第3話 再会

 五ヶ月前——当時、受験生だった佐々木には家庭教師がいた。


 名を松村まつむら莉央りお

 年齢は一つ上にあたり、当時大学一年生の女子大生だった。

 佐々木が長く辛い受験生活を乗り越えられたのも、トップクラスの偏差値を誇る名門の櫻崎大学に入学できたのも、間違いなく彼女のおかげだ。

 教え、励まし、支えてくれた。

 そんな松村に恋心を抱くのは、もはや当然だったと言える。

 確認してみると、幸運なことに彼氏はいないらしい。


 けど、恋愛にうつつを抜かすほど佐々木も愚かじゃない。

 それで櫻大に合格できるほど、勉強できたわけではないからだ。


「莉央さん……もし俺が櫻大に合格できたら……伝えたいことがあります」

「今じゃダメなの? たぶん、気持ちは一緒だよ? 私も玲くんのこと——」

「ダメです……俺は器用じゃないので……勝手な話ですが、待っていてはくれませんか?」

「ふふっ、玲くんは真面目だなぁ。……分かった。その時まで待ってることにする! そのかわり、絶対に合格してね!」


 佐々木の我儘に笑顔で答えてくれた松村。


 ——待っていてくれる。


 付き合えると決まったわけでもないのに、その事実が嬉しかった。

 けど、合格発表日……ようやく気持ちを伝えられると思った矢先に、あの人は……




「はっ……!」


 目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。

 どうやら机に突っ伏してうたた寝をしていたらしい。

 それにしても最悪な目覚めだ。

 今日が合コンの日……これから一歩目を踏み出そうというのに。


「まるで、忘れるなって言われてるみたいだな……って時間ヤバッ!?」


 感傷に浸る間もなく、急いで立ち上がって支度をする。

 数合わせの合コンと言えど、外見を整えるのに手を抜いたりはしない。

 TPOも弁えない浮いた格好をして、女子達に相手にされず、「恋愛ができるように一歩を踏み出す」という目的も達成できない。そうなってしまっては本末転倒だ。


(前髪を上げんのは大学の入学式以来か……)


 カバンの中身を確認して部屋を出る。

 合コンの会場は大学の最寄り駅近くにあるレンタルスペース。

 軽く走れば時間通りに着くだろう。

 だが日は落ちていても七月。夜でも気温は高めだ。


(汗かくかも……)




 少し汗ばんだ程度だが、トイレで汗の処理をして会場の部屋へ向かう。

 扉の前に来れば、もう既に盛り上がっているらしく、中から笑い声が聞こえてきた。


(やべー……緊張してきた……)


 メモを渡された時と緋川から告白された時とは違い、自分から女子がいる空間に行くのは五ヶ月ぶり。

 田中は最近はよく喋れるようになったと言うが、それは本当だろうか。

 もし一言も言葉が出なかったら……もし発作が起きたら……そんな不安感が佐々木の中で浮かんでは消え——


(ストップ! やめろ……もう決めたんだ……)


 そんな不安を心の中から追い出す。

 そして意を決して。


「失礼しまーす」


 扉を開けて部屋に入ると、会話が途切れ、一気に注目を集めた。


「お、来た来た! 玲、五分遅刻だぞー?」

「わりぃ、緊張して寝不足になっちまった」


 部屋に入ると、田中が真っ先に迎え入れてくれた。

 会場には佐々木を省いて、男子が三人、女子が四人、長テーブルを間に挟んで座っている。

 女子の視線が一斉に刺さるが、ここでひるむほど佐々木の覚悟は甘くない。


「えっと、遅れましたが一年の佐々木玲です。よろしくお願いします」


 軽く自己紹介を終えると


「もー、遅いよー、佐々木くん」

「よろよろー」

「ここ空いてるから座って!」

「……」


 女子グループに促されて、佐々木は最奥の席に向かう。

 その途中で、チラッ、と自分の席とは真逆に位置する席に座っている女子を盗み見た。

 柔らかな金髪をした、いかにもカースト上位といった雰囲気を纏う美人。

 彼女こそ、田中が前に可愛いと熱弁していた如月だ。

 その向かいの席には、やはりと言うべきか、田中が陣取っている。


(はっ!?)


 だが次の瞬間、佐々木が驚愕したように目を見開いた。

 なぜなら田中が狙っている如月の隣に座っているのは——


(わ、若月——っ!?)


