「昨日の観た?」


 教室に入るなり訊くと、


「なにを?」


 と、後ろの席の最上が気怠そうにこたえ、眠たそうな目をゆっくり僕へと向けた。いつも無気力な最上だったけど、今日はいつにも増して疲れているように見える。


「ホノオのさ、ニュース」

「あー……」


 最上は興味なさげに空返事をし、あくびをした。


「昨日のはさ、カマキリみたいなヤツだったみたいだな」

「へえ」

「なんだよ、興味がないみたいに」

「ねえよ。小坂とちがって、俺は暇じゃねえの」


 言って、最上は机に突っ伏してそのまま寝息をたてた。


「……ったく」


ため息を吐き、僕は窓側のいちばん後ろの席へちらと視線をやった。


 頬杖を突いて窓越しに校庭を見つめる少女は、昨日よりもキレイに見えた。廊下側の一番前の席というどうしようもない距離が恨めしかったけど、かといってもし席が近かったとしても、僕と彼女との間には存在としての遠い遠い距離がある——


 ——花江初奈はなえはな


 それが彼女の名前で、その名前を知らないヤツはこの高校にはいなかった。男子は言うまでもなく女子さえも魅了する花江に、僕は分不相応だとは思いながらも密やかな恋心を抱いていた。その他大勢と同じく一目ぼれだったけど、意気地がないから告白はおろか未だに言葉をかわしたことさえない。今日もただ、遠くから見つめるのだけが精いっぱいだ。


 ふとこっちへ顔を向けた花江と目が合った僕は、とっさに視線を逸らして高鳴る胸の鼓動を感じながら最上を見た。


「お前、ハナエのことが好きなの?」


 いつのまにか起きていた最上が、机の上で組んだ腕から目だけを出して言う。


「バ、バカ言うなよ。そんなわけあるか」

「あいつはやめとけ」

「……分かってるよ。無理なのは」

「いや——」


 何かを言いかけ、


「——そうだな。お前には無理だ」


 と、最上は知ったような口をきいた。


「なにを話してるの?」


 とつぜん聞こえた声で見上げると、いつの間にかとなりに立っていた花江が微笑みながら僕を見ていた。


「あ、あああ、その」


 慌てふためく僕をよそに、最上がため息を吐く。


 気がつけば、教室中の視線が自分たちに注がれていた。


「こっち来るなよ。いい迷惑だ」

「私を迷惑がるのは、あなたくらいよ」


 最上の険のある態度を、花江は楽しんでいるようだった。


「小坂くん、さっきホノオの話をしてなかった?」

「う、うん。昨日のニュースでやってたやつ」


 席が離れているのに聞こえていたんだろうかと思いながらも、そんなことより花江とはじめて言葉を交わしたことに僕は舞い上がっていた。


「どんなだった?」

「どんなっていうか、ニュースじゃあ、カマキリみたいな怪物が現れたけど、ホノオが倒したってだけしか言ってなかったな」

「そう」

「で、でも凄いよな。まさか現実に怪物がいて、それどころかヒーローまで出てくる世の中になっちゃったんだから」

「たしかにそうね。もう八人もたおしてるんだから、すごいよね」

「いや、たしか五体目だったんじゃないかな」

「あれ、そうだっけ?」

「そう。ニュースで言ってた」

「そっか……」


 花江が最上をちらりと見る。


「……五体でも八体でも一緒だろ。それに、ホノオはヒーローなんかじゃないぜ、小坂」


 最上がうんざりした顔で言って、立ち上がった。


「あいつは化け物だよ。いつか他のやつらとおんなじことをしちまうかもしれない」


 ほとんど独り言のように吐き捨て、最上は教室を出て行った。


 花江と取り残された僕は、


「最上のやつ、きっとトイレだよ」


 と、なぜかしなくてもいい弁解をした。


「最上くんはああ言ってたけど、私は小坂くんと一緒で、ホノオはヒーローだと思う」

「そ、そうだよね。カッコイイよ、ホノオは」


 言って、僕はあらためて花江に見惚れた。

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