなくて安心したぐらいだし。むしろ惚れ直した。絶対に諦めない」


 どうしよう。

 緋川の言っている意味が理解できない。


「……ン、決めた。アタシが佐々木を惚れさせてみせる」


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