 若月詩織。

 茶髪のショートヘアに、人当たりの良さそうな笑顔。どことなくボーイッシュな雰囲気を放つ彼女こそ、櫻大にいる七柱の女神……「櫻大のの女神」と呼ばれている人物だ。

 

「んじゃ、全員揃ったことだし、乾杯といこうぜ!」


 佐々木が内心で驚いていると、田中がそう仕切り、前に座る女子がテーブルの上にあった飲み物を佐々木に差し出した。


「はい、これ佐々木くんの飲み物。先に頼んでおいたから」

「おー、ありがと」


 佐々木が飲み物を受け取ると、それに続くようにそれぞれが自分のコップを持つ。

 田中は全員が飲み物を持ったのを確認して。


「それじゃ、今日の出会いを祝して、かんぱーい!」

「「「かんぱーい!」」」




 乾杯の後は自己紹介タイムに移った。

 佐々木は自分の番が来ると、今後の話題のきっかけ作りのためにも、興味、関心ごと、趣味といった情報を織り交ぜて伝えた。

 一歩目のために全員としっかり会話したいところだが、気が合う相手と長く話せるなら佐々木としてもありがたい。

 自己紹介タイムが終わると、次は定石通りにフリートークとなった。

 せっかくのレンタルスペースなので、部屋を目一杯使って二人きりに近い形でトークをするようだ。

 佐々木にとっては、ここがきも

 誰もフォローはしてくれない。文字通り、全て一人でやらなければならない。

 だが意外にも、会話はそれなりにスムーズにできた。高校の時ほどではないが、佐々木の自己採点では充分に及第点だった。

 またローテして、次に話すのは如月。彼女で三人目だ。


「やっほー、佐々木くん。あたし如月きさらぎあかね。よろしくねー!」

「よろしく、如月さん」

「すんごい他人行儀じゃん。同級生なんだし、よかったら茜って呼んで。もちろん呼び捨てで」

「いいの? 誰かに変な誤解されかもしんねぇけど」

「大丈夫、大丈夫! むしろそれが目的って感じ? ほら、あ・か・ね」

「あ、茜……」

「うはー、やばっ! 想像以上に照れる!」


 距離の詰め具合に思わずたじろいだが、微妙に赤らんだ頬を両手で隠している如月を見ると、少し微笑ましく思えた。

 とは言え、彼女は田中が狙っている。

 それとなく田中の株を上げないとな。

 佐々木は如月としばらく話して、会話の流れをさりげなく田中の話題に誘導した。


「実は俺、幹事の祥平とは高校からの友達なんだ。俺が大学で女友達がいねぇって話したら今回の合コンに誘ってくれたんだ」

「田中いいヤツじゃん! ってか女友達いないの? ちょー意外なんだけど。佐々木くんふつーにカッコいいのに」


 こういうお世辞がサラッと出てくるあたり、如月は男の扱いがよく分かっている。

 冷静に、佐々木はそう分析した。


「茜みたいな人に褒められると、嬉しすぎて勘違いしそうになるな」

「勘違いじゃないって! っつか、あたしに褒められると嬉しいんだ? ねぇ、どーして?」

「言わなくても分かるだろ」

「言葉にしてくるとちょー嬉しいでーす!」


 ニヤニヤ、とこちらを見つめてくる如月。

 想像通りというべきか、小悪魔タイプの女子のようだ。

 これ以上口撃をかわしても逃してはくれないだろう。

 意を決して、口をひらく。


「……茜が」

「あたしが?」


 だが、あまりの気恥ずかしさに言葉が詰まってしまった。

 しかし、やはり逃す気はないようで、如月は続きを促すように、佐々木を真っ直ぐ見つめてきている。

 するとそこへ——


「如月さん、交代だって」


 フリートーク最後の相手である青山が、佐々木と如月の間に割って入った。

 ポニーテールでまとめた赤茶げた髪に、黒の丸メガネとマスク。他の面々と比べて、おとなしめで知的なイメージを受ける。

 女子グループに席へ促されたとき、一人だけ無言だった青山。

 佐々木は彼女になぜか、ここに来てからずっと謎の視線を向けられていた。

 まさか、もう嫌われたのか……?


「えー、あと少しダメ?」

「ダメ。他の男子も待ってるし、佐々木のことが気になるなら後で話して? まだ合コンは続くんだから」

「それもそっか。あとでね、佐々木くん」

「ああ、またあとで」


 如月は手を振って、次の相手の元へ向かって行った。

 助け舟ではないだろうが、結果的に青山に助けられた。

 とはいえ、見た目の派手さとは違い、如月はかなり話しやすい印象だった。


「ねぇ、佐々木」

「なんだ?」

「アタシが誰か……分かる?」

「? 青山理佐だろ?」

「…………」


 佐々木を見る青山の視線が更に力強くなる。

 名前は間違えていないはずなんだが……やっぱり嫌われてるのか?


「もう……仕方ないなぁ……」


 青山はそう小さく呟くと、髪をほどき、メガネを外す。

 たったそれだけで、ガラッと印象が変わった。

 あれ……この顔……妙な既視感。

 そして、最後のダメ出し——青山が黒マスクを外した。


「おま……っ!? ひか——」

「しっ!」


 声を出す前に青山——に口を塞がれた。


「やっと分かった? アタシの本当の名前は緋川理佐。訳あって、この合コンには偽名で参加してる」


 緋川は髪をそのままに、外した眼鏡と黒マスクを付け直す。


「……で、なんで佐々木は合コンに参加してんの? 『恋愛はできない』んじゃなかったっけ?」


 緋川の冷たい視線が突き刺さる。

 どっ、と冷や汗が出てきた。

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